「まち むら」110号掲載
ル ポ

伝統的町並み保存が未来を拓く
福岡県八女市 八女ふるさと塾・八女町並みデザイン研究会・八女町家再生応援団
 福岡県八女市の中心市街地、福島には、江戸末期から昭和初期までの古い町家が軒を連ねている。
「少年時代、福島は何でもそろう商店街で、多くの人でにぎわっていました。そんな福島はおしゃれをして行く、あこがれの場所だったんです」
 中島孝行さんはいま、あこがれだった福島の町家に住まい、建築家として伝統的町並みの保存に取り組み、一人の市民として町並みを生かしたまちづくりに奔走している。


歴史的町並みの形成

 福島の起源は遠く、戦国時代にさかのぼる。天正15(1587)年に築かれた福島城が、慶長5(1600)年に大改築されるにともなって城下町が整備され、その一角に町人地が配置された。この町割が福島の基盤となる。元和6(1620)年に福島城が廃城になった後も、福島は久留米から豊後に至る豊後別路に沿った「在方町」として発展する。周辺の農山村で生産される産品が集められ、これらを原料にした提灯や仏壇、和紙や木蝋などの生産もさかんになる。
 だが、草葺の町家が連なる福島は、たびたび大火に見舞われた。そのため、商工業で財をなした商人たちは蓄積された富を「居蔵」と呼ばれる重厚な土蔵造りの町家建築に投じる。こうして江戸末期の居蔵の町家から昭和初期の木造洋風建築までの多様な建造物が集積されていった。
 大工や左官をはじめとする職人が、地域に産する木材、石や土などの資材を使い、意匠を凝らし、技を競った建造物群は一棟ごとに異なる個性を有しながら、全体として統一感のある落ち着いた景観をつくりあげている。


市民が立ち上がる

 だが、大火のたびに復興し、戦火さえ逃れた町並みは、グローバリゼーションによる地域経済の衰退によってその再生が困難になる。91年に九州を通過した2つの大型台風が老朽化した町家を襲うと、被害を受けた町家のなかには解体されるものも出てきた。
 かつての美しい町並みが消えていく。危機感を抱いた中島さんは94年、「八女ふるさと塾」の設立に参画し、町並みを守る活動を開始する。
 東京で建築を学んでいた学生時代、図書館で埼玉県川越市の町並み保存の資料を発見し、心を躍らせた。
「建築は町並み保存もできるのかと思い、いつか福島で町並み保存ができないかと漠然と考えていたんです」
 遠い日の思いを行動に移すときが訪れたのだ。八女ふるさと塾は、「福島継志塾」と名づけた学習会や、復活させた「天神さん子どもまつり」などのイベントなどを通して町並みの保存・再生を啓発する活動を続けている。
 2000年には、建築士の仲間や工務店、大工などの技術者に呼びかけ、八女の伝統構法を学び、技術を継承する「NPO八女町並みデザイン研究会」を組織。代表に就いた。
 研究会では、町家の所有者からの修理相談に無償で応じるほか、住民の信頼を得ながら古い町家の修理や修景事業の設計・施工を行なっている。中島さんはさらに、福島で培った経験を生かし、保存地区以外の古民家なども保存再生し、伝統構法の住宅を開発しようと計画している。
「地域の職人が地域の材料を使い、地域の風土に合った伝統構法の住宅を造ることが職人の育成や伝統技術の継承、美しい景観を守り、育てることにつながると考えています」


市民と行政の協働

 こうした多くの市民の活動が八女市を動かす。市は、95年から旧建設省の補助事業を活用して伝統的町家の修理・修景事業を開始するとともに、専門家による学術調査を経て、地元住民の合意形成を取り組み、01年には「八女市文化的景観条例」を制定。02年には国の「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けた。当初から町並み保存を担当してきた八女市建設経済部都市計画課長の北島力さんは、市民活動の重要性を次のように語る。
「さびれた福島を活性化する資源として町並みがあることに気づくことができたのも、中島さんたち市民の活動があったからです」
 北島さんは休暇をとって自費で全国の先進地を訪ね、先駆者の話に耳を傾けては、各地で学んだ成果を福島のまちづくりの未来に生かす方策を中島さんたちと語り合ってきた。
 福岡市内に住む所有者が、台風で屋根が傷み、維持が困難になった古い町家2棟を解体しようと二度も足場を組んだとき、八女市は工事の停止命令を出し、この町家を守った。この建物は地元の理解者に買い取られ、修理再生されて住居と店舗に活用されている。
 さらに、北島さんをはじめとする市職員は03年に増加する空き家を解消するため、「NPO八女町家再生応援団」を組織し、所有者と町家を借りたい希望者の間の仲介活動を開始する。こうした成果が実り、この15年間に32軒の空き家が埋まった。カフェやギャラリー、住宅などとして新しい息吹が吹き込まれた町家は、古い町並みに新しい魅力を与えている。


未来を拓く町並み保存

 今年3月、町家再生応援団と町並みデザイン研究会による「空き町家と伝統構法の再生による町並み文化の継承」の活動は、社団法人日本ユネスコ協会連盟が選定した「プロジェクト未来遺産」に登録された。未来遺産は、「個々の資産ではなく、それを守って未来へ継承していこうとしているプロジェクト」だ。八女福島の町並みは、その歴史的・文化的価値だけでなく、これを愛し、守ろうとする市民の活動によって未来遺産に選ばれた。
 欧米では、郊外に拡散した中心市街地を再集約させることによって行政コストと環境負荷を軽減させるコンパクトシティーが都市計画の主流になりつつある。伝統的町並みはコンパクトシティーそのものであり、その建造物を木材などの地域資源を生かした伝統構法によって再生しようとする活動は、低炭素社会への未来を拓く道のりとも重なる。
 それでも中島さんの夢は尽きない。
「明治中期と昭和初期の二度にわたって行なわれた道路幅の拡幅によって、もてなしの空間であった町家の軒先が削られてしまったので、いずれは、それを復元したいですね。それは不可能ではないと考えているんです」
 そのとき、美しい町並みがよみがえった福島はふたたびにぎわいの絶えない場所になっていることだろう。