「まち むら」110号掲載
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地域で運営する預かり保育所“うしおっ子ランド”
島根県雲南市大東町 海潮地区振興会
 島根県の東部に位置する雲南市大東町は、面積の70パーセント余りを山林が占める緑豊かな山村で、町の随所に『出雲神話』が伝わる神楽の盛んな地域だ。中でも海潮(うしお)地区は、ひと際、歴史と伝統文化に彩られ、約2000人の住民が穏やかな暮らしを営んでいる。
 海潮地区の中湯石(なかゆいし)には国の天然記念物に指定されている樹齢1000年以上のカツラの巨木があり、その2キロメートル先には、海潮温泉が沸き出す。島根県の県庁所在地である松江市との境に位置する山王寺は、遠く連山にたなびく雲海や、農林水産省が「日本の棚田百選」に認定した「山王寺の棚田」が見事な景観を成し、寒暖の差と清冽な水が良質な米を育んでいる。
 また、須賀(すが)には『古事記』に記される須賀の宮が祀られている。その昔、肥河(斐伊川)の上流で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したスサノオノミコトが宮造りの地を求めてたどり着き、雲の立ち上るのを見て「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくるその八重垣を」と詠んだと伝えられている。そのため須賀は和歌発祥の地とされ、この歌の「出雲」が出雲の国の名の起源とされている。


時代の変化に応じた保育施設の設立を求めて

 そうした自然と歴史・文化に彩られる海潮地区に、2006年の秋に誕生したのが認可外保育所「うしおっ子ランド」だ。当時、不況の風は地方の片田舎にも及び、幼い子どもを預けて働きに出る母親が増加していた。松江市まで車で20〜30分となれば、松江市に職場を持つ父母は多い。家庭によっては、午後2時に終わる幼稚園の迎えができないケースもある。大東町においても、夫婦の共働きなどによる生活の変化が幼稚園の定員割れの一因となり、保育所の待機児童を招いているのが現実だ。
 折しも2004年、小学校に隣接する海潮幼稚園が老朽化し、建物を改築することになっていた。「うしおっ子ランド」誕生の2年前のことである。海潮地区の自治会や小学校や中学校、民生児童委員、農業委員など35機関のトップが加わる住民組織である「海潮地区振興会」は、幼稚園の改築に合わせ、夕方6時まで預かることができる保育所の併設を大東町(2004年雲南市に合併)に要望した。しかし返答は、町の財政上、また管轄の違う文部科学省の幼稚園と厚生労働省の保育園の幼保一元化は難しいとのことだった。


地域住民で保育所をつくろう

 そこで上がったのは、自分たちで保育所を運営する声だった。行政が難しいというのであれば、自分たちでつくろうというのである。
 海潮地区振興会では、まず、経費の捻出に知恵を絞った。そろばんをはじいたのは、開設準備の中心的な役割を担った海潮地区振興会の当時のマネージャー加本恂二さん(65)だ。「年間230万円の運営費が必要でした。基本は1日4時間で650円という利用料で賄いますが、それは人件費に当て、備品などの経費は市の補助金と、海潮地区振興会が負担することにしました」と、当時を振り返る。
 海潮地区振興会の事業は、総務、地域づくり、教育文化、福祉、体育、女性部の6つの部からなり、それぞれに地域になくてはならない多くの事業を抱えている。その事業を住民の自治会費が支えている。振興会へ入ってくる金額は、1戸年間7500円。約500戸が納入したとして375万円。その中から、新たな支出を増やすことに理解を得て、福祉部に所属することになった「うしおっ子ランド」にも予算がついた。
 施設は、移転新築されることになった海潮幼稚園に一室を設置。トイレ、調理場なども設備してある。しかし、振興会からの負担を少しでも軽減しようと、冷蔵庫等は役員からの寄付に頼り、物置は地域のボランティアで取り付けた。書棚に並ぶ絵本は、中学校卒業生会等から寄贈されたものもある。また、おやつにと、畑でできたイチゴやミカン、芋を届けてくれる住民もある。
 運営費、施設の問題はクリアしたが、残った課題は保育士の確保だった。午後2〜6時まで勤務可能なスタッフを地区内だけで探すのは難しく、近隣の市町からも通ってもらうことになった。特に夏季・冬季・春季の長期の休みの保育は朝8時からとなるので、なおさらだ。「ときには、交流センターの職員が助っ人に駆けつけます。僕も子どもたちのところへ行って遊んだりしますよ」と、加本さん。
 今日も幼稚園が午後2時に終了すると、子どもたちは鞄をかけて一旦玄関を出る。そして、隣に設けられた預かり保育所の入口から部屋に入ってくる。そこからが「うしおっ子ランド」の時間だ。加本さんを見つけ、「おじいちゃーん、遊んでー!」と駆け寄ってくる子どもたち。明るく元気な声が部屋に響いている。


まちづくりの基本は、「まず住民が汗を流すこと」

 「うしおっ子ランド」の仕掛け人ともいえる加本さんは海潮地区で生まれ育った。中国四国農政局に勤め、40数年間、転勤で東京や県内各地を回り定年を迎えた。その後帰郷し、田舎暮らしを始めて今年で6年目になる。「長年、地域外に出ていたからこそ、海潮の良さが分かるんですね。子どもは自然の中でさまざまな体験をしながら育つのが一番です」。ランドの子どもたちも、山や川で遊んだり、高齢者など地域の異世代との交流活動で、野菜を植えたり収穫したりしているという。
 しかしながら、加本さん自身は5人の孫とゆっくり遊ぶ時間もない。というのも、退職後、海潮地区のマネージャー、海潮地区振興会副会長などを務め、「田舎暮らし体験ツアー海潮」、「UIターン呼びかけ交流事業」、「観光ルート整備事業」、平成22年3月に農林水産省の「ため池百選」に認定された、「うしおの沢池」の整備事業など、豊かな自然を包括する山間部ならではの事業に取組んできた。「うしおっ子ランド」の設立と運営も地域づくりの一環であり、子育て環境が良い地域には若者が定住するという考えの下で行なわれている。
 今、地方の山間部は、高齢化、少子化、過疎化、景気低迷などにより、暮らしに変化が生じている。かといって、寂れていくのを行政の助けを待ちながら指をくわえて見ているわけにはいかない。「そこに住む住民一人ひとりが、まず汗を流し、地域の課題をみんなで解決していく。できることは自分たちでやり、足りないところは行政の援助を受ける。住民と行政が共生するのがまちづくりの基本ですから」と、加本さんは語る。「うしおっ子ランド」の利用者は、平成20年度は延べ2365名、21年度は延べ1609名と、年によって変動がある。利用者の数の動向を見ながら、今後も行政との連携が望まれるところだ。
 『地域の子どもたちは、地域で育てる』ことを基本姿勢に立ち上げられた「うしおっ子ランド」。春には新緑の山々を吹きぬけてくる風が田んぼの稲を揺らし、初夏には清流に蛍が乱舞し、秋には収穫を祝う神楽の太鼓や笛の音が響き、冬には満天の星が夜空に輝く。うしおっ子たちは、そこに生まれ育った大人たちがともに手を携えて生きる姿を見ながら、心豊かに育っていくのだろう。