「まち むら」107号掲載
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安心・安全な「佐田野菜」づくりで、生産者も地域も元気に
島根県出雲市佐田町 NPO法人「まめだがネット」
 「まめだが」とは、出雲地方の言葉で「元気だよ」という意味。「まめだがネット」は元気な佐田野菜を消費者に提供し、生産者も地域も元気にする取り組みだ。
 安心・安全な野菜作りや地産地消は、今ではさほど珍しいものではない。
 しかし、「まめだがネット」は他にはない仕組みをつくりあげてきた。平成18年には、地産地消優良活動表彰者として農林水産省生産局長賞も受賞している。
 高品質の佐田野菜は直販店や大型スーパーの特設コーナーに、あるいは子どもたちの給食やレストラン等に納入され、そのおいしさは折り紙付きだ。


きっかけは自家用菜園の余剰野菜

 出雲市の南部に位置する中山間地域の佐田町。ここが「まめだがネット」を生み出した地域だ。
 日本一のパワースポットとして近年マスコミで紹介された須佐神社があり、神々の国出雲と謳われるように、神話や伝説が生活の中に溶け込んでいる土地柄。緑濃き山々と吹き渡る風、幾筋もの清流が恵みをもたらし、穏やかで豊かな毎日を育んでいる。
 町の中心部にある事務局で、専務理事・藤原薫さんにお話を伺った。
「今から10数年前、JA婦人部を中心とする女性グループが、自家用菜園の余剰野菜をどうにかしようと考えたのがそもそもの始まり」だという。
 農家には昔から自家用菜園があり、新鮮野菜は大家族の食卓をまかなった。しかし、少人数家族化や核家族化はこの地域も例外ではない。余剰野菜が増加したが、市場に出すほどの量もなければ市場に出せない規格外品。そこで、小規模な無人市があちこちにできた当時の流行に乗った。
 その後、平成9年にはJAの指導を受け、グループ名「まめっこの里」で、広島に本社がある大型スーパーの出雲地域2店舗で販売するまでになった。店舗内に生産者の顔が見える野菜コーナーを設けることなどまだ珍しい時代。ささやかながらも佐田野菜がブランド野菜として歩き出した瞬間だった。
「もともと家族が食べるための自家用菜園で作ったものですから、おいしくて安心この上ない野菜です」と藤原さん。
 このことが、今に続くまで佐田野菜の基本であり、大きな自負なのである。


高付加価値「認証野菜制度」

 「まめっこの里」を立ち上げた佐田町南部地域の女性や高齢者を中心としたグループの動きは、本人ばかりでなく周囲に大きな刺激を与えるものだった。外で働いた経験のなかった女性が自分の自由になる金を初めて手にしたという事実や、中山間地の零細高齢化農家に唯一の農業所得ができたことなど、それは大きな生きがいにつながり、地域全体に飛躍的に活動が広がっていった。
 平成10年には、行政の協力を得て出雲市街地にあった佐田町所有の土地に、初めての直販店「すさのおの里青空市場」を開設。さらに13年には、町内の人気温泉施設に隣接して2店目の直販店「雲海の館」をオープン。それぞれのグループが組織化を図り運営に当たった。
 14年には3グループを一元化して任意団体「まめだがネット」を組織し、同時に「農産販売サポートセンター」を設置。JA内に置いた事務局に行政から担当者が1名つき、インターネットの導入により、生産から販売までを一括して支援する仕組みができた。これが現在の土台となった。
 さらに「認証野菜制度」がスタート。佐田町独自で定めた「有機・減農薬栽培基準」に沿ってつくられた野菜のみを「佐田野菜」と認定するもので、その基準値は、特別栽培基準の数値よりさらに低い値に設定されている。
 付加価値を上げようという制度だが、「もともと自家用菜園で作られる野菜ですからこの基準は簡単にクリアします」と藤原さんは話す。
 15年には、保冷トラックによる集荷・配送事業を開始。町内の集荷拠点や各店舗を定期的に回り、広範囲な地域に点在する零細基盤農家にも対応し、高齢者会員など幅広い参加を取り込む仕組みもできた。


「通心システム」で情報公開

「まめだがネット」の最大の特徴は、平成16年から運用を開始した「通心システム」だ。インターネットを使い、消費者に佐田野菜の栽培管理履歴を公開し、野菜の安全性と町の魅力をPRしたのだ。このシステムによって事務局では売り上げや栽培管理など、会員は栽培管理記録や売り上げ照会、バーコードシールの作成など自己管理ができるようになり、消費者はホームページを開くと、会員である生産者の顔写真とともに、出荷品目や栽培履歴を知ることができる。また、商品一つ一つにすべて生産者の顔写真入りシールが貼られ、このシールから栽培履歴を調べることもできる。
 佐田野菜の安心・安全の根拠を明確にしたのだ。
 そして、おいしくなければリピーターはつかない。
 大型スーパーの納入例を挙げると、20年に出雲地域3店舗目が新規オープンする際には本社から指名を受けた。藤原さんは、「今までにない大規模店なだけに量の確保が不安でしたが、他の2店舗は一時休んでもいいからという条件までいただきました」と振り返る。
 長年の信頼と、何より「他所のものとは味が違うほどおいしい」という消費者からのお墨付きがあった証しだ。


課題の克服と、原点に立ち返った取り組みを

 NPO法人化して独立したのは平成16年10月。平成の大合併を翌春に控え、経営体制と組織力の強化を図るためだ。合併後は、旧出雲市内の中山間地域へも会員を拡大した。
 しかし、その頃の売り上げ6000万円をピークに、残念ながら現在は減少傾向にある。市内には産直販売所が20数か所、各店舗に産直コーナーができるなど競合相手が増えてきたことも要因だ。
 課題は、会員の高齢化対策と計画栽培の必要性だという。
 現在会員数約250名。平均年齢約70歳。パソコンやインターネットに慣れない世代で多くは女性だ。専業ではなく自家用菜園での栽培だから、端境期の野菜が品薄になる場合や、逆に、同じ時期に同じ種類の野菜がどの会員からも持ち込まれるという状況が起こっている。
 藤原さんは、「促成や抑制栽培など専門知識や技術を学んでいただき、会員全体での計画栽培ができれば」と考える。県の普及員やJA指導員を講師に年4回の講習会、土づくりや果樹剪定講習、先進事例研修など、会員が積極的に学べる機会も多くある。
 さらに、消費者と直接触れ合うのが原点と考え、地域のイベントに参加して佐田野菜のPRに努めたり、直販店での笹巻きづくり講習や、消費者の収穫体験と農家の手料理交流会など、会員の自己啓発にもつながる取り組みを実施。いずれも消費者から好評の声が届き、大きな励みになっている。
「卸売り市場からの仕入れは一切しませんから、他所と比べると品揃えという点では決して満足ではありません。しかし、だからこそ確実に安心・安全な佐田野菜を提供できます」。藤原さんはそう強調し、次なるステップを踏み出すため、品質向上を第一に前向きの模索を続けている。
 商品として野菜を作るのではなく、「まめだがネット」の心髄は「大切な家族のために作った野菜をおすそ分けする」と言うほうが、最もふさわしいのかもしれない。