「まち むら」107号掲載 |
ル ポ |
NPOと自治会が協働し、ふるさとの清流を守る |
滋賀県彦根市 NPO芹川・中薮町西部自治会 |
日本開国の父・井伊直弼を輩出した井伊家35万石の城下町として栄えた彦根市。国宝・彦根城天守の眺めとともに、地元の人々に親しまれるのが、市街地の南域を通り琵琶湖へと注ぐ芹川の流れだ。往時には彦根城の堀として利用され、両側堤には護岸対策としてケヤキやエノキが一定間隔で植栽された。時は流れ、今では樹齢数100年の大木が、川沿いの道に大きな影を落としている。流れの左岸には「芹川けやき道」と呼ばれる遊歩道も整備され、格好の散策道として今日も多くの市民が行き交う。 高齢化で「清掃活動はできんで」の声が 芹川の美観は、両岸沿いの自治会の清掃活動により、守られてきた。しかし、高齢化の波とともに、活動中のケガや事故が危ぶまれるようになり、「もう清掃活動はできんで」という声が、いくつかの自治会から聞こえるようになった。一方で「それではアカンやろ」と声をあげる有志も現れ始めた。中心メンバーだった辻橋正一さんは、仲間とともに地域の連合体づくりをめざし、平成10年に地域住民らへのアンケート調査を開始した。アンケートは、それまで各自治会がバラバラに行なってきた清掃活動を、一斉方式にしてはどうかを問う内容で、ボランティア等の参加が呼びかけやすくなるとの提案を兼ねていた。 地元では、ある年齢(団塊の世代)より上の世代にとって、“芹川”は子ども時代の原風景なのだそうだ。昭和30年代には、石ころだらけの河原で草競馬が盛んに行なわれた。夏は水遊びの子どもたちでにぎわい、老若男女の盆踊りの輪ができた。何より昭和38年に公開された映画『青い山脈』では、彦根市でロケが行なわれ、主演女優の吉永小百合さんが芹川沿いのケヤキ道を歩くシーンも撮影された。当時の、地元の若者の青春と重なっているのだ。 ピンチはチャンス。1150人を超えた一斉清掃 そうした面影もあってか、辻橋さんらが掲げた「これからも美しい芹川であり続けてほしい」という、素朴な思いに同調する人は多く、平成12年に7つの自治会の協力を得て、任意団体である「芹川を美しくする会」が発足した。そして、会が音頭をとることで、年に一度、芹川の一斉清掃が実現する。また、月に一度のペースで、会のメンバー15人程度による地道な清掃活動もスタートした。芹川の一斉清掃は、@地域住民の自主的な行動を発端とする、A自治会の枠を超えた、B刈り取った草の回収等を行政がサポートした――と、立場の違うそれぞれが、互いに良い影響を及ぼす結果となった。現在、芹川の一斉清掃は毎年6月の第一日曜日と定められ、流域の14の自治会から1000人あまりの住民と、ボランティアで近隣の2つの高校から150人ちかくの生徒が参加する一大行事となりつつある。 足並みを揃えるように、芹川を美しくする会は、平成17年に、思いを共有する「芹川大好き会」ならびに「芹川を歩く会」などと一つになり、「NPO芹川」として新たなスタートを切った。社会的な信用や認知の確立というのもあるが、活動の幅が広がる中、活動資金の調達や、助成金の申請など、何かと利点があるはずと考えてのことだ。 マンパワーの活用で、新たな川辺の風景づくり 「一斉清掃から始まって次第に、もっと子どもたちに芹川に親しんでほしい、そうじゃないと彼らが大人になったとき、果たして芹川を美しくしようという気持ちになるだろうかという話になったんです」と辻橋さん。そこで平成14年に、県内の環境グループとともに子ども環境創作狂言「芹川」の上演に挑んだ。身近な自然を入り口にして、環境という大きな問題を考えられる人になってほしい。地域の子どもたちに、賢くたくましく育ってほしい。そんな願いを込め、翌年には芹川に川床の舞台を組み、再上演を果たした。以降、毎年の上演をめざしている。 この時のことを振り返り、「正直、しんどかった」と辻橋さんは笑う。しかしながら、しんどい中に喜びもあった。舞台を組むために必要な資材等を、建設業に携わる会のメンバーが快く貸してくれた。城下町ゆえ、代々続く職人の家が多い界わいでもある。「家の1軒ぐらいはすぐに建つ」と、この日集まってくれた4人が口を揃えるよう、地域のポテンシャルは高いのだ。 現在、NPO芹川とともに、新たな川辺の風景づくりをめざす中薮町西部自治会の会長・松田秀昭さんは、「地域に眠るマンパワーの活用こそ、町づくりの鍵」と話す。自身も定年退職を機に地域活動に関わりはじめ、辻橋さんら先輩諸氏の背中を見て、ふるさとに恩返しをと思うようになった。地元で「晒山(さらしやま)」と呼ばれる芹川沿いの一角は、市が所有する公園予定地だが、長らく放置状態が続いていた。地域団体であれば土地と空き家になっている建物を借りられるとのことで、管理は自治会が、企画・運営はNPOがと、性格の異なる2つの団体が両輪となり、新たな市民文化の発信をめざす。 約1ヘクタールの敷地内に、平成18年7月、子どもたちの遊び場「いちごパーク」を整備した。ここにはあえて柵を設けたが、これは犬猫の糞などを心配せずに遊んでほしいという思いからだ。続く9月には空き家だった建物に手を加え、芹川散策の途中に誰もが気軽に利用できる「晒庵(さらしあん)」をオープンさせた。よくぞ“トイレ”を設けてくれた(トイレの開放)と地元の人と芹川沿いを散策する観光客の評判は上々だ。 彦根りんごや湖東焼の復活にも乗り出す そして11月には「彦根りんごを復活する会」と手を結び、りんごの苗木30本を植樹し、新リンゴ園を開園した。さらに翌年には、彦根藩の藩窯として江戸末期に栄華を極めた「湖東焼」を市民の手で復興しようと、「NPO法人湖東焼を育てる会」とともに登り窯の築窯にも乗り出した。中藪町在住で、両方の会の副会長を務める八木原俊長さんが、アドバイザーとして奔走してくれた。 「彦根りんごと湖東焼、これらはこの地に生きた彦根商人、彦根藩士が伝えたふるさとの大切な宝です」と八木原さん。りんごの収穫祭や陶芸教室など、川辺で繰り広げられた催しを思い返して、NPO芹川の現理事長・上田健吉さんも目を細める。「子どもの頃の思い出があるからこそ、自分も大人になって、地域を愛し盛り上げようと思うようになる」上田さんの言葉に全員が大きくうなづいた。 中薮町西部自治会の活動は活発なイメージがあるが、実際は“無理は禁物”が約束。都合で行事に参加できない場合もペナルティはない。そのかわり、人のことをあれこれ言わないのが無言のルールだ。決め事は緩やかだが、自治会としてのまとまりは折り紙つき。それは、NPOとの協働を通して、幼い頃の思い出を創ることにつながる。ふるさとを愛する人たちの頑張りが、ひたひたと浸透し始めている証かもしれない。 |