「まち むら」107号掲載
ル ポ

防災は“地域力”の掘り起こしから
和歌山県和歌山市 片男波地区防災会
東南海・南海地震、今後30年以内の発生は60%以上

 安政南海地震(1854年)で、村人たちに津波の襲来を知らせようと高台にある田の稲の束(稲むら)に火を付け避難誘導させたという物語「稲むらの火」は、かつては国定国語教科書にも掲載されていた。
 稲むらに火を放ったという物語の主人公、濱口梧陵の出身は当時の紀伊国広村、現在の和歌山県広川町で「稲むらの火」の舞台。その広川町から北に海岸沿いで結ぶ和歌山市の西に位置する和歌浦は、かつて万葉の地として観光客らでにぎわい、現在も関西有数の海水浴場「片男波海水浴場」に京阪神から多くの遊泳客が訪れる。この海岸に面した全422戸1100人超(2009年4月現在)の片男波地区の自治会が“地域力”を掘り起こしながら防災への取り組みを進めている。
 東海・東南海・南海地震は、過去に同時または連動して発生していてその周期は80―150年。直近の昭和東南海地震(1944年)、昭和南海地震(1946年)の発生から60余年が経った現在、次の発生は今後30年以内に60%以上といわれる。この大地震で片男波地区には3メートル以上の津波が押し寄せると予測されていて、その不安から住民の危機意識は市内各地区に比べ非常に高い。住民男性(68)は「海沿いなので台風がくると波風にビクビクしている。そんな生活の中で自然災害に対する危機意識は自然と身についていて、特に津波への危機感は大きい」と話す。


防災活動は「飽きず、忘れず、疲れず」に

 1995年1月の阪神淡路大震災の発生とその後の行政の意識啓発に「おしりを押された」という同地区自治会長の玉置成夫さん(72)の発声で2005年4月「片男波地区防災会」が設立され、以降市内では先駆的な取り組みを続けてきた。年1回行なわれている地区の運動会の種目に災害時の避難の仕方を取り入れた競争を組み入れたり、親子で学ぶ防災対策の講習会の開催、夜型防災訓練などで住民の意識向上を図ってきた。これらの活動を進めていく上で自治会がモットーとしたのは「3ず」。玉置さんは「飽きず、忘れず、疲れず、を常に意識しながら住民が楽しく気楽に参加できるよう知恵を絞ってきた」と振り返る。
 防災会も関連施設への視察や講習会への積極的参加、インターネットで情報を得るなど自ら学び、年6回の自治会役員会では「最後の議題で必ず防災について話し合ってきた」(玉置さん)。そんな取り組みが、和歌浦地区全体に広がったケースもある。「災害時助け合い登録書」のデータ作りだ。


「災害時助け合い登録書」づくりで人材発掘

 地区内の「要援護者」と、災害時に生かせるかも知れない資格や特技をもつ「協力者」を把握する調査で、登録者は回覧板で配布された登録書に記入し班長に届け出る。調査は2007年から毎年1回実施している。
 65歳以上の住民が40%を占める片男波地区だけに高齢や持病などの不安から「要援護者」に登録した住民は150人を超えた。その中から「真に助けが必要な人」を絞り、独居や近所に身内が住んでいない登録者を要援護の優先度の高い順に置く作業にも着手。この際「大いに役立った」(玉置さん)のが運動会など地区の催し。体の状態や身内の存在などを確かめる場になった。
 一方、「協力者」には医師や看護師、保育士、重機を運転できる住民など有資格者を中心に初年度は80人が登録し、2009年度調査では99人に増えた。玉置さんは「住民の意識が向上している証拠。これまでの防災活動が確実に浸透している」とその成果に胸を張り、「こんなに人材がそろっていることを知って心強い」と話す。


地域に眠るライフライン「井戸探し」

 「協力者」からもらったアイデアも防災活動に取り入れた。07年夏に行なった地区内の「井戸探し」は、技術職員として永年和歌山市水道局に勤め、技術職トップの経営管理部長で定年退職した植田龍彦さん(62)の発案。水道局で培った経験と知識を生かせるならと「協力者」に登録した。
「復旧までは自分たちで水を確保しなければならない」。阪神淡路大震災の際、現地で給水活動を経験したこともある植田さんは、ライフラインが機能しなくなった場合の「水の確保」の困難さを痛感した。「飲料水程度の量なら何とかなる。最も困ったのは生活用水、特にトイレの水だった」。統計では日本人1人の1日の生活用水量は250リットル。このうち飲料用や調理用は2.5リットルと1%に過ぎず、大半を風呂(80リットル)、洗濯(70リットル)、トイレ(60リットル)で占める。植田さんは「風呂は我慢できるし洗濯は着替えがあればいい。しかしトイレは我慢できない。しかもほとんどが水洗化されていて女性は特に大変だった」ことを目の当たりにして「断水時にきっと井戸が役立つ」と確信、地域に眠るライフラインの「井戸探し」を提案した。
 調査で地区内に30基の井戸が見つかった。植田さんを中心にして水質も調べ全て使えることが分かった。このうち6基を持ち主の許可を得て災害時に住民が共用する井戸に指定。翌年には断水を想定した給水訓練も行なった。植田さんは「これで断水しても片男波は大丈夫だ」と話し、「水のプロ」(玉置さん)の太鼓判に住民らは肩をなで下ろす。


組織は小さく、理想は「向こう3軒両隣」

 片男波地区の取り組みは、多くのメディアで紹介されるなどして波及を生んでいる。またモデル地区的な評価によって財団法人や行政などが行なう補助制度の認可を受けやすくしていて、それで得た救助資材なども充実、他の地区からは羨望の目が向けられる。
 これまでの取り組みを通して「組織は小さければ小さいほどいい」ということを玉置さんは実感した。自治会単位では和歌浦連合自治会の中の単位自治会のひとつだが、「同じ和歌浦地区でも片男波とその他の地区では温度差がある」と指摘するよう津波被害が予測されていない小高い場所にある地区などとは危機意識がまるで違い、歩調を合わせて進めていくのは難しい。
 また組織が小さいと「あそこのじいさんの体はどうや、ばあさんの身内がどこそこに住んでいるなどを知りやすい、災害弱者と言われる人たちの把握がしやすい」。その意味からも新たに「班」レベルでの取り組みも模索中だ。玉置さんは「昔は向こう3軒両隣というご近所づきあいがあった。これこそいざという時の救いになる」と防災活動を通してコミュニティの復活を願う。
 防災会設立から4年半。「一丸となって取り組んでこられたのは人材がそろっていたという点に尽きる。これ以上の財産はない」と振り返る玉置さんに対し、指定井戸の協力を快諾した藤井良朗さん(68)が返す。「会長が立派に走り回るから周りがみんな知らん顔できやんのや」。地域の取り組みは「人材」を引っ張る「リーダー」の存在も欠かせない。