「まち むら」105号掲載
ル ポ

2年がかりで作った計画を10年以上にわたって実現中
岩手県一関市 下内野自治会
 下内野集落は岩手の県南、東北新幹線と太平洋の中間に位置する静かな里。山間を流れる砂鉄川の源流域で、かつては「清流にしか棲まない」といわれるカジカが砂鉄川にも多く生息し、子どもたちはカジカを獲り、それを餌にしてイワナやヤマメ、ウナギなどを捕まえた。
 「夕方に仕掛けて、明け方、明るくなる前に引き上げるのです。もうワクワクしてねぇ」と下内野自治会事務局長の小山隆人さんは楽しそうに話す。しかし昭和40年代、農薬が使われるようになってからカジカは姿を消してしまった。カジカがいる川に戻したい――それは集落の人たちに共通する思いだ。
 そんな下内野集落では、自治会とは思えないほどの多くの計画が着々と進められている。
 キャッチフレーズは「かじかの里」。カジカへの思いも重ねて「自然豊かで快適な住環境」を創造しようと平成10年「下内野4WD計画」を策定した(同11年より実施)。
 4WDとは「4=老若男女」「W=Water(水)」「D=Dream(夢)」を表し、
@定住人口の倍増
A住環境の充実
B交流の拡大等
C産業の振興
これらを四輪駆動の軽トラックの駆動軸に見立て、夢を満載した軽トラが力強く走るイメージを描きながら地域づくりに取り組む。この四つはそれぞれ3〜7、合計21もの具体策があるが、それらのなかからいくつか紹介したい。


集落外の人を惹き込む人々の温かさ

 まず、「@定住人口の倍増」に「宅地や山林の分譲」という取り組みがある。移住者を呼び込む計画だが、地域に根付いてほしいと「分譲」という形をとった。用地は、一筆を約300坪とした個々人所有の土地。都市部では望めない広さと、地方ならではの価格が魅力だ。平成12〜13年に3回の見学会を開催し、北海道から九州まで230人の見学者を集めた。結果、6筆を販売し、すでに5世帯が移住している。
 菌床椎茸栽培業を営む高橋隆二さんは、平成13年会社勤めをやめて下内野の住人になった一人。造成地ではなく原野や山が入手できること、地域に昔のままの自然が残っていたことからこの地に決めた。土地売買のケアをする自治会の団結力や対応もよかったという。
 「実は移住した翌年、菌床の準備を終えたところで台風が来て、菌床が半分くらい流されたのです。呆然としていたところ集落の人たちが手伝いに来てくれて、感動しましたね。それからも支えてもらってきているので、これからその恩返しをしないと」と高橋さん。アクシデントが集落との絆を強め、定住の意思も一層固まった。
 高校で教鞭を取っていたという同会長の勝部欣一さんは、「移住者に刺激され、1年早く退職して帰農した。移住してきた人たちはみんな意欲的で、積極的にいろいろなことに参加してくれるし、農業や動植物などにも詳しいんですよ。自分も新しく来た人たちを見習って、先祖から受け継いだ農地を有効活用し、荒らさないようにしなければ」と笑う。
 また高橋さんは「よそから来た人間ということで、関心を持って試されているような気がします(笑)」という。何かと役目を頼まれ、その仕事であちこちを歩くうちにいろいろなことを知り、ますます大東が好きになったとか。今では、自治会の役員も務めている。


真の交流は双方向に

 「B交流の拡大等」に係る活動もユニークだ。
 旧大東町内に日本大学のセミナーハウスがあったことから(平成16年廃止)、同大学の教授や学生との交流が続いている。あるとき河野英一教授に砂鉄川のカジカの話をすると「家庭から流れ出る雑排水などの影響で石に付着した有機物を磨いて除去し、酸素を確保して生物が棲めるようにしては」と提案された。
 「後日、『石磨きやります』と先生に電話したのです。酒の席での話だったので本当にやるとは思っていなかったようで(笑)、急いで環境関係の確認を取ってくれました」と振り返る同事務局次長の佐藤哲郎さん。
 こうして「石磨き大会」は「4WD計画」より先の平成6年に始まるが、大学生や地元住民を中心に、多い時は200人近くが参加している。通常の集落の人口を上回る数だ。みんなで川に入って古縄たわしで石を磨き、交流を楽しみながら環境保護の意識を高めている。
 そして「真の都市農村交流は一方通行ではなく双方向の交流だ」として平成11年「田舎教授派遣事業」を始めた。来てもらうだけでなくこちらからも出かけようと、日本大学の「藤桜祭」に下内野から「教授」を派遣。伝統食や農業、田舎暮らしなどをテーマにした講義・実演が「理論に偏りがちな学生にとって新鮮」と好評だ。同時に行なわれる学生による下内野集落との交流を紹介する展示や一関市観光物産協議会の物産販売コーナーは、一般客にも楽しみにされている。
 ほかに「C産業の振興」では、農業収入が少なく兼業農家が多いこと、高齢化と後継者不足が進み、将来的に耕作が不可能になり荒地が増大することが予想されることから集落営農への取り組みも行なわれており、ぜひ紹介したいところだが、この件は別の機会に譲ろう。


腹を割って話す場があったからこそ

 盛りだくさんな自治会の取り組みを語るのに欠かせないものがある。「モツ会」である。
 「30年ほど前、現在会長を務める熊谷公道さんたちが農作業の合間に『肉でも焼いて食べるか』ということから始まったようです。モツを焼いて食べるのと、モツは内臓ということから『腹を割って話す』というのが名前の由来です」と小山さんは話す。最初は2、3人だったが、近くに飲食店もない地域なので「みんなで集まって定期的にやってはどうか」ということからやがて農作業等の情報交換の場となり、現在も続いている。
 当初は個人の車庫で行なわれていたが諸事情で新たな会場が必要になると、これも地域の課題として4WD計画の「B交流の拡大等」のなかに「居酒屋『モツ』建設」を挙げ、新築した。それほど重要な存在なのだ。
 「最初は特に危機感もなかったのですが、ふと『10年、20年後はどうなるのだろう』という話になりました。42世帯約130人ほどの集落で、50%が60代以上、小中学生は10人以下。人が少なくなることは予想されたし、どうやって地域を維持していくかが大きな問題だと思いました」と小山さん。
 酒を酌み交わしながらいろいろなことを真剣に話し合った。4WD計画も「モツ会」での話し合いをも反映して組み立てられたが、当初出された案は現行の約3倍の量だったという。それを役員会で整理し、自治会に諮る。検討を重ね、決定までに2年もの年月を要した。
 下内野は都会のように、誰とも接触しないでいることもできる環境だという。しかし何かの時は集まって顔を会わせたりするなかで「結いの精神」は途切れることなく受け継がれてきた。腹を割って話し合う場があり互いの思いを知り意思統一を図れたから、軽トラに夢を積むことができ、実際に動き出したといえよう。
 しばらくは、計画の残りの実施に取り組むという下内野自治会。人々の思いを形にしながら軽トラは走り続ける。