「まち むら」100号掲載
ル ポ

地域が支える3年間の総合学習
岩手県大船渡市・市立末崎中学校
 東京都世田谷区にある下北沢界隈は、ファッショナブルな若者の街。とくに南口商店街には、多くのショップやレストランがひしめく。この商店街振興組合で理事長を務める吉田圀吉さんは、1台のバスを待っていた。
 渋滞に巻き込まれたバスが予定より遅れて到着すると、吉田さんは笑顔で降車する子どもたちを迎えた。今日は、岩手県から修学旅行にやってきた中学生が、この街で販売体験をする。商品は、子どもたちが自分で育てたワカメだ。


ワカメ養殖発祥の地

 子どもたちのふるさと大船渡市は、世界三大漁場のひとつ、三陸漁場を有する水産業のまち。なかでも、末崎中学校のある末崎町は、「三陸ワカメ」の名でブランド化されている養殖ワカメの産地として知られる。日本一の生産量を誇る岩手県産のワカメ。その企業化は末崎町で始まったといわれている。
 黒潮と親潮がぶつかり合う豊かな海は、肉厚で良質のワカメを育む。末崎漁協の組合長だった故小松藤蔵は、その安定生産をめざして養殖に挑戦。苦難の末、1957年に企業化に成功する。これを受けて末崎半島沖に養殖施設が整備され、ワカメの生産量は飛躍的に増加した。
 さらに1965年には佐藤馨一が、それまで乾燥していたワカメを湯通し塩蔵する技術を開発した。刈り取ったワカメを熱した海水に湯通しした後、粒子の細かな粉砕塩をまぶし、一昼夜漬け込んでから脱水する。色鮮やかで風味の高い湯通し塩蔵ワカメの誕生は、ワカメの消費拡大を招いた。
 多くの先人の努力の上に、末崎町は養殖ワカメの先進地となった。しかし、80年代に入り、韓国や中国から安価なワカメが輸入され始めると、国産ワカメの価格は低落。最盛期に280人を超えていたワカメ生産者はおよそ半数に減少し、兼業も進んだ。


ワカメ養殖のすべてを学ぼう

 こうしたなかで、末崎町唯一の中学校である末崎中学校では、この地域のすべての子どもたちが、地域の誇りであるワカメ養殖を学ぶ計画を立てた。
「最初はただ教室で話をすればいいんだろうと、軽く考えていたんですよ」
 中学校から相談を受けた元末崎漁協の参事、黄川田孝雄さんはそう予想しながら打ち合わせに向かった。しかし、そんな思い込みは大きくはずれた。
 1年生はまず、ワカメの生態やワカメ養殖の歴史を勉強する。その後、養殖備品の補修や整備を行ない、11月には培養したワカメの種苗糸を養飲用幹ロープに巻きつけ、2月に早採り、3月に本採りをした原藻の塩蔵加工までを体験。このワカメを漁協の冷蔵庫に保管しておく。
 2年生に進級したばかりの4月には2人1組で漁家を訪れ、塩蔵加工と芯抜きを手伝う。6月には3月に収穫したワカメの芯を抜き、袋詰め。ラベルやレシピ、コマーシャルビデオまでを作成し、9月に修学旅行先の東京で販売する。
 3年生になると、ワカメを育てる海に栄養豊かな河川水が流れ込むよう、森林整備に汗を流す。そのため中学校は、市内の国有林内に設定された「ふれあいの森林」内に「産土の森」を設け、植林や下草刈りなどができるよう、林野庁三陸中部森林管理署と契約を結んだ。
 この充実した内容に感嘆した黄川田さんは、総合学習の特別非常勤講師を引き受け、教師たちとともにカリキュラムを開発した。そして、この学習が大船渡市の「漁業担い手育成事業」の指定を受けるよう提案。北浜養殖ワカメ組合の協力も得て、2002年から総合学習「産土タイム」が始まった。


地域ぐるみの協力体制

 北浜養殖ワカメ組合では、地域の子どもたちのために、ワカメ養殖に最適の好漁場を与えることにし、末崎半島北側の長磯漁場に中学校専用の150メートルの養飲用幹ロープを2本張った。
 種巻き、早探り、本採りと、海で作業を行なうときには、組合員が総出で船を出す。子どもたちを分乗させた船は「末崎中学校」「ふれあいワカメ」と染め抜いたのぼりや校旗を大漁旗のようにはためかせ、大挙して養殖場に向かう。
「足を肩幅の広さに開いて、腿を船の縁に押しつけて踏ん張って。ゴシゴシやらなくとも、鎌の刃を当てるだけで切れる。片手でワカメの根元を持って、反対の手でサッと切るんだ。こうやって」
 昨年2月の早探りでは、北浜地区漁業担い手研究会会長の細川周一さんが手本を示すと、船上に並んだ子どもたちが波に揺れる船の上から上体を乗り出して、ワカメを間引きした。
 そして迎えた3月の本採りの日は、海が荒れたため漁場での収穫を断念。組合員たちが荒ぶる海に乗り出し、作業船で幹ロープを入り江まで運んで、子どもたちに収穫の体験をさせた。
「海がしけると、中学校の棚はだいじょうぶかなって心配するし、漁家体験が近づくと、おやつは何にしようかなって、みんな楽しみにしているんですよ」
 細川さんの妻、とくさんがこう語るように、子どもたちはワカメ養殖の学習を通して多くの人の支援と愛情を受けながら、人は信頼することができ、自分を取り囲む世界は安全だと実感しながら成長する。修学旅行先の東京で販売するワカメは、地域の人々の愛情を受け、自らも心血を注いだ成果なのだ。


熱意と誠意が消費者に届く

 70人の2年生は、4か所に分かれて販売体験をする。下北沢南口商店街にやってきたのは2年B組の生徒たち。Tシャツに着替えた子どもたちは、打ち合わせどおりに動き始めた。女子は売り場に立ち、はっぴを着た男子はチラシと試食用のワカメを手に街路へとくり出す。
 しかし、その動きはまだぎこちなく、「ワカメ、いかがですか」と呼びかける声も小さい。末崎町とはまったく異なる知らない街で、生まれて初めてものを売るのだから無理もない。
 そのうちに、一人、また一人と吸い寄せられるように人だかりができる。「これ、ほんとにあなたたちがつくったの」と聞かれると、かすかに「はい」と答えるだけで、後が続かない。しかし、1袋売れ、2袋売れるうちに自信を持ち始め、次第に大きな声で説明を始める。やがて、体験を通して学んだからこそ、ふるさとの末崎町やワカメ養殖について、どんな質問にも堂々と答えるようになる。
 そして2時間後、予定より1時間も早く、250袋のワカメと、100袋の茎ワカメが売り切れた。自分たちがつくったワカメを完売したという自信は、子どもたちのこれからの人生の支えになるにちがいない。様子を見守っていた吉田さんも、わがことのように喜んでいる。
「懸命にワカメを売る子どもたちから私たち商店街の人間も学ぶことが多い。来年もまた協力したいと思います」
 末崎中学校の取り組みは、農林水産省東北農政局長食育奨励賞など、数多くの賞を受賞している。その栄誉は、子どもたちの学習を支えるすべての人に与えられたものといえる。