「ふるさとづくり'99」掲載
<集団の部>ふるさとづくり振興奨励賞

菜の花で心豊かな地域づくり
秋田県大潟村 大潟村耕心会
 琵琶湖に次ぐ第2の湖だった八郎潟を干拓して誕生した大潟村。大規模農業経営を目指して全国から入植した589戸も入植後すでに30年、後継者に経営を委譲したのを契機に、営農に対するかつての意見の違いを乗り越えて、平成8年に「大潟村耕心会」(代表・荒谷武さん、メンバー175人)を発足。毎年延べ10万人余の観光客を集める「菜の花まつり」の基礎を築く、熟年パワーを生かして地域づくりに取り組んでいる。


「愉しむ会」から一大観光イベントに発展

 耕心会会員175人(男95人、女80人)の年齢は60〜70歳代。一代を築いた自負心は、後継者の仕事につい口も手も出す。会はそれを抑えて、親睦や知識の向上を図り、健康を増進して、環境の美化や心豊かな村づくりを狙いに発足した。
 活動では、初代会長の発案で、「菜の花」で村を花いっぱいにしようということになった。菜の花を選んだ理由は、(1)越冬作物で、かなりの部分機械作業できる、(2)5月初旬に花が開き鮮やかな黄色の花が3週間も楽しめる、(3)作業は農繁期と重ならない、など。しかし、実際に取り組んでみると、天候に左右されたり、雑草の繁茂などが著しく作業は大変だった。
 初年は失敗だったが、平成5年はほぼ思惑通り約1.7ヘクタールの花畑ができ上がり、会員だけの祭りを「愉しむ会」も盛り上がった。それが3年目からは、村の「菜の花まつり」と銘打ったイベントに格上げされ、遊休地を次々に開拓して10ヘクタールにも及ぶ菜の花畑が出現した。7年目頃になると道路や敷地を借りて蒔いた菜の花が一斉に咲き出し、目を上げれば八重桜が開き、その上には黒松の緑、太陽の光りに煌めくポプラと、筆舌に尽くせない美しい光景が醸し出されていた。
8年目に入ると、東京・山手線の電車の広告にも登場。花まつりの最盛期には村内はもとより、遠く秋田市の入口付近まで車の大渋滞が続き、10万人を超える人出を記録した。


大地の贈り物を大切に安らぎの地域づくりを

 活動は、他の分野にも広がっている。平成9年、10年にはネパールに学校と水を贈ろうと、「募金」を始めた。観光客に菜の花を好きなだけ刈り取って貰い、それらの人びとに協力を呼びかけて、趣旨に賛同した人に寄付をお願いして、2年間で30万円を集め、全額を基金として提供した。
 会では、花まつりが終わると50日位で菜種を収穫。5700キロの種を製油所で製油にすると、一番しぼりの極上油が700ミリリッター瓶で2500本も採れた。それを村の全戸に無料で配布した。また、コスモス20アール、ソバ60アールを栽培し、ソバは収穫後、そば打ちをして試食会を開いたり、老人クラブの忘年会に200食を無料で提供して喜ばれている。現代は、先の見えない混沌とした時代だが、大地の生産物こそ人間への最高の贈り物であることを知ってもらい、大潟村を訪れるとなぜかホッとする言われるような安らぎの地域づくりが会の願いだ。