「ふるさとづくり'98」掲載
<個人の部>ふるさとづくり振興奨励賞

山村留学で地域に活気を取り戻す
和歌山県かつらぎ町 浦 正造
 過疎化が進み、とうとう小学校が廃校になる。「小学校の灯を消すな」と、和歌山県かつらぎ町新城地区では山村留学に取り組み始めた。浦正造さんは15年間その先頭に立ち、住民と子どもたちとのかけ橋になってきた。長い活動を通じて卒業生と里親、先生との交流も生まれ、過疎のまちに活気がもどってきた。


小学校の灯を消すな

 和歌山県の北部、霊峰高野山の中腹に位置する新城地区は、昭和30年代をピークに過疎化の一途をたどっていた。当然子どもの数も減り続け、昭和56年にはついに児童数は5人となり、新城小学校は存亡の危機に立たされた。学校がなくなれば、今よりも地域に若い人が定住しなくなる。そこで「小学校の灯を消すな」と立ち上がったのは、区長に就任したばかりの浦正造さんであった。地区住民たちと数々の議論を経て、里親運動を推進。昭和57年から都会の子どもたち12人の留学生を受け入れ、山村留学がスタートした。
 新城地区の大人たちは「体力と自立心を身につけ、他人の立場を理解できる子に育ってほしい」と、地域ぐるみで都会からの子どもを預かり、見守っている。都会の子どもたちは自然に囲まれた環境で、日頃の「ファミコン漬け」の遊びとはかけ離れた”遊び”を満喫している。野苺摘みや川遊び、探険ごっこと日の暮れるのを忘れて遊んだ記憶が、卒業してからも留学生たちの足を新城地区へと運ばせる。山村留学の制度が始まって15年。留学体験者は延べ250人を数えた。新城小学校を母校とする卒業生たちは、夏休みや運動会などに新城へ”里帰り”し、里親や先生との交流を楽しんでいく。


全国の山村留学実施校との交流を目指して

 新城の山村留学に里親は欠かせない存在だ。しかし15年の間に高齢化が進み、里親が減少してきた。そこで浦さんは留学生をまとめて受け入れる「山村留学センター」の誘致を試みる。昭和63年に完成したこのセンターで、浦さんは平成4年からセンター長を勤め、現在も10数名の子どもたちを預かっている。また、全国山村留学推進連絡協議会の会長として、全国の山村留学実施校の交流を推進し、その発展を目指している。
 豊かな自然環境と暖かい人間関係が残っている田舎の暮らしが、子どもたちを心の豊かな人へと成長させるのに役立つ。これが浦さんの信念だ。子どもたちから「おっちやん」と慕われ続ける浦さんのこの信念は、新しい定住者を呼び、地元の児童数が増えるという形でも実を結びつつある。