「ふるさとづくり'98」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり賞 内閣官房長官賞

農村集落における活動計画づくり
新潟県 小国町
事業の経緯

 新潟県小国町は、日本海側特有の典型的な豪雪中山間農村地域である。過疎地域、山村振興地域、特別豪雪地域の指定をそれぞれ受けている。人口は8000弱で、若年層を中心に滅少している。稲作を主体とした農業の他に産業は少なく、周辺都市への通勤兼業化が進展している。
 平地部集落は相対的に安定しているものの、通勤がやや困難になる山間部集落での住民の安定対策が大きな課題である。道路整備や冬期間の除雪体制の充実などの生活環境の整備の他、とくに山間部集落では、地域資源や自然環境を生かした振興策が模索され、空き民家の活用事業、閉校小学校校舎の活用事業、さらには大規模畜産経営を生かしたステーキハウスなど、いずれも地元集落が組織する組合が管理運営する取り組みを実施している。『集落計画作成事業支援要網』は集落が自助自立の精神のもとに地域の現状や問題点、課題を明らかにし、課題解決の方向と将来のビジョンなどを内容とした「集落計画」を作成し、住民自身が行動するための計画づくりを行うことに対し、町が必要な支援を行うというものである。事業主体は集落の合意により組織された集団と定め、町は計画策定経費として、20万円を限度に交付をし、計画作成協力者として集落担当職員を指名し、ファシリテーターとして支援に当たらせる。事業期間は原則として単年度である。計画の進行管理にも配慮がなされ、策定された計画項目の中から、100万円を限度に助成を行う1集落1事業補助金交付要網』も同時に施行された。事業内容はハードでもソフトでもどちらでもよいこととなっている。
 町ではこうした集落活動計画づくり(以下、計画づくりと略す)の目的として次の4つを掲げている。(1)集落の住民が集落の問題・課題に取り組む、(2)集落の将来のイメージを集落のみんながもつ、(3)自らの手で作った集落計画を町の基本計画に反映させる、(4)結果的に住民総参加の町づくりを進める。
 計画づくりの制度化の背景には、前述したように地域振興事業の円滑な導入があるが、さらに言えば、(1)農業の兼業化や生活の都市化が進行し、住民の共同・連帯の機会が減少したこと、(2)その結果として、住民がさまざまな考えや価値観をもち集落の合意形成が次第に難しくなってきたこと、(3)農業・農村整備計画が一般に国→農政局→県→市町村→集落(住民)というトップダウンで行われ、整備内容の画一化とともに住民の行政依存傾向が強まった、という状況を改革することが真の意味での地域づくりに結びつくという考え方である。


計画づくりのプロセス

 計画づくりのプロセスは、細部については各集落の裁量に委ねられるが、策定手法については、ガイドラインを示している。具体的には、まず、(1)住民自身によって集落の診断を行う。そのための手法としては、アンケート調査(これも住民自身が行う)、環境点検(「歩こう会」等、身の回りの環境を見直すイベント)、問題点やその対策などを話し合う座談会、(2)集落の将来像、計画目標の策定、(3)将来像に向かっての基本的方針、活動指針の設定、さらに、(4)方針、指針に沿った具体的な活動項目の設定、という手順で行うのである。これらの結果を最終的に計画書にまとめ、町に提出すると同時に、集落総会で承認の決議を行った後、計画書を各世帯に配布して計画内容を周知するのである。


計画づくりの展開

 要網の施行された初年度の92年には、10集落、93年は12集落、 94年は1集落、96年は4集落がそれぞれ計画づくりに取り組んだ。制度施行前に実験的に取り組んだ3集落のうち2集落は改めて計画づくりを行い、町内33集落のうち97年4月現在で27集落が集団計画をもったこととなる。いずれも集落総会において事業実施を決議し、計画推進委員会等を組織して計画づくりにあたっている。
 発意は集落役員が行っており、計画づくりは自主的なものである。委員選出のしかたはバラエティであるが、既存の同一年齢階層からなる親睦集団や地縁集団(青年会、育成会、婦人会、老人クラブ等)の代表、集落役員など多様な年齢階層からの委員選出、女性委員の確保、事務局への30〜40歳台中堅層の就任などは共通しているが、高齢化した山間部集落の場合は必ずしもあてはまらない。
 各集落の計画づくりのプロセスはガイドラインにおおむね沿った形で進められている。資料の収集、歩こう会、点検地図づくりや座談会、アンケート調査はほぼ全集落で取り組まれ、一部の集落では先進地視察も行われた。こうした手法は画一的に取り組まれたわけではなく、例えば環境点検を道普請のような集落共同作業や子供会の活動の一貫として行う等、集落ごとの創意工夫が見られる。計画づくりを特別のこととしてではなく、従来からの集落の習慣になじませて行う姿勢が見て取れる。
 計画項目は、総会での承認や各世帯への計画書配布を経ていることもあり、多額の事業費がかかるもの等を除けば、おおむね多くが実践に移されているが、集落ごとの計画の進行管理への関心の強さに左右されているのが実態である。計画策定組織は、策定委負会から実行委員会に移行するなど、事業実施に向けた組織改変がされ、解散した場合も集落が引き継いで、自治会活動として実施に取り組む体制をとっている。
 なお、計画策定組織がそのまま景観形成委員会という名称で集落内組織として機能している事例もある。1集落1事業の実施は、93年度4集落、94年度4集落、95年度4集落、96年度3集落が取り組んだ。その内容は、集落背後の丘陵部遊歩道・展望台の整備、集落の案内看板設置、名水湧出場所の整備、公園・旧城跡の整備などである。なお、相野原集落では県の事業「農村アメニティ・モデル育成支援事業」の指定も受けて、計画づくりをこれと相乗りで行った。法末集落も同じく県の「林業集落オアシス整備事業」の指定を受け、策定された計画内容が実現される運びとなった。また、法未集落では計画づくりの中から、都市農村交流を通じて集落内の農地を保全していく営農組織が結成され、特定農地貸付事業など交流活動を開始している。
 このように、住民参加の計画づくりが県の事業と連動したり、地域振興に結びついていることは計画が確実に生かされているといえる。


今後の課題

 町側は、住民参加による計画づくりの予想される成果を4点にまとめている。(1)住民が主体的に町づくりに参加することが出来る、(2)埋もれた地域資源の発掘や活用が可能となる、(3)活動を通じて地域リーダー育成が出来る、(4)自らの創意工夫やアイデアをもって地域づくりが出来るなどである。住民の連帯・共同の場面を新たに作り出し、そこで自らの集落の将来像を共有することをめざして、個性ある計画づくりを行うとともに、住民の自主性、自立性を高めるということに、計画づくりの本当のねらいがあるといえる。そして、実際の展開から判断して、町の計画づくりは、兼業化等により弛緩しつつある自治組織としての集落の枠組みを、ハード面及びソフト面を含んだ幅広い環境整備の取り組みを通じて再編成し、住民の意識を活性化させているといえる。
 計画づくりに際してとらえたさまざまな住民参加の手法は、環境点検、アンケート、座談会などであり、目新しいものではないが、住民評価からは自らの環境の見通し効果、将来の展望効果、共同作業機会の創出効果を持ったと見なすことが出来る。
 当初は集落間の競争意識もはたらき、計画づくりへの気運が盛り上がったことも、付随的な効果であった。そして、住民参加の実施性については、(1)広範な住民の参加が見られ、かつ支持されていること、(2)取り組みは集落の自主的な判断に基づいていること、(3)住民要求が計画に反映されていること、(4)計画が実践に移されていること、(5)策定後の年数経過がわずかであるために早計な判断は出来ないが、住民意識の面からは継続を指向する傾向を持つこと、などから当初の制度化の意図は十分に達成されつつあると考える。それと同時にいくつかの課題が今後に残されている。
 まず、さまざまな努力を払ったものの、依然として旧来の集落運営の習慣が残っていると見られることである。具体的には世帯主層や地付き層が計画づくりの中心的な担い手となっており、若年層、女性層の参加が相対的に弱い。彼らを計画づくりにどう引き込み活用するかが重要である。こうした観点からの集落診断やビジョンづくりの新たな手法の開発も求められる。
 第2に、集落活動計画の町総合計画(基本構想・計画)ヘの反映のさせ方である。95年が96年度からの総合計画の策定であったため、総合計画の中に明確なかたちで集落活動計画が位置づけられることとなったが、住民の計画づくりに注がれたエネルギーや関心をいかに持続させるかというアフターケアにつながる課題でもある。
 第3に、計画づくりの目的のひとつに地域リーダーの育成があることに鑑み、計画づくりの作業に当たった町役場職員も含めた中心的担い手層を引き続き組織化していくことである。計画書に盛り込まれた内容は住民自らが主体的に実現に向けて努力することが基本であるとはいえ、そこから住民の二−ズを汲み取った町自らの課題としていく姿勢が必要になってくる。
 ともあれ、集落レベルの計画づくりを積み上げて町の総含計画と連動させ、しかもそれを継続的なものとする町づくりシステムの構築がめざすべき姿である。