「ふるさとづくり'98」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞 主催者賞

郷土和歌山を題材にした絵本づくり
和歌山県和歌山市 わかやま絵本の会
不思議で面白いところ

 わかやま絵本の会の発足は、1985年4月、今から12年前になる。
 結成当時のメンバーは6人、郷土史を勉強している人、民話を研究している人、デザイナー、画家、それに幼い子どもをもつ母親など、絵本づくりに欠かせない熱い思いと知恵や技術の提供者が揃っていた。
 メンバーそれぞれ、和歌山の風土が育てた文化の多様さや、待異さ、奥深さに興味を抱いており、何かの方法でそれらを発掘し、紹介したいという思いがあった。
 とくに、和歌山という士地で生まれ語り継がれてきた伝説や昔話を、次の世代を担う子どもたちに、絵本のかたちで伝えたいという強い願いで、わかやま絵本の会が出発したのである。
 絵本には、子どもたちにふるさとの文化を愛し、誇りをもって引き継いでもらいたいとの思いで、「和歌山は、たくさんの不思議で埋まっていて、とても面白いところだ」というメッセージが込められている。
 メンバーが、12年間和歌山県内を巡り歩き、言えることは「おはなし」の掘り起こしをしてきて、「和歌山」はいよいよ興味の尽きない面白い「くに」である、という思いにいたっており、作り手の「わくわくする気持」は今も続いているのである。


本だけでなくカルタなども

 絵本の発行は、年4回、第1回の『ふしぎなひょうたん』1986年3月)に始まり、今年6月1日『和歌山ぐるり1周おはなし双六』の発行で、別冊を含め61冊目になる。内容は、和歌曲の民話や昔話はもちろん、埋もれている郷土の話、消えつつある伝承文化、心に残る実話、偉人伝などである。
 また、絵本の形をとらず、カルタ、双六、紙芝居で発行することもある。会は当初から、会員を募つての会費制で、会費は1000円、会員100人からの出発だった。
 現在は会員150人で、一時多いときには360人を数えたが、絵本を書店に置くようになって半減した。
 年会費は3000円(入会金不要)で、絵本と会報の印刷代、発送費など、会の運営にあてている。
 会員には、年4回の会報『こどもわかやま』といっしょに絵本を配本。


社会的な反響が広がる

 8年目を迎えた1993年、この絵本製作活動が認められ、和歌山市青年会議所から「アゼリア賞」を贈られた。
 この時の賞金を元に、当会としては大作の『えほん南方熊楠十二支ばなし』を発刊したのだが、熊楠ブームとタイミングがあったこともあって、人気を呼び、版を重ねることとなった。
 絵本の発行ごとに、題材にとりあげた地域でそれぞれ反響があったが、それにとどまらず、地域をこえて予想外の手応えがかえって来ることもあり、新しいネットワークが徐々に広がっていき、ますます会の活動が充実していった。
 例を挙げると、
・1992年発刊『ツキノワグマ太郎』は実話だが、この絵本の発刊と時を同じくして、和歌山猟友会は3年間の捕獲自粛を決めた。
 また、1994年には環境庁が「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」でクマ捕獲の禁止をきめるなど、絵本の発刊が鳥獣の保護に関心を高めることに役立ったと自負している。
 その太郎は、絵本発刊当時に行き先を心配されていたが、現在生石高原の山田牧場に引き取られ、京都愛岩山で保護された健太とともに七歳を迎え、元気な日々を送っている。
・音楽の授業の中で取り上げられたのは「てんじんざきのしようじよう」1993年。和歌山大学付属小学校4年生の児童たちは、本文をナレーションに使いながら、笛の音と見事な構成により演奏した。
・『ユンちやん』(1995年)は在日朝鮮人問題を扱った作晶だが、各地の小学校、中学校のサブテキストとして役立っている。
・1995年3月発行『私の家は梅農家』は、梅栽培の農家の1年の暮らしを追ったはなしだが、これはタイトルがそのまま商品名になるなど、地場産業のPRに役立っている。
・1995年発行『華岡青洲』は現在、和歌山エスペラントクラブの人たちによって、エスペラント語、英語、中国語の三か国語に訳され、今夏7月1日発刊が予定されている。
・1995年2月に発行した『和歌山県50市町村おはなしカルタ』の取材は、50市町村の教育委員会に協力をお願いしたのだが、ここで多くの縁をいただき、その一つに中津村とのつながりが挙げられる。
 カルタの製作技術に着目された中津村教育委員会の委員の方から、中津村出身の元緑時代の歌舞伎役者「芳沢あやめ」の絵本製作の打診があった。
 これが翌1996年2月『日本一の女形−芳沢あやめ』(中津村発行)のカラー印制による絵本の誕生につながったのである。
・「稲むらの火−浜口梧陵のはなし」、『華岡青洲』とも(1995年発行)和歌山市内の数校で副読本として採用され、小学校4年生の授業で活用されている。
・1996年6月『天狗がたてたお寺』は、由良町興国寺の天狗伝説を描いたものだが、英語と中国語訳付きの『KAI SAN』(禅宗一興国寺発行)となり、興国寺の僧たちによって、アメリカや中国へ布教の際、携えられていくときく。
・高野山奥の院、おてるの法灯のはなしを『貧女の一燈』として発行したのは、1996年9月だが、これが縁となり『仏舎利請来の旅』が1997年4月(高野山−普賢院)からの発刊につながった。
 以上のような反響に接していると、自分たちが続けてきた活動の波紋が広がるたびに、新たに社会的な意味を見いだすとともに、何より次の作品への意欲が湧いて来るのである。


会員の支えとスタッフの情熱で

 しかし、この会の出発が「県内の子どもたちに和歌山の面自さを知ってもらい、郷土愛にめざめてほしい」という思いからだったが、なかなか隅々まで絵本が届けられないという悩みが続いている。
 会員を増やすということにも限界があり、スーパーや、コンビニ、道の駅(建設省)、神社や寺院の一角に「わかやま絵本」コーナーが出来たらと願っている。
 年会費の3000円で、年4回絵本の発行というのを、不可能という人も多いが、これは印制までのほとんどの作業、例えばレイアウト、写真指定、版下作りまで会員が協力してやってしまえるからである。
 また、出来た絵本の配達や集金まで、自分たちでやっている。
 21冊目の『だれかのおかげ』までは、メンバーが集まって製本作業もした。
 会費と一般への売上げ代金を運用しながら、12年も活動を続けて来られたのは、結成当時からの会員の支えと、スタッフの変わることのない情熱によるものといえよう。


地域に密着した活動を今後も

 県内を歩いて採話したものの集大成は、1995年11月に発行した『和歌山県50市町村おはなしカルタ』として発表したが、ここで使いきれなかったものを、今年は『和歌山県ぐるり一周おはなし双六』にまとめた。
 また、和歌山には先に書いたように、各所に尽きずに湧きだす「おはなし」の泉があって、当会の活動もやみようがないのである。
 この先の予定として来年度は、『おはなしのたび−紀の川』、『おはなしの旅−熊野古道』を作りたいと計画している。
 これからも絵本を通じ、次代を担う子どもたちのため活動を進めるとともに、和歌山のふるさとづくりのため、地域に密着した地道な活動を続けていきたいと、メンバー一同話し合っている。