「ふるさとづくり'98」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞 主催者賞

地に命、子どもに明るい未来を
静岡県佐久間町 エコピュア佐久間
 当番の2人が乗り込んだ生ゴミ回収車が1人暮らしのおばあちゃんの家に着く。玄関先に出ている生ゴミを積み込んでいると、Kさんが顔を出して深々と頭を下げた。
 「いつもありがとうございます。1週間も息子のところへ行って来ました」
 先週は留守だったので、体調でもくずされたかと心配していたところだった。「よかった。よかった。息子さんも元気でしたか」などとしばらく手を休めて話し相手をする。
 向かいのおじいちゃんが笑顔で玄開先に立っている。やはり独り暮らしである。
 「こんどはゴミが溜まらなかったからね3日ばかり風邪で入院してたもんでね」と、ことわりをいう。
 生ゴミ(台所ゴミ)の回収は「愛の1声運動」でもある。何を話しても返事をしてくれないテレビと暮らすのは寂しいという。こうして待っていてくれると思うと、私たちもつい楽しくなってきてしまうのである。


子どもたちに自然と旬の味を

 ここは静岡県の佐久間町。佐久間ダムの名で知られてはいるが、ご多分にもれず過疎の山村である。その浦川地区、昔は信州とをつなぐ街道宿で今も農村歌舞伎が残るなど、歴史と文化の色濃い地区である。いま829世帯、高齢化率も34%に達している。
 そんな町に生まれた「エコピュア佐久間」は、定年退職した教師や現役の理容師、主婦など平均年齢60歳の9人がメンバーである。
 それがまた、何で本来行政の役目である生ゴミの回収にまで、手を染めることになってしまったのか。
 それというのも、末来の子どもたちに豊かな自然を残してやりたい。もっと旬の味を味あわせてやりたい。そんな思いを抱く同志が集まって「ベジタブルパーク」なる夢を語り合ったことから始まったのであった。
 子どもたちが自由に畑を歩き、作物に触り、収穫の喜びを体中で受けとめることができる農園、自然の中でみんなで楽しく調埋してホンモノの自然の味と食べ物を生産することの尊さを実感できる遊学体験農園、それが「ベジタプルパーク」の夢なのである。


やるしかない、行動だ

 折りも折、平成5年にEM菌によるボカシで、生ゴミ滅量の循環型社会を創り出そうというリサイクル農法に出会った。
 さっそく実験してみると、わが家は夫と私、それに長男夫婦と孫たちの6人家族だが、およそ5日ごとに5キログラムの「ボカシ和え」ができることがわかった。1か月で約30キロ、1年間で360キログラムとなる計算である。これがすこぶる良質な有機肥料となるというのだから、捨ててしまうなどとんでもないということがわかった。
 ひるがえって平成4年度、佐久間町のゴミ処理費は5711万円であった。ゴミの量は1780トンであるから、1トン当たりの処理費は32000円ということになる。
 もし生ゴミ処理を自分たちの手で行ったら、なんと1戸当たり年間およそ1万日の町費の節約につながるではないか。
 自分たちの農園の肥料を自家生産できるばかりではない。これを町内に広めればゴミの減量に役立ち、同時にそれぞれの家の自家菜園で新鮮で安全でおいしい野菜を作ることができる。そればかりか、ささやかではあっても地球環境の保護に役立ち、何よりも地域の人たちに環境について考えるきっかけを与えることになるに違いない。
 「これはやるしかない!」かくして、この実証と確信を基盤に私たちの活動計画は実践に移されたのであった。


思わぬ広がり・ボランティアの充実感

 生ゴミ滅量運動に不可欠なボカシは、私たちで生産することとした。材料のモミ殻は米の収穫期に1年分を確保した。糖蜜など若干の必要資材は購入しなければならない。
 平成6年度、40世帯から始まった生ゴミ滅量運動は年毎に広がり、今や130世帯にのぼっている。自家処理が可能な希望者に必要量が供給できるよう、ボカシの生産(実費頒布)に追われているこの頃である。
 生ゴミが自家処理できない非農家22世帯は、希望によって私たちが回収することにした。こうして毎週月曜日に、はからずも冒頭に記したような風景が展開することとなったのである。副次的効果とはいえ地域福祉にも貢献でき、お年寄りに感謝されることは、私たちの喜びをも倍加させるものであった。
 用具も場所もみんな会員の持ち寄りで始めたボカシ生産は、地球を大切にする循環型社会の構築のために小さな一歩から出発したボランティアの扉である。
 プリキのバケツにマジックで目盛りを書いた計量器も、何回となく太く細く塗り替えられていく。会員の両手のぬくもりに触れながらボカシは年間およそ1トン生産されている。
 そして生ゴミは10リットル入り密閉容器(約5キロ)で1か月およそ100個を回収する。毎週回収した生ゴミにボカシを加えて保管庫に並べると、1か月寝かせたボカシ和えを農園に肥料として埋め処理をする。そして空容器を洗浄して太陽に干す。来過のリース用として回収時に持参し、生ゴミ入り容器と交換する仕組みである。
 生ゴミは毎年6トン余りが回収され、良質な有機肥料としてリサイクルされている。
 「重いな!」「こんなにご飯が!」・・生ゴミの中から出てくる食べ残りの何ともったいないこと、「ものを無駄にしない」「食べ残しをしないように食事を作ろう」作業を通じてゴミ滅量の基本を学び、大切な本質が見えてくる思いである。


手応えあり農園のコミュニティ

 平成6年4月に借用した960平方メートルの荒れた休耕田は、1年間の生ゴミボカシ和えの投入によって肥沃な農地に変身した。明けて3月、第1回のじゃがいも植えが実施できた。小学生、中学生、幼児とお母さん、自主的にボランティア参加してくださった近所の農家のおばあちゃんたち70名が早春の畑に集まった。まさに地域を巻き込んだ遊学体験農園の幕開けである。
 中学生が元農業指導員の講師に教わった通り、細心の注意をはらいながら種芋を切っている。小学生は切り口が腐らないように木灰をまぶす。異年齢の子どもたちが一畝ごとにグループにまとまって手際よく作業を進めている。
 2年目のじゃがいも植えは、地域の栄養士を招いて、野草昼食会を加えて実施した。作業の後の野草摘みも楽しかった。摘んだ野草を会員の手で天ぷらにして、おさくらのご飯で昼食会である。「おかわりしてもいい?」太陽の下で談笑しながら地域の輸がつながってゆく確かな手応えをおぼえた。
 あるおばあちゃんは、孫が東京にいる母親に電話しているようすをそのまま話してくれた。
 「おかあさん、じゃがいも植えたの。私はじめてやったの」「お母さん、じゃがいもの植え方知っている?私おぼえたからお家に帰ったら教えてあげるね」
 秋のとうもろこしの収穫祭は、伝えで夏休みに帰郷した親子連れも加わり大盛況であった。自然栽培の「地の恵み」、甘くやわらかいとうもろこしの味は地域コミュニティの味そのものといえる。
 大根の種蒔きをした後のこと、学校帰りに自宅の前で出会った小学生2人が「おばさん、私たちが蒔いた大根の芽が出たかね?」と尋ねる。体験会に参加した子どもたちが発芽に関心を持っていたことに感動した私は「今すぐ畑に見に行こう」と車で走る。
 「これ私が蒔いたところ!」
 「二葉じゃん、かわいい!」
 二葉をなで、畝を走り回って観察している。
 トマトも黄色い小さな花を咲かせ始めた。150本のトマトが真っ赤に熟れた頃、また夏休みの親子連れが朝露を踏んでもぎ取りに来るだろう。カラスや穴熊の防護対策もしなければならぬ。おかげでトイレや水道の設置は各方面のご援助によって解決した。


豊かな自然の中に見つけた豊かな人生

 ボランティア活動は「静かな教育改革」といった人があった。とうもろこしの種蒔きに参加した中学生、高校生が「こんなに楽しいことをして、私は何をしに来たのかしら。ボランティアじゃなくて遊びに来たみたい」といっていた。彼女たちも地域や社会の役に立ったことを実感して、充実感・満足感を味わっているようであった。大人もまた同じである。
 週休2日制に続いて2003年には完全学校5日制が計画されている。私たちのベジタブルパーク構想は、その体験を通じて人間の成長と自立にいろいろな形で貢献できる可能性があると思えるようになった。
 私たちは心の豊かな人生をひとつ見つけた。思えば、こんな活動は自然に恵まれた、いいかえれば過疎と呼ばれる地域だからこそできた特権かも知れない。沢山のことを頂けたのかも知れない。
 私たちは私たちの町を誇りとし、元気を出して、土づくり、栽培、収穫、流通、交流が融合した独自のベジタブルパークを住民参加で創り出したい。
 会の名前はそんな頼いをこめてエコロジーとピュアをもじったものである。