「ふるさとづくり'97」掲載
<集団の部>ふるさとづくり大賞 内閣総理大臣賞

市民参加の防災まちづくり
東京都国分寺市 高木町生活会議
 JR中央線国立駅北口から駅前通りを北西へ向かい、さらに稲荷坂を上りきった台地の先から高木町が始まります。現在人口2,600人、面積35.4ヘクタールでその主たるものは住居用地13.9ヘクタール、農業地12.5ヘクタール、そして若干の商業地等となっています。これからもわかるように、住宅地と農業用地の面積はほぼ同じであり、地区内の農地が緑の空間をつくり住環境の維持や、防災面で大きく役立っています。そして住宅地は、大部分が1戸建です。


宮城沖地震を教訓に

 宅地化の始まった昭和30年代は、ガス、水道もなく、バスも通らず、その後のけやき台団地(西町)の造成を契機として遂次整備され、それと共に地区の宅地化が、急速に進みました。同時期に、自治会が誕生し活動を始めました。会員は現在約700世帯、60班に分かれ各々に班長をおき、毎月の定例会(班長会)の場で、まちづくりの課題について意見を述べまた、協力し合うなかで運営しています。
 高木町自治会が「防災まちづくり」に取り組むようになったのは、昭和53年(1978年)の宮城沖地震で、ブロック塀倒壊により、子どもの死亡が報道された時からです。そして、定例会においてブロック塀の危険はないのか検討されました。
 この時、個人としても、地域としても、安全の大切さを裏打ちされた建物づくり、まちづくりに取り組む必要があることを真剣に考えました。そんな時、国分寺市で防災学校が開校され、「災害に強いまちづくり」の勉強が始まりました。年10回の受講で、受講後は、市民防災推進委員の認定を受けます。これは、自主的に受けるものです。昭和54年以降、会長はじめ自治会役員が受講し、町内の有志にも受講を進めました。この学校で学ぶなかで、地域の環境に目を向けるようになり、今では受講者が50人を越しています。この人たちを中心に、自治会の中に防災部を設置して毎月の自治会定例会(班長会議)の場にはかりながら活動しています。
 昭和56年高木町自治会は、市との間で協力共同して防災まちづくりを進めるための「国分寺市防災まちづくり推進地区」の協定を締結し、住民が中心となって災害に強いまちづくりを進めていくことになりました。毎月の定例会で、防災問題で「できることは何か」を考え、高木町で起こりうる地震災害やその影響などを「災害危機地図」としてまとめました。また、57年には、高木町のかかえるさまざまな課題に対応する上で活動体制の充実が必要となり、防災部に4つの専門部門(情報連絡係、環境改善係、防火対策係、救護対策係)を置き役割分担を明確にしました。また、この時期会長の私が東京都新生活運動協会の推進委員であり、自治会長でもあったので、都新生活運動協会に防災を主とした、高木町生活会議(代表・熊谷政子)運動集団として加入しました。


塀にこだわり

 まず、高木町が塀にこだわり、まちづくりの中心に塀をすえて活動してきたのは、住環境の中で人目にふれ易く、比較的改善の機会も多いこと、それが防災意識を高めるのに役立つのではないかと考えたことによります。
 塀の危険度調査、アンケート等を行うなかで、自主的に改善された家があると、すぐ訪問し写真を撮り、改善費用等を聞き、年6回出す各戸配布のまちづくり通信に載せPRしました。これを繰り返すうちに、塀づくりの目安等を作りたいといったニーズもあり、これに応えるために、「塀の憲章」が作られました。まちの中にある、6つの住居案内板の下にこれを掲げ、人目にもふれやすくしました。その後も、安全性と美観を備えた塀ができると、随時紹介するようにしています。
 61、62年には、東京都と国分寺市から助成を受け、八幡神社境内の周囲150メートルにわたり、防災モデルの生け垣をつくりました。緑豊かで、火に強い樹種を選び、氏子の方々が総出で植樹し、その後も成長に応じて剪定をしております。


高木町「へいづくり憲章」

 高木町に住む私たち住民は、安全で住みよいまち、心の通いあう地域社会を築くため、つぎのような“へいづくり”をめざします。
一、緑豊かな町を生け垣で守りましょう。
二、お隣と会話のできるへいにしましょう。
三、歩行者の安全を考えたへいにしましょう。
四、子供の命を守るへいにしましょう。
五、町並みの美しさを考えてへいをつくりましょう。
 63年に再び塀のアンケートを実施した結果、自分の家の塀は憲章にそっているという自己評価が53%あり、塀に関する意識の高まりを感じました。そして次第にまちのあちこちで重量塀が花壇や生け垣、フェンスなどに変わって行く姿が目につくようになりました。
 平成3年には、たまたま開発していた建て売り業者と話し合いをもち、先方に、塀づくり憲章の主旨をご理解いただいた結果、塀のない家並みづくりも誕生しています。これは道幅4メートル程度の地域における、今後の家の建て方の示唆に富んだ参考例になると考えています。このように、10数年の防災まちづくり活動を通じて、高木町の塀が防災上も景観的にも良い方向に変わってきたことは、本当にうれしいことです。
 道路に面した塀は、通行者の安全やまちの環境を大きく左右しています。個人所有の塀であっても、公共性をもっているという意識をもって、今後ともまちづくりの大きな課題の1つとしていきたいと思います。


情報誌の発行・イベント通じ

 なお、防災部を設置してから継続して実施してきた主な活動や行事はつぎのとおりです。
 ◇「防災まちづくり通信」の発行(年6回)さまざまな行事開催のお知らせや活動結果の報告、まちづくりに関する情報や知識の普及を目的として各戸に配布。現在(8年6月)まで89号を発行しました。
 ◇町の安全管理
 つねに町内を防災面で良好に保つため、町内の環境点検、街頭消火器の保守点検、家庭用消火器の斡旋、自治会防災倉庫の整理などを毎年行って、改善や啓発を進めています。
 ◇退避所の設置
 高木町には、市の一時避難場所(第三中学校)があります。しかし、実際の災害にはより身近な所で一時的に身を寄せたり、余震に備えたり、情報交換をする場が必要です。そこで農家の方々の好意で、町内6カ所の農地を災害時退避所と定め、表示板を立てて知らせています。
 ◇まちづくり学習会と研修会
 防災まちづくりは、町の環境を知ることからはじまります。さまざまな調査や話し合いを通じて、高木町の課題は道路や公園など地域施設の整備、畑や樹林地の将来、家屋相互の近接、そして塀の安全化などの問題のあることが分りました。こうした課題について地域としての考え方をまとめるために、学習会を重ね、また、各地のまちづくりを1日がかりで見聞し、その成果が「へいづくり」また後で述べる「まちづくり宣言」として実りました。
 ◇救急救護の講習会
 消防署の指導により59年以来、三角巾の使用法、心肺そ生法などの講習を定例会の会場を利用して行っています。平成6年度から「救命技能認定書」制度ができ、認定を受けた人は部員は全員、さらに一般にも普及しています。
 ◇子ども広場・ファミリー広場
 昭和60年から、地域の子どもたちを対象に“子ども広場”を企画し、八幡神社の境内で初めて実施しました。これは、ふだん“火”に触れることや扱うことの少ない子どもたちに防災意識や安全知識を伝えていくため、子ども同志のふれあいの機会や遊びの場を通じて身につけてもらおうと計画したものです。地元の古老による水鉄砲作り、防災部員による折り紙やアクセサリーづくり、また、非常炊き出しでは、子どもにも火を燃やす体験をさせ、おにぎり、豚汁をつくって参加者全員で食事。午後は、枯れ草や古材を燃やし焼き芋づくり。火の始末は手製の「水袋」を使っての初期消火の練習で終わります。  最近では、子どもの生活スタイルの変化に合わせ、平成4年から“家族で楽しめ、役に立つ防災子ども広場・ファミリー広場”を消防署、小学校のPTA有志の応援を得、まちにある「けやき幼稚園」の園庭を借り、ミニ運動会形式へと発展しています。ここでは、家族で正しい防災知識が習得できるように年代に合わせ工夫した防災ゲーム、そして、より実践的な防災普及を目指して家族のだれもが緊急事態に対応できるよう、子ども、大人、高齢者の3人1組での防災競技です。それは、119番通報、消火器の扱い方、三角巾等による応急手当ての役割分担で、その正確さ、機敏さを競います。
 また、他地区のまつり等にも防災普及の好機と考え、積極的に参加しています。防災の普及は「普段の地域活動の中で」が私たちのもう1つのテーマです。


高木町「まちづくり宣言」

 平成7年、わが町の誇る「へいづくり憲章」に続いて「高木町まちづくり宣言」が決定しました。やっと「まちづくり」の1つの節目を迎えることができ喜びと安堵感を味わっています。防災部設立以来10年、「防災に強い町」とはどんな町か、「安全で住みよい町」にするためにはどんな考え方が必要なのか、まちづくりをどう進めてゆくのが良いか等を話し合い、できることから実践してきました。市の担当課職員や専門講師を迎えての勉強会、他地区の事例研究などを積み重ねて理解を深めながら、「施設」づくりよりも住民本位のまちづくり意識を根づかせたいと努力してきました。幸い、長年の活動の間に住民にもまちづくりへの関心、住環境を考える意識が浸透してきたように思われました。
 そこで、平成6年、今までの防災部の活動を振り返るとともに、高木町のもつ特性、問題点を明確にし、今後の方向づけをするという目的を「まちづくり宣言」としてまとめようという意識が強まりました。こうした話し合いを進めている最中に、あの阪神淡路大震災が起こりました。経験したことのない大震災の恐怖の一方で、私たちがこれまで防災について考え活動してきた方向と内容は、間違っていなかったという自信も強まり、一気に「まちづくり宣言」取り組む気運が高まりました。
 まず、定例会で趣旨説明を行い、防災部に「まちづくり宣言」案作成が一任されました。以来、何度も部会を開き、宣言に盛り込む内容やその表現の1つひとつを慎重に添削し吟味を重ねました。専門家、市職員にも加わって頂き、宣言の内容は「建物、道路、農地、住民の和、住民のマナー、まちづくりの継承」が、納得のゆくまでつづけられた結果、8項目からなり、簡単な前文をつけて「高木町まちづくり宣言」の案ができ上がったのです。平成7年5月の自治会定例会に提出し、全員賛成で決議されました。私たちは、これを高木町のまちづくりの新たな段階と位置づけ、形だけの「まちづくり宣言」に終わらないようにしたいと考えています。


安全なまちの実現を

 国分寺市で取り組んでいる防災まちづくりは、地域目標である“安全で住みよいまち”像の内容を地域活動を通じて明らかにし、地域合意と行政との共同によって具体化して行うとしています。高木町は、地域としてその対象の第1号として指定を受け、行政と住民が協力して、災害に強いまち(環境)づくりと災害に強い市民(人)づくりを推進してきました。第1号とあって、なかなか歩みは遅く、できることは何かを追求する中で、やっと「まちづくり宣言」にたどりついたことは、まちの将来像を多角的に表現したもので、町のあり方と市民生活が、“地域像”として描写されている点において、評価されました。
 これからの高木町としては、8項目の具体化を、地域住民と共に、無理をせず、何を優先するか等話し合っているところです。これからが本当の「まちづくり」かと考えます。住民が中心となって街を調べ、住民の意向を聞きながら、何が問題で大切か、また改善に向けてどうしなければならないかを追求し続けます。そして、これは私どもの子孫に残す宝かとも考えます。