「ふるさとづくり'96」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり賞 内閣官房長官賞

緑ゆたかな杣の里からのメッセージ 世界子ども愛樹祭コンクール
福岡県 矢部村
山国の村からの発信にふさわしい事業を

 平成元年、矢部村は村制100周年を迎えました。東は大分県、南は熊本県に隣接する典型的な山峡の村です。県下最高峰1、230メートルの釈迦岳などの分水嶺から有明海にそそぐ矢部川の源で、面積80・46平方キロ、山また山の緑ゆたかな村里で、通称杣の里、つまり山を生業に暮らすなりたちの村でした。しかし、昭和35年、日向神ダム建設による200戸近い離村から、経済の高度成長にともなう若者の都市進出、農林業の不振とあいまって急速な過疎、高齢化による沈滞の空気が重苦しくのしかかってきました。
 このまま村を荒廃させてよいものか。「村を考えるシンポジウム」を開催して問いかけたのです。
 こうした語りあいが糸目となって、村を活性化する基調に、下流城住民、都市との活発な「交流」、心やすらかに住める「福祉の村づくり」、そして生きがいと英知をみがく「生涯学習」の推進を全画いたしました。その一環として、教育委員会では、村民の士気を高めようと、村歌の作成を立案し、郷上出身の劇作家栗原一登氏に依頼しました。
 くにの境を 青壇の
 山脈深く 矢部の里
 歴史のつたえ 胸に秘め
 生き抜く日々よ この誇り
 咲けよ しゃくなげ ふるさとは
 永久に うるわし 人ごころ
 歌ったのは一登氏の令嬢で、かの有名な女優栗原小巻さんです。このとき栗原一登氏は、「謝礼金は全額、村に寄付するので、これをもとでに21世紀の未来に生きるこどもへのメッセージとなるような事業を考えてほしい」ということでした。そこで村長、教育長を中心に、山国からの発信にふさわしいような事業を、さまざまな角度から検討をかさねました。


山国からのメッセージは緑の森だ

 深い山脈にかこまれた村には、スズタケ、ブナ林、ケヤキの森など、今にしては貴重な植物群落を有し、水の源としても四季おりおりに美しい自然景観を見せてくれます。このような環境に恵まれた村からの最大のメッセージは「森」そして「樹木」ではないかと、自然体験活動、例えば夏の下流域、小・中学生との交流登山会である「天狗さんの沢登り」や、郷土の自然探検溝動である「おおそま自然塾」の実践などを通して考えるようになりました。これらの活動は、いずれも村の森林組合の中堅的存在である愛林クラブや、村の子ども会世話役の人々の支援によって展開しているものです。
 こうした体験活動を原動力にして、「森」や「樹木」を題材にした詩や作文、絵画のコンクールによって広く全国に、いや世界中の子どもたちに呼びかけ、新しく友情の森を創りだすような事業を開催して、緑のこころの環をつくってはといった提案が上がってきました。
 これを基に、「世界子ども愛樹祭コンクール」と名付け、21世紀の未来に生きる子どもに、生活環境をあたたかく包みこむ緑の森や樹々に関心を呼び起こし、自然や郷土を愛する心を育て、さらには地球環境問題へ認識を深めようという目的を確立しました。
 そこで村長を実行委員として、村の各種団体から実行委員を選出、教育委員会が事務局となって募集にとりかかりました。
 村長は、栗原一登氏の寄付金に、ふるさと創生基金の一部を繰り入れることを提案、そこで、「生涯学習振興基金」をつくり、その運用益によって、平成3年から始めることにしました。


手づくりの「森の大賞」トロフィー

 このコンクールは、小、中学生を対象に、樹木、森、山などをテーマにして、詩、作文、絵画を募集するもので、募集の方法は各都道府県教育委員会を通して、小・中学校に、ポスターにより募集を呼びかけました。世界の国々には、各国大使館を通して可能な限りポスターの配布に努めました。こうした配布作業に、関心を寄せてきた若いお母さんがたのボランティアも有り難いことでした。ポスターは、教育長が親しくしていた絵本画家長野ヒデ子ざんが毎年よろこんで描いてくだざっています。
 応募された作品の中から「愛樹祭森の大賞」「みどりの賞」など、村の森林組合手づくりの森のトロフィーを作って贈呈することにしました。第1次の選考には、地元の教師たちが審査しますが、最終選考には、財団法人森とむらの会会長高木文雄氏、詩人工藤直子氏、画家吉田民尚氏、絵本画家長野ヒデ子氏、女優の栗原小巻さんに当たってもらっています。
 この事業の思いたちをもっとも喜んでくださった栗原一登氏が平成6年の師走に急逝されたことはさびしいことでした。しかし、こうした権威のある先生の手によって選考された賞であるだけに、愛樹祭コンクールの作品が信頼され、高い評価を受け、マスコミの手によって広く紹介されるようになりました。こうしたことからも、村民もしだいに緑ゆたかな村からの発信として、自信を抱くようになりました。


子どもの“夢”世界から応募

 平成3年5月第1回コンクールがスタートしました。第1回の募集は不安でいっぱいでした。それは小さな山間から、空にタンポポの綿毛を飛ばしたようで、果たして全国の友だちの手に、ましてや世界に届くものか、ところが、応募者は、北は青森、南は鹿児島まで全国にわたり、詩、作文、絵画あわせて2、000点にも達し、予想以上の反響に、かかわってきた事務局もホッと胸をなでおろしました。選考委員の先生方も「生き生きした作品が揃っている」との声がとびだしました。
 第1回の森の大賞は、鹿児島県の中谷小3年の瀬戸里美さんでしたが、受賞式場の公民館大ホールで、校庭にそびえたイチョウの木をめぐる思い出の作文をロウロウと朗読、参加者の村民、子どもたちに感動の渦を呼びおこしました。この一幕は、おりに村では話題となって、「いい催しを考えたもんだ」というつぶやきになっています。
 3回目には、国内のみならずアメリカ、イギリス、韓国、スロベニアからも作品が寄せられました。スロベニアの中学生の絵画は、緑の地球が防毒マスクをかけたもので、環境の危機を激しく訴えていました。ポスターがどんないきさつからスロベニアまでもたどりついたのか、これは新聞社から記者を派遣して取材をしていただき、受賞式の日にビデオによって紹介することができました。実は東京で開催された環境会議に出席の学者が、ポスターを持ち帰られ、親しい中学校教師に話されてからの応募ということでした。このように小さな村からの発信が西欧まで届いたことには、村中がおどろき、改めて世界に目を開く思いがしたものであります。
 このコンクール入賞作品は、回ごとにていねいに編集し、作品集として1、000部印刷、それぞれ関わった人々に配布しています。また、入賞者、保護者の招待については、3回目より、この催しの意義を認識され、日本エアシステムより、航空券を送っていただくようになったこともうれしいことでした。
 またこれまでの応募作品は、タイムカプセルにおさめ、20年後に返還する約束をしています。入賞作品は、レリーフに納め、モニュメントにして、杣の里渓流公園に展示し、野外画廊として配置し、訪れる人の関心をあつめています。
 またこうした作品と共に、受賞者による植樹によって「友情の森」を育てていこうというプランを描いています。


大きく育った愛樹祭コンクール

 遠くは、弥生の代から八女津媛伝説、さらには南北朝争乱の史蹟に富む村ではありましたが、急激な現代社会の変動に、村は過疎・高齢化・農林業の不振の三重苦に襲われていますが、これにひるむことなく「交流」「生涯学習」「福祉」を基本的な活性化の方針として、新しい息吹の喚起につとめてきました。
 とくに交流の面では、生涯学習と連動することに努め、失部川下流域の柳川市の子どもたちと水を通して共生の意義を埋解しあうように「おおそま自然塾」などの体験活動教室をひらいてきました。これには村の愛林クラブと柳川水の会が手をむすびあって楽しみながらの野外学習として成果をあげるようになりました。これまで単に眺めるだけの日向神ダム湖畔にカヌーをうかべての湖面活動には、子どもはもとより大人にも大きな関心と感動をよびました。
 また山村特有の文化・経済について考える大分県中津江・前津江の諸村、熊本県鹿北町・菊鹿町との県境をこえての「徳野山岳塾」は、これからの山村生活をひらくカギとなるように思われます。
 こうした情勢につつまれながら、育まれてきました「世界子ども愛樹祭コンクール」も今年で5年目、杣の里で催す野外画廊作品除幕式から受賞式に来村する遠くからの子どもたちに、村の子どもはもとより大人まで、「今年はどこからこらっしゃるだろうか」と村民みんな心待ちにしているのです。