「ふるさとづくり'96」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり大賞 内閣総理大臣賞

いっきゅうと彩(いろどり)の里・かみかつ
徳島県 上勝町
 徳島県上勝町は、東京から飛行機で約2時間半。徳島市から、南西へ約40キロ(車で約50分)の位置にある。地形的には四国山脈の東南山地にあり、標高1、439メートルの高丸山を最高峰とする山脈が重なり、東流する勝浦川は深い渓谷をなし、その流域にごくわずかな平地がみられるほかは、大部分が山地であり、山腹傾斜面に階段状の田畑があり、標高100メートル〜700メートルの間に大小55集落を有する農林業地帯である。
 年平均気温14.8℃、年間降水量は3、544ミリと樹木の成長には適している。
 東西14キロ、南北10キロ、総面積は109平方キロ、内85.5%が山林であり、その83%が杉を主体とした人工林である。
 昭和30年に、2村が合併、1、188世帯、6、265人であったが、平成2年では837世帯、2、450人と、35年間に人口は61%減少、一方高齢化率は28%に達し過疎と高齢化が進んでいる。


寒凍害から生まれた“彩”

 本町は木材、温州みかんが主な産業であったが、昭和40年〜50年代の高度経済成長に伴い、林業も外材の輸人が増大し、温州みかんも国内で生産過剰により値くずれをおこし、輸入の自由化に伴い、立地条件の悪い本町では採算が合わなくなってきた。
 農協も農産物販売が著しく減少し、営農指導員設置が困難となってきた。農協経営の基本は営農事業であり、営農指導員が全農家に与える影響は非常に大きいので、昭和54年度から、町が農協営農指導員雇用費用(2人分)の2分の1を助成することになった。
 新規作物等について試行錯誤するうちに、昭和56年2月、氷点下14℃という未曾有の異常寒波に襲われ、ほとんどのみかんや本町特産の香酸柑橋であるゆこうも枯死あるいは枯死寸前となり、農業は大きな打撃を受けた。
 農協、町、普及所(県)で組織する上勝町農業技術者会が中心となり、国の天災融資法の適用を受け、その善後策について、昼夜一生懸命取り組んだ。その結果、この天災が“災い転じて福となす”となるべく、適地適作を基本に、本町の標高差を活かした、また収穫面、労力面等考慮した複合作物の栽培形態を基本に、作物の検討を行った。
 準高冷地野菜、タラ芽、キウイフルーツ、椎茸等立地条件に合ったもので現金収入を上げる一方、農協の生産者活動が活発化してきた。そうした状況では、ともすれば新しい作物の導入、動向に目をうばわれがちであるが、ふとしたことで、どこの地域にでもあるような木の葉が目にとまり、農協の指導員を中心に、料理人等異業種の方々の協力を得て、商品化に成功した。
 紅葉、柿、南天、椿等の葉を“彩”の名称で、また、梅、桜、桃等の花、食用草花等も次々と商品化した。さらに、1年中野山にあるシャガを舟、桝、鶴等に加工し“翠”として、野菜の中で食べられるものを“幸”として出荷し、高く評価されている。これらの生産物は軽量で、女性や年輩の方に大変喜ばれている。
 毎月16日に彩学校(平成3年彩笑学校、平成4年彩智遊学校、平成5年彩考頭学校、平成6年彩大楽校)を開設し勉強している。
 現在彩の販売額は1億円となっている。
 平成元年度にその成果が認められ朝日農業賞を受賞している。


若者定住に向けて
第3セクターの設立

 明日の上勝町を創るためには、次代を担う若者が定住することが必要不可欠であるとの認識から、若者の職場の確保と農林業等の波及効果を期待して、第3セクターの職場づくりを進めている。
・(株)上勝バイオ
 若い農林業の後継者を得るために、企業的経営のできる農林業を目指して、菌床椎茸栽培に取り組んでいる。
 生産者の高齢化に対応し、若者の定住を図るため平成3年に町、農協、森林組合、農業者等からなる第3セクター、(株)上勝バイオを設立し、椎茸人工ホダ木工場を建設した。
 当初、年間120万本の生産体制であったが、現在では240万本の生産体制へと増設している。従業員も20人から38人(内Uターン者2人)と増加している。
 他産地の菌床椎茸と差別化し“足までおいしいたけ”の商品名で勝浦郡農協上勝支所が販売し、平成6年の販売額は約5億円となっている。
 また、菌床椎茸栽培者を全国募集したところ、150人の応募があり、現場見学、体験の過程を経て7家族、17人が選ばれ、平成5年度に3家族、6年度に4家族が入植し、栽培を始めている。地域住民も明るい子どもたちの声を歓迎している。
・(株)かみかついっきゆゅう
 地域の活性化を図るため新農業構造改善事業により、つきがたに交流センターを町が建設し、平成3年12月よりオープンしている。そして、これらの管理運営をより効果的に行い、雇用創出と交流による町づくり等を推進するため、平成3年に第3セクター(株)かみかついっきゅうを設立した。現在の従業員は37人(内U夕−ン者2人、Iターン者5人)である。
 現在は月ヶ谷温泉、月ヶ谷温泉村キャンプ場も管理しており、平成4年度の延べ利用者数は約19万人、平成6年度は約20万人と毎年増加している。
・新たな第3セクター
 本町の85・5%が山林であり、その山林の83%が杉を主体とした人工林であるが、木材価格の低迷等のため、手人れのできていない山林も増加しており、また山林の境界がわからない後継者も増加している。このような状態が続くと山は荒れ放題となり、山林機能が著しく低下する恐れがあり、国土調査(地籍)事業等で境界の明確化また森林施業計画等の計画的実施等により国土保全を行うため、平成7年4月より第3セクター測量会社設立準備室を設け、若者定住を兼ねて、豊かで住みよい町の基盤づくりの準備を進めている。


新商品を求め木材産業にアタック

 林業については、原木販売または板材加工が主であり、その価格も低迷しているため、伐採搬出量も少なく、また労働者も高齢化してきており、現状維持では山村は衰退してしまう。
 林業による産業おこしは、従来の用途にこだわることなく、新たにいろいろな方面からその用途、加工等を広く研究し、定住に結びつく新たな産業とすべく、平成6年に木材産業起こし実行委員会(38人)を設け、チャレンジしている。


ようこそ上勝町へ

 産業による若者定住施策を進める一方、町の将来像の一つでもある、美しい自然環境の中で町民はもとより、外部から移住したくなるような町を彩る快適な住環境の町づくりもめざしている。若者等を町外から受け入れ、また町内に留めるには、行政に携わる町職員等自ら、また住民自らが意識の変革が必要となってくる。そのため平成4年度から職員等の勉強会(IQ塾)、また平成5年度からは町内を5地区に分け、地域から選ばれた6人の選手それぞれが、地域を良くするための競争(IQ運動会)を始めている。
 因に、昭和61年から現在までのIターン者は16世帯、53人である。
 町や地域を良くするためには、何時か、誰かが現状打破しなければならない。上勝町はちょうどその時期なのかもしれない。課題は山積しているが、現状維持は後退につながる。行政、地域、住民みんなが知恵を出し合いながら、一歩一歩進んでいかねばならない。明日の上勝町のために。明日の日本のために。