「ふるさとづくり'96」掲載
<集団の部>ふるさとづくり大賞 内閣総理大臣賞

ゴミ減らしの助っ人運動
岐阜県大垣市 大垣市生活学校
ゴミ減量、新たな取組への動機

 大垣市は人口15万、濃尾平野の西の一角にあり自然の湧水のでる美しい町。昭和43年婦人会の中にできた生活学校は、47年より資源有効利用の点からびん回収運動を行った。地元のびん工場等の協力で、54年にはこれまでの活動を大垣市びんリサイクリングとして「リサイクリング・システム事例集」に発表した。
 平成元年、当時とはメンバー(現在89人)を異にして、ゴミ滅量・環境保護の視点からリサイクルに再び取り組んだ。消費は美徳の時流の中で、市内のゴミ集積所が余りにも汚く、資源である段ボールや新聞、びん、缶も一緒くたんに捨てられているのが目につき、何とかしなければとの思いからだった。処理する市当局もゴミ保留ピットが使用不能に近い状態でゴミ処理能力がパンク寸前になっていた。このままゴミが増え続けたら−−と大変な脅威を抱いており、何とかゴミを滅らす方法はないか苦慮しているところだった。


「びんの日」設定を提案

 平成元年〜2年私たちの活動は、何気なく捨てているゴミがどう処理されているかを知るところから始まった。清掃センター・粗大廃棄物処理センター等を見学し悪臭の中で作業している人々の様子、可燃ゴミの中に混在しているアルミ缶や機械部品、金属、スプレー缶などによる焼却炉の破損事故、処理しきれないで積み上げられている粗大ゴミの山を知った。ガラスびん工場では、作業のおばさんたちが、びんカレットから不純物を手で取り除くのを目の当たりにした。メンバーだけではなく、多くの人達に「空きびんは資源」ということを知ってもらいたいと思い、地区の婦人学級や他のグループの人達を次々に清掃センター・びん工場へ案内し、リサイクルできるびん、ゴミのゆくへなどを学んでもらった。
 さらに自分たちの地区のゴミ集積所の実態を写真に撮って持ち帰り、これらの結果をもとに行政、びん業者、紙類回収業者等と対話集会を開き分別の仕方を学び、分かりやすい分別表の作成や、びんを資源として再利用するには、不燃ゴミが混入しないようびんだけを回収する「びんの日」を設けることやアルミとスチール缶の区別しやすい表示の全国統一などの提案をした。
 市の答は「現在の収集体制の状況ではとてもできず、別に回収するなど思いもよらない」とのことだった。
 家庭ゴミの中でかなりの量を占めるトレーについても1週間に排出する量を調ベ、生活展で現状を展示発表した。見にきた人は改めてその量の多さに驚いていた。市としてもゴミ滅量の方策として平成元年7月より各地区自治会による資源ゴミ回収の促進や資源意識の向上を目指して奨励金制度を導入した。


ゴミ問題懇話会が発足

 2年間勉強し知るだけではだめ、ぜひ町に出て行動しようとのメンバーからの強い意見で市内5地区のゴミ集積所から段ボール、新聞、雑誌等資源ゴミを阿収することにした。延べ106人もの参加者があり、市の初代女性課長や補佐の参加もみられ、皆嬉々とし身も目も動かしながら、資源ゴミが余りに多く捨てられているのに驚いてしまった。資源の大切さとゴミ減量を知ってもらおうと、結果をチラシにし、各該当地区の戸毎へ配布した。
 この年、市長の諮問機関であるゴミ問題懇話会ができ、生活学校代表が地区推進委員制度など各種の提案をした。しかし、ほとんどの委員はゴミについて認識がない状態だった。私たちは次のゴミ減量対策として食品トレーを考えた。対話集会ではアンケートに基づき発泡トレーの使用限定と回収、トレーに対する意識の啓発を販売店と市民に訴えた。


トレーのリサイクルに取り組む

 平成4年は、近くにトレー再生王場ができたことを機に捨てないで生かそうを合言葉に、トレーのリサイクルに取り組むことにした。生活学校は運動という役割を持ち、広く一般市民に訴えて行かなければならない。ちょうどこの年大垣市に婦人会、日赤、食生活改善グループ、生活学校、暮らしのセミナーの婦人団体が集まり女性団体懇話会をつくったので、トレー回収を提案した。第1回トレー集合フェアーを開惟し、市民の皆さんが6万枚ほどのトレーを各地から持って来てくれた。生清学校のメンバーもトレーの選別に大忙しだった。
 初めてのことでどれほどの皆さんに参加してもらえるか不安もあったが、開場を待つ間に会場を取り巻くほど大勢の方に並んでいただいた。また、リサイクル商品も展示しその使用を呼びかけた。リサイクルでできた商品が使われてこそ始めてリサイクルの輪ができるのだから。自分たちの活動がこのように全市的な催しの起爆剤になったことでメンバーの大きな励みとなった。市中央だけでなく南部公民館でもトレーを回収し、自治会など集団による資源ゴミ回収率がまだまだ低いことを訴えた。南部地区はゴミ分別、ゴミ減量への意識が薄く奇異の目でみられる状態だった。
 また、市のゴミ分別の仕方がまだはっきり示されていなかったので、北部地区センターで開かれた女性フォーラムでは分別箱を例に紹介し、とても分かりやすいと好評を得た。生活学校西濃大会でもゴミ減量についての私たちの働きかけを発表した。


買い物袋持参の呼びかけ

 平成5年は、今、私たちにできることはと、ゴミ減量のために分別リサイクル運動を進めながら、ゴミになるものは買わない運動を提唱し、買い物袋持参を呼びかけることにした。1、000枚にものぼる緑の布袋の作成を授産所にお願いし、メンバーも協力して縫い上げ、市内1、000世帯に配布した。県委託事業の「ものを大切にする県民の集い」では、買い物袋を持参し過剰なビニール袋を貰わないことを訴えた寸劇「ゴミは買わない」を上演し、観衆の爆笑を誘った。3力月後配布した袋の利用状況についてアンケート調査を実施した結果たまにでも買い物袋を持参する人は66%もあり、ゴミ減量への意識啓発に大いに役立っていることがわかった。また、あるスーパーがレジ袋を要らないと断った人数を調べてくれた。少しづつだが増えている。
 さらに、資源価値の高い牛乳パックを使っての、はがき作りを婦人学級や幼稚園の父母会へ出向き指導もした。小学校の先生方へもゴミ分別リサイクルの必要を自作のスライドを使って訴えた。12月第2回トレー集合フェアーを市民の皆さんが参加しやすいように、各地区センター14力所で行うことにした。この日を待ってトレーを集めている人もいたようで、多い所では8、000枚も回収できた。この頃より小学校での回収も行われるようになってきた。「ゴミを減らそう」「地球環境を守ろう」の声が大きくなり、西濃地区の保健所などでもトレー回収について意見交換され生活学校としても説明を行った。
 これまでスーパーが行ってきた、トレー回収交換点数制が6年にはなくなったが、これまで通り各々の置き場にはいつの間にか積み上げてある。新たに回収置き場を作ったスーパーも出てきた。女性団体懇話会でも年1回開催、生活学校でも地区により回収を行っている。トレーはリサイクルできる資源なのだとの認識が当たり前になった。また、フリーマーケットも定着し次の開権はいつかと待たれるようになっている。


市はゴミシール制を実施など運動の成果

 平成2年に提案した「びんの日」は、5年に資源ゴミ「びん・かんの日」として設置された。ゴミ分別表は5年5月市から配布された。牛乳パック、トレー、アルミ缶の回収を大型販売店、行政に要望していたが、2年9月から随時実施されるようになった。
 行政での牛乳パック回収は4年6月より各支所で実施されている。トレーは百貨店店頭での選別指導等により、きれいに洗って持ち込まれるようになったし、回収も広範にわたり、西濃周辺市町村でもおこなわれるようになった。
 平成6年4月から大垣市では、透明ゴミ袋使用、7月からはゴミシール制を設け、一部有科化に踏み切ったり、ゴミ減量推進委員を設置、この制度が混乱もなく市民にスムーズに定者するようにした結果、家庭ゴミは2割の減少を見るに至った。
 この間生活学校は、集団回収の推移を「資源ゴミ1世帯当たり回収量」のタイトルで年々グラフに表し、行事のある毎に展示啓発に努めた。また、ゴミゴミクイズでは、ゴミについて知識の普及と環境について考える機会を一般市民に提示してきた。生活学校がゴミ減量、ゴミ分別、資源ゴミの集団回収の必要性を訴え統けてきたことが大きな力になったと思う。各ゴミ集積所も大変きれいな状態になり、可燃ゴミはますます減量の方向にある。
 15万中核都市で、生活学校が時代の助けもあっただろうが、行政に先駆け提案し行動できたことを大変誇りに思っている。


これからめざすもの

 地球環境保全のため、一般住民が行うゴミ減量運動は、現在の消費経済社会の中では行き詰まりを感じることが多い。製造企業、販売業者の責任を問うとともに、できる事をできる所から一人ひとりの意識へ訴え続けていかなければ定着しない問題でもある。最終処分場・ゴミ処理施設の見学、再生品使用等ことあるたびに省資源・省エネルギーの大切さ、地球に優しい行動を呼びかけていくことにしている。