「ふるさとづくり'95」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり賞 内閣官房長官賞

全島の公園化をめざして
長崎県 大島町
 大島町は、長崎県西彼杵半島北部の西海に浮かぶ面積13.29平方キロの離島です。
 本土との間には定期便が就航しており、佐世保港との間に1日11便(所要時間…高速船30分、フェリー50分)、西海町太田和港間に1日31便(所要時間…フェリー15分)が往復運航しています。
 戦中戦後は、石炭の島として脚光を浴び、炭鉱最盛時には人口19、453人の町民を擁したこともありましたが、石炭から石油への急速なエネルギー転換で、昭和45年5月に大島炭鉱が閉山し、一挙に過疎の町に転落しました。
 その後、町を挙げての企業誘致努力によって、昭和47年(株)大島造船所の立地が実現し、造船の町として再出発しました。
 しかし、その造船所が操業開始直後から世界的構造不況に遭い、深刻な状況が続きましたが、企業は労使あげての経営努力で不況を乗り切る一方、町では人口流出に歯止めをかけようと、島内の資源や知恵を活用し、地域活性化を図る「内発的開発」を基本に、島おこしに取り組んでいます。


民と官とで島おこし
●第3セクターの設立●―長崎大島醸造(株)


 まず、最初に取り組んだのが第3セクターによる焼酎づくりであり、その狙いは二つでした。
 その一つは、農業従事者の減少と高齢化で農地の荒廃化がすすむなかで、昔からつくられた甘藷づくりを奨励し、荒畑の再活用、ひいては農業振興を図ることであり、そのための甘藷の需要創出を思い立ったのが、「甘藷」を原料とした焼酎づくりでした。
 二つ目は、もし焼酎づくりが実現出来れば大島にとって数少ない貴重な特産品になること、そして、規模は小さくとも働く場ができるということでした。
 そんな願いを込めて、町や町内の中核企業、農協、漁協、県内酒造会社等々が出資し、昭和60年に発足したのが長崎大島醸造(株)(資本金・発足時=3000万円、現在=9500万円)です。芋と麦、2種類の焼酎を生産しているほか、昭和63年からは、完熟トマト(原産地農法で栽培、糖度が高く、市場で高級品として人気を呼んでいます)の栽培に取り組むなどで、地域おこしの先兵としての役割を果たしています。
 同社では、いま、焼酎・トマト工場合せて21人が働いていますが、トマトの収穫期等、ピーク時には40人以上に増えます。


(株)大島まちおこし公社

 また、農業のつぎは漁業ということで、焼酎会社設立の翌年、昭和61年には海藻類の加工を主体にした第3セクター「大島まちおこし公社」を設立しました。
 それまで原料ワカメとして島外に出荷されていた島内産養殖ワカメを地元で加工し、商品化しようというもの。
 島内産養殖ワカメの価格と出荷の安定が図られると同時に、町の新しい特産品の誕生、雇用の場の創出という「長崎大島醸造(株)」と並んで地域おこしに大きな役割を果たしています。このまちおこし公社の発足によって、島内産養殖ワカメは全量、同公社が買い取ることでワカメ漁家は、安心して生産に取り組めることになりました。
 同社には、現在13人が勤めており、その内の3人は大卒Uターンの若者であり、小さいながらも雇用の創出に大きな貢献をしています。


「まちづくり」を支える力―住民と民間団体の活動

(1)環境衛生活動
 戦後間もない昭和28年、大島町は、長崎県で初めてのモデル衛生町の指定を受け、それを契機に町では、地域住民の環境衛生思想の普及と地域清掃活動に取り組みました。
 昭和41年には、地区衛生連合会とあわせ、町内全地区に地区衛生会が発足し、各地区の自治会長や婦人会の支部長がリーダーとなって、自主的な清掃活動への取り組みが始まりました。

(2)「緑と花いっぱい運動」と「小さな親切運動」
 かつて町の中核産業であった炭鉱が健在であった頃、灰色の殺伐としたボタの上に、花を咲かせ心にも潤いをと、昭和33年に「縁と花いっぱい運動」が、同39年に“小さな親切運動の会”が発足。
 町内有志の方たちの呼び掛けで、毎年大会を開くなど地道な活動を続けています。
 この運動が素地となり、中・高校生や社会人のなかにボランティアグループが誕生し、奉仕活動が続けられています。

(3)姉妹町交流―北海道広尾町との交流
 東京での野菜キャンペーンが縁で、昭和61年に北海道・広尾町と縁結びを行ない、日本の北と南に位置する両町の気候・風土・歴史の違いを越え、交流を進めています。
 人の面では、毎年夏休みを利用して民泊による小・中学校の子どもたちの相互訪問を実施。お互いに北と南の夏を体験しあっています。

(4)国際交流
 国際青年年の昭和60年に、婦人会はじめ各種団体等が協力し、民泊によってオーストラリア青年代表団を受け入れたのがきっかけとなって、若者を中心にした地域おこしグループが結成され、これまでオーストラリア、アメリカ、ブルネイ、マレーシア、インドなど5か国の代表団を受け入れたり、代表団との交流や長崎県内留学生との交歓会を実施しており、また、最近ではマレーシア訪問なども実施しています。
 平成3年には、オーストラリア代表団の座員として本町を訪問した女性が個人の資格で再度来町し、1年間、町内の中学生や一般の住民への英語指導や英会話教室を行ないました。


遊んで学べる島―教育リゾート地づくり

(1)大島若人の森
 町外の若者を呼び込んで、島の青少年に刺激を与えたいという願いをこめて、若者の広域的交流の場として「大島若人の森」を整備。野球場や陸上競技場、多目的広場、海水浴場のほか、宿泊研修施設(75人収容)、セミナーハウス等を設置。県内外から毎年6000人を超える若者(大学・高校生等)が、スポーツ合宿やさまざまな合宿研修の場として、この若人の森を訪れています。

(2)いこいの森
 島内住民はもちろん、島を訪れた方々に島の自然を満喫してもらおうと、島の尾根を南北に縦走する“自然探索路”をつくったほか、吊り橋やあずまや、展望所・芝生広場・野外音楽堂等も整備しました。

(3)景観改善
 島の表玄関である港の周辺の景観を一新しました。
 離島で平坦地の少ない大島町では、炭鉱閉山後の社宅地区を、4〜5階建ての公営住宅団地として再開発してきましたが、そんな中で屋根のある町並みづくりをと、港正面に位置する住宅団地を置屋根式に模様替え。その際、若者にも親しんでもらえるようにと、設計に工夫を凝らした結果、ヨーロッパ風の町並みが誕生。
 さらに、港に面して小公園(ポートパーク)や物産館を整備、港周辺の装いを改めました。

(4)農業と民宿の複合経営
 全島リゾート化をめざす中で、青年農業者によるドイツ・フランスの農村リゾート視察を実施。その視察結果を踏まえ、農業の複合経営のテストケースとして、農業後継者による農家民宿“かもめ”をオープン。施設は町が整備し、経営者として農業青年が入居しています。

(5)人間性豊かな教育のまち宣言
 大島町では、平成2年3月に「21世紀をめざす人間性豊かな教育のまち」宣言を行ないました。
 大きな可能性を秘め、そして、21世紀の担い手である子どもたちを国際性に富み、人間性豊かに、「賢く」、「優しく」、「たくましく」育てたいという願いが込められています。
 いま、町では、子どもたちが、ふるさとの島に誇りを持ち、地元で学び、そして、心身ともに都会の子どもに負けない力を身につけて、この島を巣立って欲しいという思いを持ちながら、学校、家庭、地域が協力しながら、学習の雰囲気溢れ、文化的で潤いのある環境づくりに取り組んでいます。
 その取り組みの一つに、『町内教育関係者の海外教育事情研修派遣事業』があります。
 これは、まず、小・中学校教師に外国についての見聞を深めてもらい、その体験を通して、子どもたちに国際性を身に付けさせようというのが狙いであり、町独自の事業として、毎年、10数人を、米国、ヨーロッパ等の教育研修等に派遣しています。
 この他、「教育のまちづくり推進大会」の開催(毎年1回)、生涯学習の充実による学習の雰囲気づくり、等々があります。
 また、施設の面では、町立図書館を建設したほか、今秋には、本格的な音楽ホールとしての機能を備えた『文化ホール』が、待望の完成をみる予定です。

(6)ふるさとの土地を守るために―町土管理課の設置
 農業離れや農業従事者の高齢化による、農地の荒廃化が進んでいるのは、全国的な傾向であり、離島はじめ過疎地では、特に顕著になっています。
 そんな中で、大島町では、貴重な農地をできるだけ荒らさないように保全し、農業を次の世代に守り伝えていくこと、つまり、ふるさとの景観や町土をより良い姿で保全していくことは、地域全体の責任であるという立場に立って、町土管理の仕組みについて検討をすすめ、昨年4月に新設された『町土管理』が、いま、実施のための準備作業に入っています。
 その仕組みは、町内の未利用地を含む農地の利用権を、町が預かり、その利用権を、農業を拡大したいという人、あるいは農業を新規に始めたいという人たちに貸し付け、借り手のない農地は、そのまま町が利用権を預かり、農地として利用しやすい状態、つまりできるだけ荒らさないように管理していくことになります。
 年内には、実施に移すべく、いま準備に拍車をかけています。


「西海のユートピア」めざして

 いま、大島町では、@調和の取れた活力ある産業のまち、A美しい自然環境に包まれた快適な生活のまち、B幸せを分かち合う福祉のまち、C人間性豊かな教育文化のまち、D心暖まる触れ合いのあるまち…を町の将来像として掲げ、だれもが住んでみたくなるような、「西海のユートピア」めざして、島おこしに取り組んでいます。
 企業誘致等、外部の力に頼らないで、島の内側から、自らの力で活力を掘り起こす、つまり内発的振興を町づくりの基本理念としながら、第3セクターによる産業おこし、「長崎遊学島」構想に基づく、手づくりの“教育リゾートづくり”等々、さまざまな試みに挑戦してきたところであり、これからも、町民一体となり、力と知恵を寄せあって、理想のふるさとめざし、精一杯の努力を続けてゆきます。