「ふるさとづくり'94」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり振興奨励賞

コミュニティと町づくり
宮城県 矢本町
 矢本町は、県第2の都市石巻に隣接し、仙台には通勤圏内にある。また、広大な航空自衛隊松島基地が、太平洋に面して広がっている。このため、昔ながらの農漁業者とサラリーマン、全国から転入する自衛隊員などが混住し、人口は増加している。
 しかし、単に人が増えればいいという問題ではない。生活環境整備、高齢化対策、産業振興等々、多くの課題がある中で矢本は、「人づくり、住民参加、心の豊かさ」をふるさとづくりの基調に据える。


人づくり:地域の中の自己形成

(やもと21)
 町は、ふるさと創生資金を人材育成事業「やもと21委員会」に活用している。単年度950万円を平成2年度から10年継続する。何をどうやるか。住民の知恵と力を借りることにし、10数名の委員(一般町民から。任期2年)を募集した。有志の壮青年男女が集まった。予算の使途は、全て有志に任される。
 有志は、しかし苦慮し、もだえた。人づくりと言っても、一体どうすればいいのか。得手、不得手に関わらず、議論、また議論。時が経つにつれて、寡黙だったメンバーも口を出すようになる。出さざるを得ないほど、行き詰まる。
 「養成するはずの私たち、かえって養成されているみたい」と、メンバーは、顔を見合わせる。
 これまで実現した事業を例示する。
 ※青少年を考える部会
  ・北海道更別チビッコふれあいの旅
  ・中学生の海外体験ツアー
 ※福祉を考える部会
  ・デンマーク福祉視察(毎年数名)と報告会
 ※地域づくりを考える部会
  ・第九を歌う会(平成5年、200人参加)
  ・花婿花嫁学校(後継者対策)
  ・矢本の緑と生活環境を守る会
  ・矢本の祭り再考委員会
 ※全体会
  ・国際交流フォーラム (在日留学生などとの交流会)
  ・公開やもと21討論会
 委員会は、各方面から意見を聞いてまわり、町は、広報誌にやもと21のコーナーを設けた。その甲斐あってか、事業の途上で、委員会のまわりに新たな集団が生まれ、バックアップするようになった。
 「大きなおせ輪の会」(元青年活動経験者等20人)は、後継者対策を中心に花婿学校に大きく貢献する。
 航空祭ばかりが際だつ中で、「矢本の祭りを考える会」が、ふるさとの祭り再考と創造を試みた。
 更別交流から生まれた「ささやかなおせ輪の会」は、北海道から訪れる子供たちの世話役を買って出て、自らは更別の農村と研修交流を続ける。

(5人講演会)
 わざわざ仙台や東京に行く人も少ないだろうから、年に5回、代表的文化人を呼んでこよう。それが、5人講演会の始まり。最初(昭和59年)だけは町が主催し、あとは、またまた住民の知恵と力を借りることにした。10年間で講演会に足を運んだ人数延べ40,000人は、町の人目を上回る。面白い中にも、何か記憶に残る「人がたり」。帰る道すがら、まちを見る目にきっと何か変化があるはず。住民の意識は、こんなことの繰り返しからも変わるのではなかろうか。

(少年少女たちの交流)
 全国各地の人がやってくる土地柄、地域内のつきあいだけでもものの見方は違ってくる。しかし、さらに知りたい、出掛けていってみようしやないか。
 人づくりは、まず子供とともに。北海道は更別、韓国は銅雀と、定期的に行ったり招いたりし続ける。ベースは、勿論ホームステイ。サッカー、野球、食事、名所案内、キャンプ等、五感で体験しながら、少年少女たちが元気に遊ぶ。子供たちの将来に、一体何か残るか楽しみだ。


住民参加のために

(分館とコミュニテイ)
 昭和26年に始まった分館建設も今や町内全域にわたり、32を数える。「分館だよ、全員集合!」というくらい、いずれ劣らぬ賑やかさ。3人の地区住民が、分館長、主事、体育主事として事務局となり、地区の多様な行事や集会を設営する。分館は、町営の公民館行事と連携して、なおさら活発に、「公」の住民活動を営む。
 分館は、地域課題が発露する場。対立、議論を経て合意を形成する場でもある。
「ここで決めたら従うさ」
 多様性と個人主義が地域生活の和を揺るがす時世にあって、誠に貴重である。矢本の分館は、地域が地域たりうる基本であり、町は、これを総合的に支援する。
 矢本では、分館単位の小地区が有機的に集まったものをコミュニティと呼ぶ。その形成は、先陣を切った大塩地区(昭和48年設立)から、「おらが古里」の赤井地区(同60年)、そして生まれたばかりの大曲地区(平成4年)へと続いた。
 例えば、自然を文化する大塩地区は、フラワーロードのある緑のまち。花いっぱい運動では、たびたび受賞し、全国賞も多い。シンボル公園には桜を植え、祭りを盛り上げる。自然とともにあった風土を次代に伝えるために、各戸に眠る農耕具を掘り集めて民俗資料館を建設した。
 都市転入者の多い赤井は、野菜の「ふれあい朝市」開催から新旧住民のコミュニティ意識を醸成した。さらに、混住地域の隠れた住民パワーを引きだす100人委員会と実働部隊の始動者集団が組織され、新公民館建設事業・緑の復活事業・凧あげ大会・赤井ふるさと再発見事業などの諸事業が展開されている。
 海の男たちも協働する大曲は、設立1年に満たない。コミュニティでは先輩格の大塩、赤井に学び、交流と広報、環境美化運動から活動を起こしている。今後、地区の特性と実情を活かした展開が期待される。
 三地三様、特色がある。町では、残る矢本東と矢本西に地区公民館を新設し、「全ての地域にコミュニティを!」と準備を進めている。

(広報公聴)
 町は、行政情報を分かりやすく、丁寧に開きたいと願う。故に、町政広報と議会広報を、丹念に作る。そして広報誌が、活発な情報交流の場となるよう心を配る。情報が行政側からの一方通行とならないために、住民意見をよく反映するよう心掛けることも必要だ。住民の考えを得るためには、足で考え、心で聞く。そうすると、いい言葉、いい笑顔を得ることができるし、多くの町民が、毎号の誌面に登場してくれる。
 紙面構成、企画、取材、表現、広報モニター等々、様々な工夫と努力の結果、両誌とも全国賞と県コンクール入選の常連となっている。
 まちの評判は定かではないが、町長のエンピツが走る専用スペースもある。

(町政懇談会)
 町長は、毎年、要望のあった全ての分館に足を運び、直接の地区の人々の声を聞き、町の情報と考えを述べる。当然、声は町政に反映される。いわゆる町政懇談会であるが、主催は、分館である。町政懇談会は、広報誌ともども、住民と町との責重な情報交換の場となっている。


心豊かな生活

(文化とスポーツ)
 分館は、生涯学習と生涯スポーツにも貢献する。分館長は、その総括者である。主事は文化活動を、体育主事はスポーツを、それぞれ担当し、振興する。文化協会や体育協会は、勿論盛んだし、公民館行事も当然活発である。人口3万人のまちで、生涯学習と生涯スポーツの人口は、それぞれ1万人と言われる。
 その甲斐あって、町は体力づくりの総理大臣賞を、体育協会は文部大臣賞を、それぞれ受賞している。また、分館活動は、衰退傾向にある青年活動に働きかけ、石巻地区の青年文化
祭の成功に貢献した。
 芸術や競技はともかく、矢本の地域文化、コミュニティスポーツ活動は、実に賑やかだ。

(緑の明るさ)
 まちには緑が、水辺には清らかさがあったらと思う。
 町は、着々と公園を追る。小は児童公園から、大はコミュニティパークまで。勿論、その維持清掃は、住民が中心となる。
 コミュニティは、矢本の母なる川「定川」を毎年清める。題して、「定川クリーン作戦」。複数のコミュニティが協同して、毎年一斉に行なわれる。
 「こんなにゴミがあるとは、生まれて初めて知った。40年もほったらかしだったからね」。
 「いや、俺も知らなかったから、大正以来だよ」。
 初めて参加する人は、感嘆する。驚きながらも、「ここにサイクリングロードを造って、住民のシンボル度を高めろや」と提案する。そして、町の上流から海浜緑地公園まで全長15qの具体化構想(平成3年度までに4q完成)が実現した。
 緑は、各コミュニティに共通する重点テーマになっている。花を植え、緑を生けるとまちが明るくなる。
 「それは、景観のせいばかりじゃない。何となく、人の和ができるからだ」という。

(老いて安らぐ)
 「デンマークには、寝たきり老人がいない。もしかしたら、私たちが、お年寄りを寝かせきりにしてきたのではないか。」
 やもと21委員会のデンマーク視察報告会などをきっかけに、高齢化問題への意識が一段と高まった。青年団も演劇などをとおして福祉問題に取り組む。
 住民ボランティアの盛り上がりを受けて、町は、特別擁護老人ホーム、デイサービスセンター、家庭介護支援センターを平成5年度中に建設する。老人福祉センターは、各種のボランティア講座を設けている。


むすび

 人づくり、住民参加、心豊かな暮らし。いずれも難しい課題である。これらを実現させるのは、やはり住民の意欲と知恵と力ではないか。これに対して、町は何かできるのか。
 町は、矢本の住民活動史を振り返り、広く意見を聞いて、社会教育系に予算を重点配分してきた。600人収容ホールを持つコミュニティセンター、35,000冊の図書館、小学区毎の地区公民館、1.4haのコミュニティパーク、計画事業費80億円の総合運動公園(平成6年度まで、I期工事分15億円)、お年寄りがコミュニケートする老人福祉センター等々。
 町は、これらのハード建設もさることながら、町職員が住民活動に関わる「常日頃」も大切と考える。役場内にはコミュニティ推進体制があり、各コミュニティの事務局となる公民館には勿論職員がいる。地域の基盤となる分館活動にも、居住地や年齢などに応じた形で職員が関わっている。当然リーダーシップは住民にあるが、裏方として役に立てればと思っている。情報提供にしろ、住民意見の町政反映にしろ、インフォーマルな部分の積み上げも必要だ。
 実は、そこでの接し方や働きが、ふるさとづくりの方向や広がりを左右しかねない。だから、町の職員は、「住民主体」を厳守しながら、急がず休まず、影の役割を果せればと願う。