「ふるさとづくり'94」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり振興奨励賞

ネバーエンディングストーリー「山形村物語」
長野県 山形村
村の概要

 山形村は長野県のほぼ中央部、松本平の西南に位置し、日本アルプスの支脈である鉢盛山の山麓にそって東南北に広がる肥沃な扇状地にあります。
 気候は内陸性で、日照時間は長く湿度は低く、人びとに爽やかさを感じさせる空気の澄んだ自然環境に恵まれた村です。
 人口は、昭和25年の6337人をピークに減少の一途をたどり、45年には初めて5000人を割りました。その後、社会情勢の変化に伴い増加に転じ、現在(平成5年4月1日での住民基本台帳人口)6985人で、今後も引き続き人口の増加傾向は続くものと見込まれています。
 産業は、自然的社会的経済的諸条件から農業が中心で、基盤整備された農用地を使い、様々な作物が栽培されています。農業は畑作が中心で、長いも、すいか、りんごが村の基幹作物となっており、中でも特に長いもは生産量も多く、味、品質共に優れており、村の特産物となっています。
 一方、山形村は石造文化財の豊庫と言われており、その数およそ1000体。中でも双体道祖神は有名で、素朴な、おおらかな愛の姿とほほえましい姿を今に伝えています。そして、それは村の人びとの素朴な「こころ」の美しさとして引き継がれています。豊かな自然に抱かれ、古きものと新しきものがほど良く調和している村、それが私たちの住む山形村です。


村紹介漫画の発刊

 自分たちの住む地域について考えさせてくれる契機となったのが「ふるさと創生」の1億円でした。村では「将来のステキな“むらづくり”のために」と題した20歳以上の全住民を対象にアンケートを行い、1億円の使途について方向を出す予定にしていました。しかし、結果は、村民の意向は多種多様にわたっており、アンケート結果だけでは、方向を見出すことはできませんでした。そこで村民代表13人からなる「ふるさと創生研究委員会」を結成し、更に検討をすることにしました。委員会では意見集約に向け会議を重ねましたが、どうしてもまとまりません。そんな時出てきたのが次のような意見でした。「どうも私たちは地域のことを本当は良く知らないのではないだろうか。私たちの住む地域の本質を理解することが必要なのではないだろうか」この意見を受けて、委員会では先ず村民に村の素材を知ってもらい、そこから今後伸ばす事項や改善する事項を、村民自ら考えてもらうこととしました。
 しかし、どんな方法で行えばいいのか全く浮かんできません。そんな析目にとまったのが農林水産省で作った「漫画日本農業入門」でした。わかり易さや反復して読み返せるという点で、村民への村紹介方法として有効と思われました。その後、庁内で検討を重ねた結果、漫画で村を紹介することとなりました。漫画家も「日本農業入門」を描いた東京在住の「藍まりと」さんにお願いすることができ、村での現地取材の後、山形村物語「水色山路」という題名で、平成2年3月に発刊しました。
 A5版、92頁の漫画は10,000部印刷し、村内金世帯と全国の自治体に配ったところ、反響の葉書が多数寄せられ、またマスコミにも取り上げられたりして、この漫画は好評でした。ストーリーは、都会に住む瞳キラキラのヒロインが、ふとしたきっかけで山形村を訪れ、村の自然や温い村人の“こころ”に触れ、山形村を「ふるさと」として認識していくというものです。この漫画は、私たち村民が忘れかけていた“ふるさとの香り”を思い出させてくれ、村民に村を見直してもらうきっかけとなりました。ほんの少しですが、この漫画により村民の“こころ”が温いものに変ってきました。


ドラマづくりへの挑戦

 漫画が好評だったことから、元気になった村民から「村営CATVで、漫画を原作にテレビドラマを作ろう」という話が待ち上がりました。村営CATVは、平成元年7月に開局したばかりで、毎日の自主放送番組づくりに追われており、とても未知のテレピドラマづくりなどできる状態ではありません。当然庁内でも実施は困難という意見が大半を占めており、テレビドラマづくりは不可能という結論になると予想されました。しかし、そんな中で村民有志によるテレビドラマ制作発起入会ができ、その熱き想いにより村もテレビドラマづくりについてゴーサインを出すことになりした。
 ドラマづくりの協力者は村営有線テレビで募集し、集まった村民を中心にアッという間に実行委員会ができました。全国公募をしたヒロインを除き、スタッフ、キャストともオール村民という、村民の村民による村民のためのテレビドラマ「水色山路」の制作がいよいよスタートしました。
 監督は専業農家、プロデューサーは公民館長、脚色は農協職員などで、キャストも農家の主婦や会社員といった役者経験など全くない素人集団です。ロケ期間はおよそ2週間、天候にあわせシナリオも変えてしまうといったウルトラCを使い、予定どおり撮影を終了させることができました。その後の編集作業も順調に進み、テレビドラマ「水色山路」は、制作期間およそ2ヵ月をかけ平成2年10月に完成しました。
 この間、何回も新聞やテレビなどマスコミに取り上げられ、村の様子が外部から報じられることにより、村民が改めて自分の足元を見直すことができ、この村に住む喜びや誇りを実感として感じることができました。まさにドラマ制作期間中は、村はドラマづくりで大フィーバーといった感じでした。村民の話題はドラマづくり一色となり、村民の心は「水色山路」で完全に1つとなりました。テレビドラマ「水色山路」は40分の小さな作品でしたが、村にもたらしたものはとてつもなく大きなものとなりした。
 このテレビドラマづくりから、農家の主婦を中心に、その名も「水色山路」という“りんごジュース”が販売されることになったり、「道祖神と新そば祭り」というイベントが新たに行われることになりました。そして何より変ったのは、村民が活きいきと元気になってきたことです。自主的に地域との関わりを求めるような活動が起ってきました。村の若者が集り、何にでも積極的に挑戦する若者の地域づくり集団「トライズカンパニー」も誕生し、様々な活動展開を行っています。
 漫画からテレビドラマづくりという、小さな一歩の勇気が、村にとって本当に大きな力となりました。


テレビドラマ第2弾制作へ向けて

「水色山路」は、村民に夢と自信を与えてくれました。途方もない夢であっても信念をもって皆で事にあたれば、必ず達成できることを教えてくれました。そして、それは地域の力となって今に至っています。
 感動と自信は、また新たな力となって次の目標に向い動き出しました。テレビドラマ第2弾の制作です。先ずドラマの基となる原作を公募することにしました。最初は村内を対象に行う予定でしたが、自分の足元を見るには、他地域の人びとの考え方が必要ということで、思いきって全国公募をすることにして、平成4年7月に募集要綱を発表しました。
 テーマは“ふるさと”で農村を舞台にした作品として、11月末を締切としました。初めは、もし応募作品がなかったらどうしようかと、不安でいっぱいでしたが、北は青森県、南は福岡県からと、全国幅広い地域から33編の応募がありました。
 村では「テレビドラマ原作審査委員会」をつくり第4次審査まで行い、5年3月に最優秀作品など5編を決定しました。今後はいよいよ最優秀作品のテレビドラマ化に向け、具体的な検討に入ることになります。制作に当たっては、前作と同様村営有線テレビを使い、村民皆でワイワイ言いながら作っていく予定です。今、村民の期待の中でドラマづくり第2弾への挑戦が始まろうとしています。


今後の展開

 新たな映像文化の確立を目指し、夢は限りなく広がってきています。全国規模のドラマシンポジウムや全国ドラマ祭の開催、またドラマ村宣言、ドラマセットの建設など、次々にドラマに関連した夢が生まれてきています。「初めに夢あり」で、夢を追い続け村民皆で努力すれば、夢は現実のものになることを私たちはドラマづくりで経験しました。そして、地域に夢を見られる村民がとても多くなりました。村では、そんな夢みる村民の思いを現実のものとするため、村民といっしょに考えて事業を行っていくことにしています。
 “ふるさと大好き人間”の集る山形村の地域づくりは、ドラマのようにちょっと小粋で“ふるさとの香り”を大切にした「山形村物語」……。そしてそれは、いつまでも続くネバーエンディングストーリーとなるでしょう。