「ふるさとづくり'94」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり賞

歴史・景観を活かし、草の根民活によるまちづくり
大分県 臼杵市
背景

 臼杵市は大分県の東南部に位置し、人口38,000人弱の人口流出に悩む地方小都市で平安末期から鎌倉時代に製作されたといわれる「臼杵磨崖仏(臼杵石仏)」に代表される仏教文化と、15世紀に九州一円に権勢を振るったキリシタン大名大友宗麟が築城した丹生島城(現臼杵城跡)を中心に、海外交易により商業都市として栄えた南蛮文化の影響を残す静かな城下町である。
 昭和58年6月に民間組織である「臼杵の歴史景観を守る会」が中心となって「第6回全国町並みゼミ」が臼杵市で開催され、臼杵の歴史的な町並みのすばらしさが全国に初めて紹介された。
 同60年には「日本ナショナルトラスト=観光資源保護財団」による臼杵の町並み調査が実施され、西川教授を中心とした京都大学調査団、片岡教授を中心とした大分大学調査団とともに調査した大分県建築士会臼杵支部のメンバーは臼杵に残る歴史的な建造物や景観に、そのすばらしさを再発見した。
 翌61年3月には調査の報告書が「うすきの歴史的環境と町づくり〜観光計画」としてまとめられ、この時期を契機に市民の町並み保存に対する意識も高まり、市ではこの静かな歴史的な町並みを活かしたまちづくりを推進していくこととなる。


町並み保存の取り組み

 行政の取り組みとして、60年3月に住家の景観整備の資金を集めるため「臼杵市歴史環境保存基金条例」を制定し、市民や企業の寄付と市費による基金づくりを始め、62年3月には日本ナショナルトラストの報告を基に保全地区や保存方法などを定めた「臼杵市歴史環境保全条例」を制定、平成3年7月に保全条例の条件や補助規定など詳細部分を定めた「臼杵市歴史環境保全条例施行規則」が施行され、ソフト面での体制作りができあがった。
 このころから、行政自ら町並み保存の気運をさらに高めるべく、臼杵の町全体が歴史が発見できる歴史公園と位置づけて拠点整備を進めることとなる。その第一段が昭和63年から平成元年にかけて、静閑な住宅地で中、下級武家屋敷の残る海添地区の一角にある空き家となった敷地約2,300uの旧丸毛家武家屋敷を自治省のまちづくり事業を活用し買収、保存整備した「山下通り歴史公園」である。
 さらに平成元年から2年に、同じくまちづくり事業を活用し、市の中心部にある敷地約3,500uの旧臼杵藩主の下屋敷を買収、保存再生を実施し、稲葉家禄の品々を展示する資料館などからなる「大手門通り歴史公園」として開園した。


町並み保存から草の根民活に

 臼杵の観光は、国の重要文化財にも指定されている臼杵石仏への観光が主で、年間的260,000人が訪れるが日帰り観光客が多く、また石仏が郊外にあるため観光客の多くは市街地には足を運ばない。この石仏観光を市街地に誘客するため、臼杵の歴史的な町並みを観光にも活かそうとするのが、平成元年に(社)民間活力開発機構の協力を得て始めた「草の根民活事業」で、同年10月に「臼杵市地域民活研究会」を発足し、臼杵の歴史的な町並みを資源に、官民一体となって観光ネットワークを構築しようとしたものである。
 同年12月に日本ナショナルトラストの報告書を基本に策定した「臼杵市まちづくり企画書」を基に市民代表的80人からなるまちづくりリーダーや市内の主たる企業、官公庁などで組織する情報連絡会議や地区民などの説明会や討論会を重ね、意見や提案の収集をはかった。
 さらに、平成3年には「臼杵の個性を探る」と題したまちづくりフォーラムを開催し、市民の意見や議論を踏まえた「町並み散策ルート事業計画基本構想」を同年3月に策定した。
 本構想に基づきモデルルートとして整備したのが「二王座歴史の道」で、臼杵の特徴的な町並み景観を数多く残す二王座の一角「切り通し」にある廃寺となった「真光寺」を買収し、建築士会臼杵支部のメンバーの協力を得て現況調査、改修設計を行い、市民のギャラリーとして、また観光客の休憩所として「お休み処・旧真光寺」が4年8月に復元再生された。
 さらに、並行して地区の生活道路でもある通りを地区住民との説明会を重ねた上で、4年4月に電線の地下埋設を完了、国土庁の地域個性形成事業の補助を受け同10月から5年3月にかけ臼杵石(凝灰岩)の石畳舗装による道路景観の整備を完了した。
 また、ソフト面でも地区住民、団体、青年組織などの代表20人で「臼杵市地域個性形成事業椎進委員会」を組織し、同会が中心となり臼杵の歴史的な資源を素材にした絵画・写真コンテストや臼杵らしさを醸し出す「やさしさ、もてなしの心」をテーマにしたまちづくりシンポジウムを開催した。


本物の草の根民活ヘ

 こうした、行政の取り組みは市民の盛り上がりから実施されるもので、草の根民話の究極の目的は、「官民一体で歴史的な町並みを活かして地域の活性化を図る」ことであり、市民や地元企業の協力なしには達成できない。
 幸いにも、草の根民活の運動に共鳴して住民による活動も活発で、町並み保存に熱心な市民が二王座にある無人となった武家屋敷を買い受け、本人の居り家として保存再生したり、周囲の景観にあわせて自らの家の修景整備を行っている。また、保全条例施行規則が定められた平成3年から5年の6月までで、すでに18件にのぼる本制度を活用した門や塀、家並みなどの修景整備が実施されている。
 一方、町並み整備とともにしだいに増加する市内観光客に対して、月に2回の自らの勉強会で知識を蓄え、ボランティアで観光案内を行う「うすきかたりべの会」が住民組織で昭和62年に発足し、平成3年には町並み案内書「うすきみちしるべ」を発刊するなどの活動を行っている。
 また、商工会議所青年部会は臼杵の町並みを広く市民や市外の人たちにも知ってもらおうと、市内に残るお寺や武家屋敷などでジャズやクラシック、落語などを行う「史跡コンサート」を昭和62年から毎年開催している。
 さらに、臼杵のまちづくりのトータルデザインを考える「臼杵デザイン会議」は、臼杵の市街地に残る「蔵」の調査を行い、蔵を活用したまちづくりを目的に「蔵の街構想」の策定に向け、現在調査、研究を行っている。
 また、臼杵出身の文化勲章受賞作家「野上弥生子」の生家を待つ小手川酒造(株)では、野上弥生子文学記念館の開設にあたり、生家の造り酒屋の提供とともに商家の町並みに合わせた景観施設整備などに積極的に取り組んでいる。


草の根民活のゆくえ

 市をあげて取り組んでいる歴史的町並みを活かした草の根民活は、今後、行政のハード整備を中心として二王座から海添、町八町、平清水地区へと町全体にステージを広げて展開していくことになるが、「町並みを観光にも」という動きの中で、最大の課題が整備された施設(ハード)を活かす官民一体となった組織づくりであり、観光のネットワークづくりである。
 このため、組織を動かす人材を育て上げるとともに、組織を運営する仕組みを作り上げることを当面の目標に掲げ、臼杵の市民、地元企業、臼杵出身の人たち、そして行政がともに手をとりあって、「草の根民活」の完成に向けて取り組むこととなろう。