「ふるさとづくり'94」掲載
<集団の部>ふるさとづくり振興奨励賞

大内文化のロマンを秘めたふるさとづくり
山口県・山口市 一の坂川風致保存協議会
 一の坂川は、室町時代に京を凌ぐほどの隆盛を誇った大内氏が、京都の加茂川になぞらえて形作った由緒深い川です。以来600有余年、今日のなお、昔日を偲ぶ自然の趣をただよわせ、市民のオアシスとして、また、遠来の客も足を運ぶところとなりました。
 ふりかえると昭和34年、今の天皇陛下の御成婚を記念して、川岸につつじをうえ、川の清掃を行い、環境美化活動を始めました。
 同38年には、山口国体を契機に、花いっぱい運動と、川の清掃を展開し、翌年2月には、活動の輪を一の坂川流域13町内に広げ〈一の坂川をきれいにする会〉が発足、毎月27日を環境清掃日とする【27日運動】に発展し、その後も活動を続けました。


天然記念物源氏ボタルの棲む川づくりに成功

 市民に親しまれた一の坂川ではありますが、石積みで底の浅い野趣に富んだ護岸は、従来幾度か洪水による部分的な損壊を繰り返し、その都度復旧されてきました。
 同40年、災害防止の目的で、本滝根野川合流点から、一の坂川の護岸全面改修工事が始まりました。下流から施工されたコンクリート3面張りの淡路は、従来のよどみもなく、雑草が生い茂ることもなくなり、工事は上流へと遡りました。そして42年〈一の坂川をきれいにする会〉は終息しました。
 丁度そのころ、改修工事が上流の私たちの住む後河原地区にさしかかってきたとき、住民は下流側のようなコンクリート3面張りでは、ホタルが棲めなくなり、これまでの景観が保てないとして、あくまでも原形に復旧することを行政側に求めたため、工事は一時中断されました。県・市・地元の3者協議は、紆余曲折難行しましたが、たまたま46年8月の台風19号がもたらした集中豪雨で、一の坂川の護岸も橋も桜や柳の老木もほとんどが損壊し流失しました。この惨状を目前にして、地元住民側にも治水に関心が高まり、歩み寄りが見られるようになりました。
 こうして行政側は、地元の環境保全に強い意欲があることを配慮し、治水と環境を両立させる工法として、当時は全国的にも珍しい『ホタル護岸工法』により、翌年には完成し新しい自然が作り出されました。従前に比べ遜色のない一の坂川の景観に、地元住民も満足したことは言うまでもありません。
 この年、後河原地区3町内が申合せ、一の坂川と周辺の清掃活動を復活しました。河川改修で全滅状態になった天然記念物ゲンジボタルを呼び戻すため、行政や研究機関と一緒になって幼虫の放流を繰り返し実施し、〈ホタルの棲む川づくり〉に成功しました。


〈一の坂川風致保存協議会〉の発足

 ホタルを呼び戻した一の坂川では、「一の坂川をきれいにする会」の終息を惜しむホタル護岸沿い3町内が河川の清掃や川岸グリーンベルトの扶育等に取り組みましたが、これに呼応して54年に住民の自発的な創意により、街燈組合が生まれ〈川岸を彩るアンチックなガス燈風の街路燈〉を12基建設しました。桜の花や、緑陰に映え多くの市民からその風情がたたえられました。山口市の観光案内写真のトップを飾ったほどで、住民はこのアイデアに喝采を送りました。翌55年、山口放送環境美化財団より『河川モデル地区』に指定されたのを契機に、活動の輪を上流の上竪、東瀧、木町の3町内に拡大し、6町内1050戸ほどの〈一の坂川風致保存協議会〉を結成しました。


〈ホタルの里づくり〉

 山口のホタルの、そもそもの馴れ初めは、室町時代にまで溯り、その昔、大内氏第24代弘世が京都から姫君を妻に迎えたとき、都を偲ぶ姫を慰めようと、宇治のホタルを一の坂川に放ったのが始まりとされています。
 一の坂川風致保存協議会は、大内文化のロマンを秘めた天然記念物ゲンジボタルの保護と、そのすみかである一の坂川の風情を保存することに活動の基調を置いて参りました。
 〔1〕ホタルの棲む川づくり活動は住民の間に『川は住む人の顔』との意識を高めました。
 〔2〕ホタルに必要な草群と、人が水に親しむことのできる川との調和を計り、景観を維持してきました。川掃除は、ホタルの幼虫や餌の川螺に害を与えないよう、年数回ゴミ等は拾いあげ、下流にできるだけ流さないように努めます。川の中州の草はホタルの幼虫が十分成長した時期、また、太陽光線も弱くなり、草も枯れ始めるい11月中ごろに刈り取りを行い、明春の若草を期待します。特に草刈りは、市内大殿中学校生徒会が『青少年社会参加活動の日』に、地域とのふれあいの場として共同作業してくれます。
 〔3〕川岸の桜、柳、つつじ等の並木は、ただ美しいだけでなく、ホタル川に陰を落す大切な役目を果しています。害虫駆除、剪定施肥等維持管理に努めることにより、景観とホタル川を守っています。
 〔4〕大殿小学校では、62年から、自然科学と道徳教育の一助として、ホタルの人口飼育と幼虫の放流に取りかかり、これまでに放流した幼虫の総数は182,000匹に達しました。これらの活動は一の坂川流域住民が主体となっている当協議会に加えて、大殿地区全域で取り組もうという協力もあって、『大殿ホタルを守る会』を結成し、〈地域に根づいたホタルの保護と増殖〉に取組み、成虫の採取、川螺取り、水質水温管理、幼虫放流のセレモニーなど、学校と地域が一体となって実施しています。今では他校区の子どもたちも自然に馴染、生物を育てるやさしい心を体で学びたいと参加申込みも増えています。


〈ホタル祭り〉の開催

 初夏の宵闇を飛び交うホタルの光を映して一の坂川は市民のオアシスとなります。6月初旬ホタルの最盛期には、地域のボランティアグループが共同して〈ホタルまつり〉を実施します。
 〔1〕大殿小学校児童のホタルに思いを込めた書、絵、作文、俳句などの作品を発表して、人々に訴えています。
 〔2〕小学校児童とPTAによる抹茶の作法と接待は、心の和むところです。
 〔3〕ホタルを守る会はホタルの人口飼育についてスライドを使って語りかけや、夏でも涼しい古い酒蔵の中の飼育設備を開放して見せています。
 〔4〕青年実業家の集い『大殿春秋会』のチャリティーバザーや、若者たちのライブコンサートは、まつり気分を盛り上げています。
 〔5〕住民が自由に実施するゴミ箱臨時設置には、【ホタルの棲み家を汚さないで】のステッカーを張り、ゴミ回収と【川を汚さない運動】を呼び掛けています。
 〔6〕〈ホタル鑑賞の夕べ〉として5日間の夜の交通規制を行い、最後の夜が〈ホタル祭り〉です。流域住民は、ホタル鑑賞に繰り出した市民や、観光客数万人を温かく迎えています。


〈大内文化の里づくり〉

 1360年頃、室町時代大内氏が居館を構えたこの地域は、応仁の乱の頃には京都の貴族、文化人の多くが難を逃れて、この地に集まったため『西の京』と呼ばれていたように、今もなおその呼び名が残り、町並みも昔日を偲ばせるものがあります。


景観を大事にした街並みづくり

 近年、一の坂川沿いに住宅の立て替えや新しい団地の建設等が盛んに行われ、建築に当たっては一の坂川の景観や、大内文化のしっとりした風情をそこねることのないよう配慮が行き届くようになりました。後河原地区の直ぐ上流にある天花地区の住宅団地の建設の際も建築業者は積極的に本協議会と協議して計画を立てるなど、風情にあった街並み造りに協力してもらいました。国道9号バイパス沿いの新伊勢橋挟の公衆トイレ設置も協議会から意見書を提出し、風致美化の協力を要請したところです。


遺産的建造物の保存と管理活動

 現在、隣接する大内御殿、築山殿跡地の発掘調査がほぼ終わり、これを検証する事業が官民一体となって進められ、大内文化探訪の会や、大内文化研究会など市民の活動の場も開かれ、大内文化の継承を市民ぐるみで取り組もうという動きが始まってきました。
 また、旧県立図書館書庫の保存も市民運動で実現し、『赤レンガ』の愛称で市民に親しまれていますが、この周辺の駐車場についても、当協議会は積極的に加勢し、放置自転車等のないよう美観に努めています。


盆踊りの唄『後河原音頭』に集う

 四季折々の風物詩の中で、およそ30年続いている盆踊りがあります。昭和39年、後河原地区の住民が作った盆踊りの唄『後河原音頭』で、8月17日の夜、川岸と橋を回る盆踊りが始まりました。そして、その後も毎年8月17日の夜、必ず盆踊り太鼓が響き、住民の睦あう踊りが続いています。

  ハァー 川の向こうから 誰やら招く
              ネェータ
      あれは柳か あれは柳か 人影か
       ソージャエー ソージャエー

「一の坂川をきれいにする会」が自発的な住民活動で組織され、この盆踊り唄も当時自然発生的にできました。きれいにする会の心を受け継いだ私ども「一の坂川風致保存協議会」は各種団体を育成し、また多種多様な市民グループの協力を得て、大内文化のロマンを秘めたさとづくりを進めて参りました。
 県都山口市の中心部、県庁舎から隔たること数百メートルに位置する一の坂川風致保存協議会は、今に残る京文化の風土の中で、街と人と一の坂川を『県都の顔』として〈住みたくなるふるさとづくり〉の一翼を担い、今後とも活動を続けていく所存であります。