「ふるさとづくり'94」掲載
<集団の部>ふるさとづくり振興奨励賞

宮沢賢治の童話の世界と地域づくり
北海道・穂別町 ほべつ銀河鉄道の里づくり委員会
賢治の童話の世界を地域振興に

 宮沢賢治の童話に「極東ビヂテリアン大会見聞録」という未完の作品がある。
 ニュウファンドランド島なる架空の場所に、世界各国のベジタリアンたちが集まり、「菜食主義とは何か」の議論を、祭りのように開催する。いわばコンベンションイベントのすこぶる面白い作品で、書かれた当時、ノンフィクションと思われて新聞記事にもなったという。これをとりあげて盛岡や東京で、実際に「ビヂテリアン大祭」とかが開催された、と伝えられる。
 「ビヂテリアン大祭をやろう」と言いだしたのは、「プリオシン倶楽部」の連中である。賢治の童話のようにはやれないかもしれないが、何とか、いま再現できないものか、という話に、連中のアイディアが次々と出てきた。
 「プリオシン倶楽部」というのは、「銀河鉄道の里づくり委員会」の中心メンバーで、「ここが北十字駅の近くに位置するのではないか」と、真剣なる審議をして、発足した。
 理由のひとつに、この街で約6,500万年前のクビナガリュウ化石骨が発掘されたことにもよる。
「プリオシン」という美しい名称は、賢治の名作「銀河鉄道の夜」に登場する、天の川にある海岸の名である。天の川を走る汽車に乗った主人公たちが、この海岸に降り、そこで化石を発掘している博士たちに出逢う。宇宙を走る汽車。天の川の透きとおる砂丘の中から、掘り出されてくる白亜紀の生物たち。
 話が何とも童話のようで、地域振興に取り組む「プリオシン倶楽部」の存在に説得性を欠くが、これは本当のことで、彼らは廃線の駅を「銀河ステーション」と、命名しているのである。
 北海道勇払郡穂別町富内。千歳空港から約1時間のところの町だが、山奥で、秋には時々クマが出没する。
 穂別町の人口約4,600人。富内地区はそのうち約500人。かつては鉱山と造林業でさかえた町である。


かつて、賢治の思想で村づくりに挑戦した村長もいた

 戦後まもなく、宮沢賢治の思想によって村づくりに挑戦した村長がいた。村に電気をつけるために発電所をつくり、「穂別のTVA」と称して地域開発に挺身した。村立病院を建て、授業料なしの村立高校を設けて、自分も生徒になって通った。全国で初めてのスクールバスを走らせ、教育と土木を念頭に、病をおして理想にいどんだ。
 しかし、それら独創的な事業は、ひとつの村が負うには大きすぎる財政負担と、時代の混乱によって、挫折していくしかなかった。炭坑がなくなり、過疎が進んだ。昭和61年には鉄道が消えた。


新しい地域づくりめざす「プリオシン倶楽部」

 駅舎を残し、新しい地域づくりをめざす手がかりをつかんだのは、「プリオシン倶楽部」の若い人たちの結集による。旧国鉄富内線廃止と同時に、地域ぐるみの「再開発協議会」を発足させ、駅舎も信号も線路も、客車二両もそっくりそのまま保存し、かつての村長(名誉町民横山正明)ら先人たちの、汗と情熱を継ぐべく、さまざまな提案を町役場へ寄せた。
 発電所工事のときに、安全と振興を願ってつくられた聖観音像があり、賢治の故郷花巻の彫刻家佐藤瑞圭氏の作品であることから、当時岩手日報が「賢治観音」と報じた。穂別町が指定文化財にし、この保存と修理を手はしめに「銀河鉄道の里づくり」が始まった。穂別町が町づくり施策にとあげたのである。町民の浄財でお堂が新築され、賢治が手帳に書き残していた花壇設計図をもとに、「涙ぐむ目」というネームの花壇もつくられた。かつての村長の悲壮なる意志の継承を、観音像が導きだしたのかもしれない。


世界ビヂテリアン大会遂に実現

「世界ビヂテリアン大会」は、この観音像法要と「賢治を語る集い」にはじまり、賢治の農業者としての実践と思想をテーマに、賢治の童話をモチーフにしたユニークな賢治祭をめざそうという趣旨である。穂別町が、北海道内でも先端をいく有機農業を実践していることから、地元の健康農産物研究グループも加わり、農業フォーラムや、中学生たちが土づくりの実験ハウスをつくり、ラデッシュとコマツナの育成観察記録も発表された。福祉施設の園生たちがつくったジャンボ・カボチャをくり抜いて並んだサラダ列車、旧駅舎を利用して開店したカレーショップ「注文の多い料理店」、銀河鉄道駅弁、きょうだけはすべて野菜メニュー
の野外パーティーで、どれも地元の収穫である。
 夜は、プラットホームを舞台にして「星めぐりステージ」が開かれる。レーザー光線によるスター・ウオッチングは、夜空がそのままプラネタリウムとなり、解説は地元の中学校の先生。賢治の詩の朗読やお話には、俳優の内田朝雄氏や映画監督の高畑勲氏が訪れた。音楽は札幌交響楽団のメンバーが作曲してくれた組曲「銀河鉄道の夜」である。チェロやピアノの演秦、地元の子供たちの鼓笛隊やママさんコーラスが出演、背景のライトアップされた花壇「涙ぐむ目」の、その背後から、夜空に熱気球があがる。
 賢治の実弟宮沢清六氏が、賢治の作品にふれて「いつかまた世界に散らばった若々しくて元気な次代の人々によって、別の形に書き直されたビヂテリアン大祭が、どこかで盛大に開かれる」と書かれたそのことが、ニュウファンドランド島ならぬ北海道の山奥の町で実現した。


生活者の生活を大切にする地域づくりに

 このイベントの継続や、花壇づくりを通して、里づくり委員会は、「観光や外交的なものに依存しない地域づくり」という考え方をまとめている。穂別町へ提案した基本的な方針にも
@地域の特性を生かした町民の手による計画
A何よりも生活環境の改善と向上を中心とした地域づくり
B計画づくりそのものを地域づくりとしてとらえ、他地域との交流と連動をはかりたい。
―と記した。
 町づくり計画の中のひとつとしてこれをとりあげた町では、療養泉を併設した「高齢者生きがいセンター」を建設、村づくりに献身した村長や、その村長に影響を与えた宮沢賢治、歌人浅野晃らの資料を集めた「録と文芸の館」も開設した。旧駅舎はバス待合所として活用し、里づくりのイメージにふさわしい公衆トイレや公営住宅を建設している。
 排水溝や街路灯の整備、消防分団所の新築など今後の計画も、銀河鉄道の里に似合うデザインと景観、生活環境の改善にポイントがおかれている。駅舎の現俸保存や花街道づくりのプランもある・花壇の苗を地元の子供たちがつくり、春と夏に地域総出で花壇づくりを行う。福祉施設と共同でユニークな特産品もつくりたい。賢治のふるさと花巻市の賢治祭とも交流したい。
 一過性の催事ではなく、いつ完成するかも定まらないが、ひとつひとつ自分たちの生活が少しでも楽しく、豊かなものに近づいていく過程を最も大切にしている地域づくりである。