「ふるさとづくり'94」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞

弥栄村それは世界の中心です
島根県・弥栄村 弥栄村青年セミナー
信号機はないが、宇宙開発センターのある村

 弥栄村(やさかむら)は、島根県のほぼ中央部にある中山間地の農村である。浜田市から車で南へ、つづらおりの道路を約30分山あいに入ると、その昔、その山に立つと10の国が見えるといわれた十国トンネルを抜ける。そこには神霊峰・弥畝山と牧歌的な農村風景が迎えてくれる。既に安らぎに包まれたような、そんな感じを受ける。
 弥栄村は、一昨年の国調で人口が1869人。最盛期であった昭和35年に比べて3分の1のダウンである。そこには、信号機があるわけでもないし、温泉があるわけでも、国道だって、ましてJRなんて走りっこのない村なのである。
 弥栄村、山林の保有率が85%を占め、基幹産業は農林業で、米・椎茸・和牛を中心に、加工産品にも力を入れている。
 また、コンベンションビレッジ弥栄計画という、特に食を通した、都市と農村との交流を進め、本物の食の提携出来る村を目指し、「きんさい村・おいしい村」と銘打って、地域活性化を図っている。加えて、25年住めば家がもらえるという定性化対策にも力をいれ、2年目で10世帯、約40人の人達がこの村へ移り住んでいる状況である。
 さて、私たち弥栄村青年セミナーは、昭和60年4月に結成された学習集団で、20人程の若者があちらこちらへ触手を伸ばし、何と100ものグループを作って、全国に1147のネットワークを持って活動をしている。やりたい者がどんどんやる、この指とまれの実行委員会方式だ。
 地域活動をしている人達の「若い人の参加がない」という弱音をよく耳にする。そういう人達には、今すぐ弥栄に来て、青年セミナーのメンバーに会うことをお薦めする。歓迎されるか冷遇されるかは、会いに行く人の実力次第だ。一度ではなく、三度は来て頂いたほうがよい。
 弥栄村は信号機がない。しかし、「宇宙開発センター」はある。ここに来れば、どんな大風呂敷だって広げられる。不思議なセンターだ。毎週水曜日、必ず灯がともっている。それは、定刻をどれだけ遅れても集まれること、村民に青年セミナーは活動を続けていると知ってもらえることに大きな役割をはたしている。そして、そのことはセミナーの活動にとって、重要なポイントを握っているといえる。
 このセンターで、セミナーの企画会議、飲み会、イベントの看板・ポスター作り等々、何でもやっている。「いっちょやろうか」と言えば、「やろ、やろ」とほとんど思いもかけないことを「勢い」でやってしまう。肝心なのは、その勢いと、無理のない範囲ですること。しなければならないからする青年団的活動でなくて、したいからするセミナーである。また、行動も重要なポイントだ。セミナーはとにかく動き回る。日本国中、西へ東へ、そして海外までも。弥栄村という閉鎖的な村にあっては、異色の存在だし、冷ややかな目を感じる。だが、人に出会い、刺激を受け、情報交換するため、行動はやめられない。そうやって得た情
報がセンターで飛びかっている。誰もが自分なりの宇宙を持っている。その宇宙を、飛びかう情報でどのように開発していくか、それがこの「宇宙開発センター」の役目でもある。


セミナーは外からの新風を取り入れる場

 しかし、どんなに自分たちで満足している活動でも、時に停滞することもある。そんなとき、外からの風は活動するための重要なポイントである。行動する第1歩の情報も風であるし、得てきた情報も風であり、その人も風となってセミナーの中で吹き荒れる。と、同時に人間もつれてくる。その人間も、自分が風であると同時に風を求めにきているのである。
 たとえば、セミナーのイベントでは、各自の連絡網を使って人を集める。そして、朝まで交流会をもつ。講師陣も入れ、自慢の地酒と一品を持ち寄り、朝まで語り明かすのだ。ゲストもホストもなくなり、誰もが主人公になれるのである。その時、どれだけのことを語り、どれだけ吸収できるかは各自の力量にかかっている。この風たちは、今まで私たちが見つけられなかった弥栄村を発見してくれる。村人たちも、この風たちの語り目には耳を傾けてくれる。やはり弥栄村は私たちの村だと知らせてくれるからかもしれない。とにかく風だ。風のふかない地域は、どれだけ頑張っても大きくなれない。いかにこの風に乗るか。どんな風
を求めるのか。私達は「自分達のすみたくなる村」を目指し、風の吹かれるまま活動を続けている。
 煎じつめればこのことは次の2つのことをやることに他ならない。@どんどん出掛けていって人のつながりを広げる(営業活動)。A思わず見てみたい、行ってみたいと思わせ、ほんとに来たら予想以上の満足をさせて帰す(セールスポイントの創出と付加価値の実現)。
 こうして、セミナーは、全国どこでもおもしろそうな人の集まる所に出掛けては顔を売りまくり、その付き合いの人間を村に呼ぶことをはじめた。国内の1年間ボランティアの受け入れをやったりしながら、全国に向かって「弥栄村青年セミナー」への参加を呼び掛けた。
 「宇宙開発センター」とは実は、弥栄が世界の中心だという思い込みを発信する情報発信基地だった。
 かくて、弥栄村からの情報発信第一弾は「石見神楽VS坂田明in弥栄」という、日本で初の前衛ジャズと神楽の共演という一大イベントだった。もちろんこれはNHKの全国ネットでも取り上げられ、全国的な注目も受け、500人を超える参加者は、太古からのいのちのリズムと幻想の世界に酔いしれたのだった。
 そうして、こうした活動を通して、勤めを止め、あえて弥栄村で農業に取り組んでいこうとする若者も生まれた。騒々しい文化的な行動をしながら、改めて、村で生きていくことを村で暮らしていくこと、というようにスタンスを移してきている。弥栄でどう生きるかは、自分たちがここで何をしたいかの自己主張でもある。そういう姿勢や行動が出来るから、弥栄村を覗いてみたくなる人達がいるのだ。


世界の各地とも手を結んで

 だから、島根県下各地だけでなく、セミナーと交流を求めて全国から弥栄にやってくる人は多い。きっとそれは、弥栄の元気をもらいにやってくるのだ。
 セミナーは、地元の食堂の主人と相談し、研究しながら、弥栄村にかつて伝わっていたお祝いの本膳を見事に復元した。「あお虫の会」という有機農業のグループを作り、大阪や近くの町との小さな産直の流れも作り出している。
 そして、これまでの様々な活動を、生き方だけにとどまらない暮らし方や稼ぎにつなげていくために、小さな総合商社・弥栄村難戸可商会有限会社も作った。将来の中山間地のあり方を提案するために、中山間地農業国際シンポジウムもやった。また、ヨーロッパヘの視察の企画をし、石見神楽を西ドイツヘ送った。そして、価値観を変えるために、「明日は農業どっちだ塾」で、タイの山岳民族との交流もしている。更には、サマーボランティアの受け入れ、韓国舞踏団との交流会、そして、心と体が癒せる地域・エコミュージアム弥栄を目指し、生活と環境問題にまで踏み込んだ「杜と泉のブルーシャトー運動」、官民を巻き込んだ「みず澄まし弥栄」等を展開している。
 しかし、村おこしといっても、村ぐるみ、ある日突然長者村になってしまうなんてことはおきないのだ。
 少しずつ、等身大の、そしてそのことがそのまま喜びであるような、開発というよりも内発といった形で生み出されていくのだと思う。そしていつも、村おこしだって、やる人はやり、やらない人はやらないのだ。だからとりあえず、やる人のネットワーキングをしっかりと広げていくことだろうと思う。


村には元気な若者が頑張っている

 今、弥栄村は、私達が企画して出来上がった「弥栄むら」という地酒をベースに、米と水の文化・環境・人の暮らし方までも掘り下げて、造り酒屋の方向性・村の将来の方向性を、蔵元のない弥栄村から日本全国へ、今年の10月2日、3日に「日本酒ルネッサンス」と銘打ってやることにしている。青年セミナーが9年間活動をしてきてやっとだどりついた仕掛けだ。
 弥栄村は信号機はない。しかし、自分の一度の人生を、弥栄村をバックボーンにしてしたたかに、そして楽しみながら生きていこうとする若者達がいる。食にこだわり、あすの農業を構想し、地域文化を愛し、世界に目を開き、実に多彩な活動を続けている。こんな若者達がここで頑張っている限り、弥栄村は世界の中心だといえる。これからは弥栄村が大魔術を見せてくれるかもしれない。これからは日本の弥栄村がおもしろいのだ。