「ふるさとづくり'93」掲載
<個人の部>ふるさとづくり大賞

一集落から地域全体に拡大したむら再建の活性化活動
新潟県 樋口英一
地理的条件

 私たちの集落(新潟県糸魚川市大字湯之川内)は、糸魚川の市街地から約14キロ山間部に入った奥地であり、高地のため積雪3〜4メートルの豪雪地である。
 以前は人口700余名、世帯数99戸であったが、現在は人口260余名、世帯数60戸。姓は原姓と樋ロ姓の2つだけ。
 焼山を原液とする早川の最上流集落で、学校区は上早川小学校区。下流には下早川小学校区がある。地域の背後には日本海側唯一の活火山、焼山が現在も水蒸気を立ち上げ、雄大な姿をみせている。
 このレポートは、ふるさとづくりを決意した1人から25人に、25人から集落全体の活動に拡がり、多くの課題解決を図り、さらに小学校区へ運動の輪を拡げ、さらに隣接の地区にも拡げた約15年間の活動記録である。


運動開始の動機

 私はこの地に生まれ、一旦はこの地を離れたが、何か心に残るものがあって昭和40年帰郷し、弱冠20歳であったが家業を営みながら「ふるさとづくり」運動をはじめた。
 このままでは「ムラがなくなる」。農村での経済基盤である農業が一段と厳しくなり、農村特有の人間関係が崩れてゆき、離村する人々が相次いでいた。積雪3〜4メートルの豪雪地帯とはいえ、農村に暮らすことがそんなに苦痛なのだろうか。農村社会に夢も希望もなくしたのは、あの高度経済成長という金万能社会に左右されてしまったからである。
 わたしは、この暗い農村に光を与え、農村にでも暮らせる心と環境を創り出さなければという決意を新たにして、青年団の復活に動き、再組織を実現し、リーダーを務め、農村にあったいろいろな伝統、よい習慣、創造力を身につける環境、知識を得る生活様式や産業的農業、助け合う人間関係などを形成する活動に没頭した。


壮年集団「若竹」から生活会議へ

 その次は、青年団活動は後継者に任し、村を動かす壮年層の組織化に行動を移した。私自身の主張を訴え数年かかって25名のグループが出来上がった。名称も、これから自分たちの村の発展をはかるため「若竹」という名にし、地域づくりを語り合う集団として昭和53年発足した。
 長老が支配するこの村にあっては、はじめから快く受け入れられたわけではなかった。しかし、こうした動きの中で、あしたの新潟県を創る運動協会(当時新潟県新生活運動協会)の石川秀雄事務局長との出会いで、生活会議方式を知り昭和54年からこれをとりいれ、村の各層と対話を重ね、地域ぐるみで運動を進めていくために、幼児から子ども会、青年会、壮年会、婦人会、老人会など各世代の層の充実を図り、連合的な組織参加による「湯之川内地域づくり推進委員会」(湯之川内生活会議)を発足させた。
 まさに地域ぐるみの組織であり、地域全体の合意形成の場となったのであるが、長老たちの心には、快くなじまなかったことも事実で、運動は苦難な道のりでもあった。しかし、それにひるまず生活会議の手法と精神を大切にし、運動を展開した。


数百年も続いた2名総代制の廃止

 まず最初に取り組んだのが、2名総代制を1名制に改める自治組織の改善であった。旧来の慣習で原組から1名、樋ロ組から1名というわけで2名制では、事態への対応や住民の意向に対する対処はスムーズにいかず、何かと問題があった。まずこれを1名制に改善しなければ地域の明日はないと、生活会議の手法を用い、原組、樋口組への対話を進め、全体的な総意、合意形成で行政の一本化が実現し、数百年も続いた総代2名制の歴史は幕を閉じたのである。


あすの湯之川内を考える計画とシンポ

 次は、地域課題アンケートに最も多くの住民が実現をのぞんだ「農業と温泉を結ぶ経済の確立」との取り組みであった。この重点課題(重点目標)をふまえて、住民の知恵や工夫の出し合い、話し合いをもとに、昭和56年に「湯之川内地区コミュニティ計画」を作成。57年には「湯之川内地区シンポジウム――明日の湯之川内を考える」を主催し、市役所の関係者、専門家、地元の人びとをまじえて「山菜と温泉の里づくりをいかに進めるか」を話し合った。
 このコミュニティ計画とシンポジウムをもとに「農業と観光」を結ぶ活発な特産開発活動が始まった。
 こうした活動以前に、1企業の温泉開発にあたり、湯之川内地区誘致を緊急課題として取り上げ、住民が真剣に話し合い、土地の提供、経営協力など合意づくりをし、見事誘致に成功したのである。


農業と温泉を結ぶ特産開発

 特産開発は、@ぜんまいの人工栽培、A夏秋トマト利用のピクルス製造、59年からB高原キャベツ、レタスの栽培、C栗栽培と「あわもち」の製造、D深雪もちの製造など、続々と開発し、好評を博している。
 また、これに関する施設等の整備も、@圃場整備の完成、A深雪もち生産組合の結成、B深雪もち加工場の設立、C場之川内農家組合の結成と推進計画の作成、D湯之川内特産加工施設の建設など、続々と実現をすすめている。


社会的・文化的活動も復活、開発

 特産開発活動と関連して、社会的・文化的な活動の復活、開発も住民総参加で楽しく盛り上げている。代表的なものとしては、@春まつりの復活(自治宝くじ助成金を得て新しく子ども神輿2基の新調)A温泉まつりの開催B花いっぱい運動の開始C神楽、獅子舞の復活D「ゆのかわうちむかしばなし集」の発行E「ゆのかわうちだより」の月一回発行などである。


活動が映画やテレビに放映紹介

 こうした活動は、広く全県にも知られ、昭和57年に新潟県コミュニティづくり広報映画に収録され、62年NHKから「雪国の活動」として、63年にもNHKから「雪国で暮らす人びと」として取材放映された。また、(財)あしたの日本を創る協会制作のスライド「いきいきふるさとづくり」にも収録紹介された。その他、同協会の出版物にも2回ほど取材紹介されている。


自力の活動を上早川地区全体に拡大

 私たちは、こうした自力の活動に自信を深め、上早川地区(上早川小学校区)全体の運動に拡大することに目を向け、上早川コミュニティ形成にも努力した。
 その手はじめとして、「上早川郷温泉まつり」と、スキー場開発を機に「広域雪国運動会(スキー大会)」を創設し年中行事化した。また、「ふるさとの昔の地図」を作成し、旧町村コミュニティ啓発を試み、組織化をうながした。
 その結果、昭和60年に湯之川内も含めた上早川地区23集落の活動組織として「上早川コミュニティ推進協議会」が設立し、活動を開始した。もちろん生活会議の手法によることはいうまでもない。
 そして、昭和62年3月には、上早川に活力とふれあいを生み出そう――うるおいのある上早川をめざして――と題して「上早川地区コミュニティ計画」が作成された。活力あるふるさとづくり運動の火は、野火のごとく湯之川内という1集落から上早川地区23の集落に拡がったのである。
 現在、地区のコミュニティ計画をもとに熱心に地域課題の解決活動が展開されている。すでに、いくつかの課題が解決、実現している。


さらに隣接の下早川地区に点火

 上早川地区のコミュニティ形成をめざす、ふるさとづくり運動は、太古から早川と共に運命をともにしてきた下早川地区(下早川小学校区)に点火され、平成元年から下早川コミュニティ推進協議会が組織され、生活会議の手法を取り入れて活発な活動が展開されている。


これからのあり方

 こうした手法と運動は、今や糸魚川市全域に拡がりをみせている。市の行政の対応も充実強化してきた。私たちも初心に返り、現在まで前進のみで歩み続けてきたが、この辺で後を振り返り、活動を整理し、迫りくる21世紀の新しい時代を先取りし、文化の香り豊かな日本の農村としてのあり方、農村に生きる日本人としての生き方をも、みんなで模索、創造していくことをもサブテーマとして、より充実したふるさとづくり運動を推進したいと考えている。