「ふるさとづくり'93」掲載
<集団の部>

トレイ包装にこだわりつづけて
高知県・高知生活学校
 私達がトレイ包装に問題意識を持ち始めたのは、第1次石油ショックの頃だったと思います。高度経済成長の波の中で、ひたすら「明るい豊かな生活」を求め続けた結果、公害、高物価、汚染、ゴミの増大等いろいろな問題に直面する状況において、私達はその問題の大きさと深刻さに驚くとともに“消費者は王様”とおだてられ使い捨てを豊かさと錯覚したあまりにも主体性のない消費者だったことを反省し、じっとしていられないという気持ちにかられて同じ思いの主婦達とグループを結成いたしました。そして、“暮しの見直し”“商品の包装とゴミの減量”をテーマとし、過大包装追放運動を提起し活動を始めたのがそもそも私達の運動の端緒です。
 他県の見学や研修会、行政や一般消費者への働きかけを重ねましたが、その頃は風潮としては、まだまだ消費は美徳・商品は使い捨てといったムードが強く、当然業界の反応は冷たく消費者の意識もまだまだということで私達は何度も挫折感を味わったことでした。
 ところがその後一度の石油ショックを経て、にわかに資源問題がクローズアップされ、国も政策の方向転換をし始め、高知市においても昭和51年「高知市民とくらしを守る条例」がつくられ、そのなかでいち早く過大包装基準が制定されました。しかし、トレイは今後の課題として残されてしまい、私達としてはやはり自分達の力で問題解決を図るしかないということを痛感しました。これをひとつのキッカケに、またちょうどこの頃私達は視点を時代と共有する形で活動を展開してゆくそのスタートにたったように思います。そしてそれは私達にまたひとつ高知生活学校としての再生、新たな活動のステージを提供してくれたのです。


10年近い活動のつみ重ねで

 高知生活学校としての正式な発足は昭和54年です。あしたの日本を創る協会による“新しい地域社会の創造”“省資源・省エネルギー活動”等の指針をうけて、私達生活学校の基本方針もやはりトレイ包装問題へのアプローチとしました。これまでの10年近い活動のつみ重ねをふまえて新しい展開をすべく運営委員会と学習会を続けました。そのなかで私達が問題点として明確にし、再認識したのは次の点です。
 ○トレイ、プラスチック類の包装材料はゴミを近年急激に増加させており、さらにそれらは物質循環せず、そのものとして残ってしまうゴミである
 ○“明るい豊かな生活”という言葉のもつ陥穽に気づかず、使い捨て時代の中に暮した私達自身の意識をある意味で象徴するものである
 ○これまで伝えられて来た、料理と食器の調和とそれから生じる季節感、食文化、さらにそれをとりまく生活文化を著しく破壊するものである


住民も規制に賛同

 これらの問題分析をふまえて、生活学校としてはただ関係する各部分に問題提起や要望をするのみでなく、トレイの発生から処理までを見直した形での活動方針をたて、業者、行政、一般消費者と連携を図り、構造的解決を摸索してゆくことを目標としました。当時としてはかなり困難な先の見えない目標でしたが、私達の持つ危機感と21世紀へつなげる環境を守る責任感、そしてそのために新しいものを割りたいという意気込みが運動の第1歩を踏み出させてくれました。
 まず第1段階として一般の主婦500名を対象にアンケート調査をしました。集計してみるとほとんどの人が品目によってはトレイ包装は不要という意識を持っており、業者・行政に対して何らかの規制を要望しているという実態が明らかになりました。この結果をもって55年に業者・行政との対話集会を開き、ここにおいて、行政からはゴミ処理の数宇による実情説明、ゴミ減量の必要性の訴えがあり、業者側も前向きの検討を約束してくれました。
 しかしこれからさらに前進するため、私達は“トレイを考える”というテーマで高知市の全量販店・百貨店、県・市の担当課の出席をよびかけ、会をもちました。56年6月に第1回、7月に第2回、8月に第3回の会を持つのですが、それと併行してさらに理解、協力を求めるべく各事業所を廻り、全店一斉実施でなくては意味をもたないと考えていましたので、何度も折衝を重ね、全員内外の協力も得てついに第3回目の8月17日、68品目のトレイ包装廃止が全店一致で正式決定し「青果物トレイ包装廃止中し合わせ書」をとり交わしました。捺印が終った瞬間、期せずして拍手が湧きおこりましたが、長い間挫折の連続のなかで、行政主導ではない私達自身で切り開いてきた活動の成果をうけとめ、この時、言葉では表現できない感動がありました。


トレイ回収箱設置まで

 その後10年を経過しておりますが、その間私達は追跡調査とパトロールを続け、平成3年には廃止品目も88に増え、消費者や業者の対応にも年々前進がみられるようになりました。
 そして、地球規模で環境問題がさけばれるようになり、ゴミとしてのトレイもかかわる人達の意識の変容と時代の要請を得て、ようやく処理体制の新しいシステムが求められるようになりました。完全廃止が理想ですが、私達の次の目標は再生ルートも含んだトレイプラスチックゴミの分別収集を確立することでした。
 もともと不燃物として分別収集されるべきこれらが生ゴミに混入して出されている現状と、それによる処理段階での大きな問題を前提に、今度は10枚のアンケート調査を実施しました。その中で市民の意識も着実に高まってきていることを実感し、活動への参加を図り、また、行政との対話、県内外の施設見学を重ねた結果、平成元年3月ついに高知市は、市内3ヵ所をモデル地区に設定して毎水曜日を「プラスチックの日」と定めて分別収集がスタートしました。住民の協力も得られ、実施状況も順調なことをうけて、2年1月からは全市にこの収集体制がとられることになりました。溶融の方法も含めて本当に画期的な体制づくりでした。
 そしてこの行政側(市民も)の努力をさらに活かすべく私達は、ゴミとしてではなく使用済トレイの回収を事業所と連携して推進することにしました。先の包装廃止の折りから続けている定例会の席で回収箱設置の方向性を検討しました。
 しかし、最初はほとんどの業者が否定的で、処理メーカーが高知にないという点もその大きな理由のひとつでした。すぐには解決できない問題も多かったのですが、私達としては、これまで築きあげてきたいわゆる高知方式――を消費者と業者が主体的に問題解決に取り組んてきたこと、独自のやり方で構築してきたことなど――を活かし、さらに前進させる形でリサイクル社会に寄与することを強く訴えました。溶融工場に郷されたトレイがその汚れのために0.3%しかリサイクルされていないという現状もひとつの要因となって、業者ならきれいに洗ったリサイクル可能なものだけ回収できるから、ということでようやく平成4年1月から実施の運びとなりました。
 そしてこの回状箱設置というひとつのハードルをこした時、思いがけず包装メーカー数社から私達の会に参加したい旨の中し出がありました。これは私達がそれまで望んでもなかなか実施し得なかったことで、メーカーの方達も自分達の問題として深刻に受けとめてくれていることがわかり、今後に希望のもてる展開となりました。
“暮しの見直し”を掲げてもう20年、トレイ包装に取り組んでからでも10年が過ぎました。最初はゴミの減量ということでトレイに取り組みましたが、運動を進め問題の本質に迫ろうとするにつれ、トレイ問題のもつ多面性がちょうど時代の抱える問題と相似形をなすように私達の進む方向を示してきたように思います。それが、私達がトレイ包装廃止から収集体制へ、さらに回状箱設置とリサイクル、将来的にはメーカーとの協議へと活動を展開し得た大きな要因と考えています。またその展開には、行政と様々な問題を共に検討する場がもてたことと業者の方との協力体制が非常に力になっています。何年にもわたる話し合いを通してお互いに啓発しながら問題意識を共有できるようになりその結果、ゴミを一貫したものとして捉え、主体的に問わって下さったことは行政側の努力とも相互補完する形となり大きな成果だと考えています。
 近年世論の高まりもあり、たしかにリサイクルヘの意識の高揚はめざましいものがありますが、反面リサイクルを考えているという大義名分のもとどんどんものを作っていいとか、使ってゴミとして出していいとかの風潮が許されれば、また使い捨て生活を継続するにすぎないという危機感があります。資源のムダ使いをしない、ゴミになるもの・処理困難なものを作らない出さないという基本的な認識が浸透して初めてリサイクルの意義も見えてくるのではないでしょうか?
 先日の高知新聞の読者の広場に次のような意見が掲載されました。――都会から高知へ転勤してきました。それまで高知県は地域指標においてほとんどが最下位を示しているようなところだと思っていましたが、くらしてみてゴミの回収・処理体制はどこにもひけをとらない全国的にも先駆けとなるものだと感心しました。ここ数年環境問題が大きくクローズアップされていますが、わが高知県こそエコロジーの先進県です。私は高知県民であることを胸を張って誇りに思います――この言葉を励みにして、私達は今後もさらに活動を有意義なものに展開させてゆきたいと考えています。