「ふるさとづくり'93」掲載
<集団の部>

在宅で援助を必要とする人たちと共に
富山県・小矢部市南部相互介護推進会議
地域の概況

 小矢部市は富山県の南端、石川県境に位置し、メルヘンの町として知られた人口38,000の町である。私達が住む南部地区は市の中の中心部から約10q離れた最南端にあり、世帯数120、人口600余の兼業農家が点在する縁ゆたかな散村である。


介護活動推進会議の発想と理念

 長年にわたって家庭や社会のために働いた高齢者が家庭や地域の人びとから敬愛され、いたわられ、健康で楽しく生きられ心からこの地に住むことに誇りと幸せを求めることが願いであり、またそのように環境を整備することが後継者であるわれわれの責任でもある。今や急激に進行する高齢社会に伴う老人の心身障害者の増加と、これに対応する家庭介護は、今日の家庭機能の変化からして、介護と就労の両立は極めて困難となり、老人も家族も少なからぬ憂慮と不安を抱いている。在宅相互介護活動は、かつてわれわれが永い伝統に培われた、ふる里の隣保共助と連帯の強いきづなで結ばれた相互扶助のボラントピアの精神にもとづく人間本来の自然の行為に外ならない。
 在宅福祉活動は、広範かつ複雑に絡み合う福祉事業の本流であり、その成否は共同社会に問われた避けられない絶対の課題である。そこで、ここに地域住民が共に話しあい、家庭的、社会的孤独から解放された天寿を心豊かに全う出来るよう崇高なヒューマニズムが求められるとの信念にもとずく考え方が発想である。


開設と経過

 近年、社会教育活動で県、市内外で福祉教育とのかかわりが多く学ばれるようになった。そして厚生省が「地域住民型福祉活動」を打ち出されていることを知らされた。すなわち住民が自主的に進める家庭介護を含めた活動である。
 折りしも当地区内で昼の1人ぐらしの高齢者が風邪をひき1週間就床した。だるくて昼食をとらずに寝ているところへ隣の奥さんの親切心から一杯の粥の提供があったことから家庭内紛が起きた。私達は今こそ在宅介護を相互扶助のシステム化による解決を強く感じ、富山医科薬科大学に「在宅介護」を実施することについて相談した。具体策やすすめ方については、日本社会事業大学大橋謙作教授や松山市が行政主導で実施されていることを知り、計画資料を求めた。
 地区で私達の提案に強く賛同して下さる3人の方が出た。まず住民の意義を調べるアンケートを取ったところ、85%までがこれからは必要だと答え、ぜひ推めようとの声に医大教援からも熱心に指導をいただき、昭和62年12月5日この会を発足した。名称を「小矢部市南部老人相互介護活動推進会議」と名付けたが、聞いた後からすぐ忘れそうな長い名称で、東海・北陸地方ではまだこうした名称はなく、なじみにくい会であった。新聞で知った、と3q離れた町の若い開業医が「ぜひ私もボランティアとして参加したい」と申し出があり、この事業に欠かすことの出来ない医療の専門家の参加は、私達の会の運営に大きな自信と勇気を付けられた。
 さらに市の保険課では会員の血圧測定や介護の実務講習会など小矢部保健所の指導のもとに年5、6回実施している。また、市社会福祉課、社会教育課など行政面からも財源、講座などの条件整備に協力が得られ、また市地区社協から積極的に事業委託費や助成金など運営費を交付され、今や私達は会の規模も小さく、地の利も不便ではあるが最も恵まれたところに住んでいることに感謝している。
 ここに住民意識の変革と、行政をはじめ関係機関や団体の援助が今日を成した、と思えば隔世の感がある。
 発足当時は、海のものとも山のものとも分らない状態で、悩みながら手段を考えながら模索するうちに、順次増える賛同会員に大きな力を得た。発足して間もなく老夫婦の夫が寝たきりで妻が看護していたところ、こんどは妻の入院という事態が起き夫を施設に入れようとしたが、10日間待たねばならぬことになり、さっそくその家庭の介護者として会員2人ずつを派遣したことで、遠隔地に別居中の若夫婦から安堵したと大変喜ばれた。また共働きの家庭に痴呆老人が出ても、なかなか施設に人居てきず、会員が10日程度看護に出勤した。これらのことから地域の中での助けあいがいかに大切であるかが住民の間に大きく響いたようである。
 しかし、農村の一般家庭ではプライバシーを覗かれることに大きな抵抗があることも事実であるし、介護者と被介護者とのむずかしい感情関係も考えなければならないことがわかったのでこれらの解決について研究を重ねた。それは地域社会の人間関係をよくし、いたわりと共助の心を育て偏見とにくしみをなくする住民意識の改革が先決であることを悟り、仲間づくりを始めることが課題である。
 その手段としてみんなが集まる「いこいの館」の開設を考えた。これは目的達成のための方法ではじめから想定していたものではなかった。長い伝統と習慣を変えることはそうたやすいものではない。


「いこいの館」

 いこいの館は月10日と20日の2日南部公民館を開放、朝10時になるとお年寄りたちがシルバーカーを押して、手を取り合って集って来る。「久しぶりだわね」「元気だった」とあいさつが交わされる。この日は午後4時まで自由に出入り出来る制度とした。すなわち昼食は11時30分にとり、午後1時から30分間きまって辻内科先生の健康講座や病気相談、2時から3時過ぎまで多面にわたる講師を招き各種の講習、講座を開き、新しい時代に遅れないよう「社会の窓」を開く。この事業には市の教育委員会から指定補助事業費をいただいて運営している。
 また市内のボランティアの方遠の素晴らしい訪問を受けている。最近は他県、市からの調査訪問や女子高校生、女子短人生との交流があり、高齢会員も喜んでそれに応じ、生きがいを倍増していることがわかる。訪れる人びとからこの会の方々は目を輝かし小ぎれいだと異口同音に言われたので、私ども関係者は嬉しく思っている。それにつけても交流に集る女子学生の姿を見るとき「いまの若い者は」とよく言われるが、かつて私達が若い頃老人に対し、どれだけ身近に接し、いたわったであろうか反省させられるものがある。
 この館は、ただ1日ここでみんなで話し合いして過ごすだけではなく、多くのボランティアの協力を得て専門的な技能を学び、保健婦から入浴オムツ交換、新しく出廻っている健康用器具の使用法を学び、医師から心臓病等老人のかかりやすい病気の予防について学習し、介護するときと介護されるときの態度を学んでいる。医師の来館はまさになくてはならない存在である。また学校の福祉担当の先生は実務のためにここで高齢者と話しあうことに懸命である。昼食は各家庭から持ち寄った材料で作る郷土料理で、何が出るか昼にならないとわからない。みんなの一番楽しみな時間と言えよう。また会長自らバリカンを持って来て老人に理髪をして喜ばれている。
「いこいの館」が出来て暮しにメリハリがついたと好評だ。雨が降っても風が吹いても休む人が少ないのが何よりの証拠だ。
 自分の体は自分がまもり、自己の生きがいは自分が創ることと自信を持って来たと思う。会員は発足当時より増えたが何と言っても高齢者が多いため亡くなった人も毎年数人あり、現在83名でそのうち男性が23名である。座席が大体定まっているため、亡くなった人の席があくと、だれもが人の世のはかなさを感じ、何時まてもその人の思い出が語られる。地域の中では、いつまでも「この館」に通いたいとささやかれる今日この頃で、「館」は会員の暮しの中に定着したと思う。
 場所の距離は高齢者が1人で歩いて来られる長くて15分位が適当ではなかろうか。
 高齢者にとって集会所の遠近は参加する重要な条件である。私達は津沢地区の社会福祉協議会(1,000世帯対象)にも入っているが、「総合福祉のネットワーク」にも参加し、地元中学生、女子高校との交流会に自発的に参加している。また見逃してならないことは自然の動きとして、地区内の壮年部がその高齢者の姿がやがて自分達の姿であるとして、高い関心を示し来年度新築予定の公民館に風呂場を取り付ける計画を練っている。
 平成3年度には創設5周年を記念して、会員の文集「夕映え」を作成したが、この内訳には何人かはこの執筆が遺稿となっている。


これからの課題と問題点

 1、プライバシーについての意識改革
 2、リーダーや協力者の発掘と養成(若返り)
 3、時代の先見とアイディア(新しい課題の設定)
 4、集会所の距離と施設の構造
 5、保健、医療、福祉、住民のネットワークの充実
 6、関係機関、団体との連携強化
 7、事業費の自主財源の確保
 私達津沢地区の高齢化はまだまだ進むと考えられる。その時を予想して、本当にみんなが助けあって介護しあえるために、住民を主体とした行政の指導と医療、福祉の協力を得て、みんなが一人のために、一人ひとりがみんなのために福祉のまちづくり、理想郷をつくりたい。