「ふるさとづくり'93」掲載
<集団の部>

真に魅力的な“まちづくり”を創造する
山形県・三川トピア創造委員会
町の概要

 三川町は穀倉地帯として名高い山形県庄内平野のほぼ中央に位置し、人口8,300人、面積33.21平方qの、農業を基幹産業に発展してきた田園風景豊かな純農村地域です。


三川トピア創造委員会の発足

 三川町は庄内空港、東北横断自動車道酒田線、日本海沿岸東北自動車道などの庄内地方の大型プロジェクトに加え、国道7号三川バイパス、赤川長大道架橋などの高速交通網の整備を目前に控え、新しい魅力あるふるさとづくりをめざして内外から脚光を浴びています。また、鶴岡、酒田の両10万都市の中間に位置し、空港に隣接する交通の要衝として、庄内地方の行政、産業、経済、情報等中枢機能の集積が高まり、21世紀へ向けて大きな期待が寄せられています。
 さらに、本町は豊かな自然環境に恵まれ、美しい田園風景は町民の生産と憩いの場として、また、心のよりどころとしてここに生活する人々を育んでいます。
 豊かな自然環境の中で、平成2年度に当時の三川町振興計画が最終年を迎えることもあり、21世紀へ向け若者の創造性を積極的にマチづくりに取り入れる方策として、若者だけのワーキンググループ(活動集団)を設けることになり、三川トピア創造委員会が産声をあげました。
 三川トピア創造委員会は、当時、町内の20代から30代まての若者31名で、20代の役場職員をメンバーとした「カルチャーワーキンググループ」、町内在住在勤者の20代で構成する「ヤングフェローワーキンググループ」、30代の「ユースミドルワーキンググループ」の3つのグループで構成され、それぞれ自由な発想による自主活動に取り組むことになりました。


第1歩の行動

 しかしながら、組織が発足したものの組織運営のマニュアルもないことからすぐには具体的な行動を展開するまでには至らず、まずは町政の動きから勉強しようと町長はじめ学識経験者から講義を受けるなどして、資質の向上をめざしました。また、―軒の旅館を貸し切り、三川町のまちづくりについて夜を徹して討論が行われました。その結果、一つにはイベント実施部隊として。“イベント研究班”が町おこしのためのイベント研究と実践。2つには三川町をよりよく知り、また、知ってもらうためにビデオ機器を活用した“ビデオ収録班”、3つには町の未来像の在り方について模索議論する“未来像制作班”と、話し合いの中から3つの実践部隊が誕生することになりました。


具体的な動き

 この夜を徹した話し合いの中で、当時の委員長(佐藤武夫)が以前に自費出版した『みかわの方言』という方言集が話題となり、生活に根差し、風土から生まれたすばらしい魅力をもつ“方言”を末永く保存し、方言を媒介にして地域文化の掘り起こしを目的とした「全国方言大会」が発案され、翌年の夏に実行されました。この大会は、素人企画の100%手づくりで実施し、マイナスイメージにとられがちな「方言」を逆手にとってプラスイメージに転じさせようという奇抜なアイディアに、地元はもとより首都圏のマスコミ関係者からも大きく取り上げられました。また、全国各地の学校関係者からは取材としての資料提供の依頼を受けたり、海外からは韓国の地方行政研究院からも深い関心が寄せられ関係資料を送付するなど全国的に大きな反響を呼び、三川町の存在感が全国にアピールされました。
 また、未来像制作班を中心に、私達の郷土を活力と創造性に富み、豊かな自然と美しい景観に満ちたふるさとに築き上げるため、まちづくり提言集『三川トピア構想』を町に提出しています。内容を見ると、「田園リゾートいろり火の里」(構想)に三川町の将来像を集約し、ふるさと志向が一層の高まりをみせるなかで「いろり火」を囲んで老若男女が気軽に語り合える場(大庄屋)、来町者が宿泊しながらふるさと文化を体験研修できる場(昔屋)をつくるなどコミュニティの活性化を目指すものでした。さらに、生活文化基盤の整備では生涯教育センターの建設、河川公園の整備、総合シルバーライフセンターの建設、産業・経済基盤の整備では自然感物の特産化、地下資源の活用、情報センターの設置など幅広い分野にわたっての提言書となっています。さらに、その後、この提言書のフォローアップを行い、庄内を一体としてとらえた総合文化センターなどの追加提言を行い、町の振興審議会などに提出しています。
 一方、この提言を受けた町では、その具現策を「クワロマン……田園リゾートいろり火の里構想」の一環として、第1期工事に平成元年7月に湧出た温泉を利用し「なの花温泉 田田(でんでん)」の入浴施設“大庄屋”と宿泊研修施設“昔屋”を建設し、それぞれ「いろり」をメインに据え、地域住民の憩い、語らい、ふれあいの場として提供しています。また、町の中央を流れる赤川の河川敷に河川公園「ふれあい」を設置し、メイン通りとして位置づけた都市計画道路には、三川の四季を「全国方言大会」のマスコット“ほうげん坊や”でコンクリート壁面を彩り、さらに方言案内板を設置するなど地域住民に親しまれています。
 このように『三川トピア構想』が着実に町政に反映し、住民ニーズを適確にとらえた提言であったことを示しています。
 その他の活動としては、地方の都市化という名の下に失われつつある地方文化と伝統、あわせて、ふるさとの資源を再発見し、後世に伝え残すため、ビデオ収録班を中心にして、ビデオ映像に収める活動を展開しています。


活動の波及効果

 全国方言大会をはじめ各種の提言と活動は、全国に人的ネットワークが築かれ、三川トピア創造委員会の活動に弾みがついています。昭和62年より毎年、「みかわ方言研究会」が主催する“新春ほうげんカラオケ大会”の開催、平成2年と3年に全国の風俗をとらえた写真とともにほうげんを紹介する「全国方言写真展」、昔いろり端できいた懐かしい民話のぬくもりを全国各地の方言で語られる「民話の夕べ」などがふるさと創生事業の一環として町が主催し、開催しています。
 また、大学や国の機関が年数回、方言調査に訪れるようになりました。


むすび

 米以外にこれと言った特産物、観光資源のないと言われ続けた町で、職種、年代の異なる青年たちが、まちづくりのため不断に学習・討論を重ね、実践を通して理想郷(ユートピア)の形成を目指しているものであり、三川トピア創造委員会の活動に、住民も熱いまなざしを注いでいます。また、三川トピア創造委員会を去っていった委員も、それぞれ所属する団体で積極的に活動しています。
 こうした活発な活動を展開している三川トピア創造委員会は、発足当初、町がもくろんでいた町政への青年層からの意見反映も1歩も2歩も進め、こうした自主的活動そのものが“地域おこし”“人づくり”としてとらえられており、今、本町で最も熱く、輝きを放つ青年組織です。
 現在、三川トピア創造委員会の委員は「第6回全国方言大会」(11月23日開催)に向け、また、不断の地域づくりに向け日夜活動を展開しています。今後も、さらなる活動を期待しています。