「ふるさとづくり'92」掲載
<市町村の部>

地域づくりは「オラの村のメイキング・オブ・ストーリー」
長野県山形村
山形村の概況

 長野県のほぼ中央部「松本市」の西南に位置し、基盤整備された900ヘクタールの農耕地が、ゆったりと広がる農林地帯。ここが私たちのふるさと「山形村」です。
 面積は24.94平方キロメートルと小さく、人口はおよそ6,800人。昭和40年代には5,000人を割った人口も、地方中核都市「松本市」のベッドタウンとして、近年増加傾向にあります。また、産業は自然的条件を活かした農業が中心で、基幹作物は、ながいも、すいか、りんごなどです。早くから農業投資を積極的に行い、農業基盤はほぼ完成の域に達していますが、社会情勢の変化により農業従事者の高齢化、婦女子化か進み、次代を担う若い農業後継者も減少傾向にあります。
 このような中で、昼間地域内で生活する機会の少なくなった住民の地域への帰属度は低下傾向にあり、地域のまとまりや活力も失われてきており、住民の心の一体感の醸成が求められてきています。


地域づくりへの引金

 バラバラになっていた住民の目を地域に向けさせ「本当にここに住んで良かった」と言える地域づくりについて考えさせてくれる契機となったのが“自ら考え自ら行う地域づくり事業”ふるさと創生の1億円でした。
 村では、この1億円を将来に向け、どのように活かすのか、また、自分たちの地域にとって何か必要なのかという観点から「将来のステキな“むらづくり”のために!どのように使うか1億円」と題したアンケート調査を行いました。対象者は、20歳以上の全住民およそ4,700人で回収率は80%と、この1億円に対する住民の関心の高さが伺えました。村の地域づくりのテーマのようなものが住民の意見の中から見出せればと期待して行ったアンケート調査でしたが、あまりにも住民の意見は多種多様に渡っており、このアンケート内容だけでは、将来の山形村の方向性といったものを捕らえることはできませんでした。
 そこで、このアンケート結果を基に、もう少し意見の絞り込みを行うため、住民代表13名からなる「ふるさと創生事業研究委員会」が組織されました。この委員会では、原則として会議は夜行い、飲ミュニケーションで本音を語り合うことも度々ありました。意見を絞り将来の山形村を考えていこうと、張り切って発足した委員会でしたが、話し合えば話し合うほど意見はまとまりません。
 そんな折、委員の中から出てきたのが次のような意見てした。「どうも私たちは、この村に住んでいながら、本当は村のことを知らないんじゃないだろうか。改善すべきことや伸ばしていくことを発見するには、まず住民自身が村を知ることが大切なのではないだろうか。村の本質を知ることにより、将来の村のあり方も見えて来るのではないだろうか」と……。この意見を受けて、村では住民への地域紹介の方法について検討に入ることになりました。


ストーリー少女漫画が登場

 さて、住民にどんな方法で地域を知ってもらい、そして理解してもらったら良いのだろうか。そんな時ふと目に止まったのが、農林水産省で発行した「漫画日本農業入門」でした。分り易さ、やわらかさに加え、記録性もある漫画という手段は、とても魅力的に感じました。また、身近な風景などを漫画の中に描くことにより親近感が生まれ、漫画を通じて地域をもう一度見直してみることができる様な気がしました。そして、協議の末決定されたのが、ストーリー漫画による地域紹介という方法でした。
 漫画家も「日本農業入門」を描いた東京在住の“藍まりと”さんにお願いすることができ、A5版92ページの漫画、山形村物語「水色山路」として、平成2年3月に発刊することができました。内容は、都会に住む瞳キラキラのヒロインが、偶然訪れた山形村の人たちの温かな人情や自然に触れ、山形村をふるさととして感じていくという、いわば「ディスカバーふるさと」といったものです。
 この漫画を1万部印刷し、村内全戸と全国の自治体に配ったところ、たくさんの反響の葉書が届けられました。住民からは「改めて自分の住む地域の素材が分った」とか「何気なく見ていた村の風景が、漫画を通してとても新鮮に感じられた」などといった感想や、全国からは続編のストーリーを書いたものや、「山形村をぜひ一度訪れてみたい」とか、「漫画を作った勇気に拍手」などといった激励のものなど様々な内容のものが届けられました。また、行政が少女漫画で村を紹介という物珍しさもあり、マスコミで何回か取りあげられたりもし、この漫画は好評でした。
 住民も、今まで何もないと思っていた地域が見方を変えれば、とても個性的な素材を持った地域であることを、この漫画で知りました。そして個性的ということが分り初めたことにより、住民の中に少しずつですが、この村に住む喜びが生まれてきたようです。地域住民へ「ふるさと」とは、と問いかけ、また外部へ向って山形村という情報を発信したという意味で、この漫画は一種の地域CIだったのかもしれません。


漫画からドラマづくりへと

 村には、地域住民のコミュニティづくりを大きな目的として、平成元年7月に開局した村営有線テレビがあります。そこで、漫画により地域への思いが強くなった住民の心の一体感をさらに深めるため、好評だった漫画を原作に、村営有線テレビでドラマを作ろうという話が持ち上がりました。しかし簡単にドラマづくりといっても知識も経験もありません。そこで堅く考えず、村を舞台に住民皆で大学芸会をやってしまおうという発想と、とにかく何でもチャレンジという考えの基、ドラマづくりへのゴーサインが出されました。
 まずテレビドラマを作ってみたいという住民6人が集まり、発起人会が結成されました。続いて住民有志による実行委員会が組織され、その後、全国公募によるヒロインオーディションや、スタッフ、キャスト発表記者会見などが大真面目に行われました。
 監督は専業農家、脚色は農協職員、プロデューサーは公民館長、出演者も会社員や摂家の主婦など全くの素人集団です。こうしてヒロインを抜かし、スタッフ、キャストともオール村民という、住民の住民による住民のためのテレビドラマ「水色山路」の制作がスタートしました。
 ロケ期間は2週間の日程で行われましたが、天候にあわせシナリオも変えてしまうという超ウルトラCを使い、何とか日程どおり終了することができました。この間何度か新聞、テレビなどに取り上げられ、ロケ現場では「オラの村のテレビドラマ作り」を見ようと、住民も遠まきにロケ風景を眺める姿もあり、正に村は「水色山路」で大フィーバーという感じでした。
 編集作業も無事に終り、10月5日には完成試写会を行い、同時に全村へ向け村営有線テレビでドラマ「水色山路」の放送を行いました。およそ2ヵ月で完成した40分のテレビドラマですが、多くの住民に感動を与えたようです。村のあちこちでは「とても素人が作ったとは思えない」とか「皆が一生懸命やっている姿を見て感動して泣けた」といった声も聞かれ、完全に住民の心は、この「水色山路」で一つになりました。


人が、そして地域が変る

 村再発見のための、漫画づくりという小さな出来事が、村中の住民を巻き込んだテレビドラマづくりへと発展し、さらに地域資源を活かした「水色山路りんごジュース」の販売や「水色山路の里・道祖神と新そば祭り」のイベント開催という風に、段々と発展をみせてきています。
 また、住民の中からは「ドラマ村宣言をして将来はこの地で全国ドラマ祭をやろう」とか「ドラマ村にふさわしいような大がかりなドラマセットを村の中に作ろう」などといった話が出てきています。少し前までは、経済性の原則に捕らわれた話しか出ていなかった住民の中に、新たな文化の創造の息吹が感じられるようになってきました。また、住民が明るく元気に変ってきました。人が変り、地域も変ってきています。


楽しくて元気な地域づくりを目指して

 住民の心の一体感が生まれるとき、そこに大きなエネルギーが完成し、地域が動くことを住民自身が知りました。住民一人ひとりが輝けば、地域も輝くことを知りました。村は楽しくて元気のある地域づくりを目指し、第一歩を踏み出しました。そして、その一歩は無利無駄にあえて挑戦した勇気ある第一歩であり、地域を変えた大きな一歩となりました。
 漫画からドラマといった活動により、何もないと思っていた地域に夢と希望が生まれ、住民も、そして村も元気になりました。村では今、夢の実現に向けドラマ第2弾の検討に入っています。内容は、崩壊した村の祭青年を復活するため「水色山路」の主人公たちが活躍するというもので、このドラマに併せ、参加者の減少により崩壊してしまった祭青年を、本当に再結成させようということになっています。
 住民の心を捕らえて離さない、楽しくて感動的な、そして、いつまでも続く、メイキング・オブ・山形村ストーリーが始まろうとしています。