「ふるさとづくり'92」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり賞

健康の町“鷹栖”づくりをめざして
北海道鷹栖町
鷹栖町の概況

 北海道のやや中央、北海道の屋根といわれる大雪山系を南東に仰ぐ上川盆地に位置し、北海道第2の都市旭川市に隣接する人口7,200人の小さな町です。
 本町は、周囲を丘陵に囲まれた平坦な盆地であり面積は139.31平方キロメートル、うち山林・原野が51.16平方キロメートル、農用地が47.85平方キロメートルを占めており、農用地のうち85.4%が水田。海抜120メートル〜150メートルで水利に恵まれ開拓以来水稲単作地帯として発展してきた純農村であります。
 人口は、昭和31年の10,685人を最高に年々減少し、過疎化が進む北海道の中で例外なく本町も人口減と高齢化に直面しています。
 平成2年10月には北海道縦貫自動車道が開通し、道都札幌市(149キロメートル)から約2時間となり、また本田技研工場竃k海道総合試験場の立地など、農業を中心とした町は徐々にその姿を変えようとしています。
 私たちの町は橋の多い町で、小さな町の中に176を数えています。昭和55年に町で架ける最後の永久橋とのことで、何か記念になるようにとの発想から、叩くと童謡“夕焼け小焼け”のメロディーを奏でる鉄琴の橋「メロディー橋」が誕生しました。
 本町では、「自らの健康は自らが守る」を合言葉に町と住民が一体となって、三位一体(保健医療、食生活、体力づくり)の健康づくり活動を推進しています。


健康な町づくりの背景と内容
「小さな町の大きな試み」 総合健康調査(ミニ・ドック)がスタート

 昭和44年、本町の医療機関は、少数の開業医と出張診療所のみであり、無医地区2ヵ所を有する等、極めて不十分な医療体制でした。
 このため、病気を我慢したり、あるいは十分に治療しない人が多く、農村特有の生活・労働条件も加わって成人病、農夫病が多発していました。しかしながら、これに対処するため従来行なわれてきた健診は受診が低いうえ、各種検査が別々に行なわれるものであり、また、検診内容も限られているほか、精密度も低い等の問題点があり、十分効果を挙げ得ませんでした。
 このため、町民一人ひとりが自分の健康状態に関心を持つことにより、生きいきとした家庭生活をおくったり、生産力を高めたり、さらに自治体財政を圧迫する医療費の増大を防ぐ上からも、健康づくりは町民及び町にとって急務の課題となり、町民白身による健康管理と健康増進を町づくりの主要な施策として実施に移す必要が生じました。
 そこで、昭和50年から旭川厚生病院、北海道対がん協会及び本町の地元医師の協力を得て、疾病の早期発見、早期治療を目的にした総合健康調査(ミニドック)を実施することとしました。
 この総合健康調査は30歳以上の町民を対象として、各地区ごとに実施するもので、その内容は、いわゆる人間ドックで、総合的な検査を第1次検査及び第2次検査に分けて行なうものであり、健康審査の結果に基づき住民健康カルテを作成するとともに、異常アリとされた者については、治療及び食事・生活指導を実施し、今年で17年目を迎えました。
 昭和50年のスタートでは、受診者数1,172人、受診率27.0%であったものが昭和58年には1,552人、39.5%、平成2年では1,690人、44.5%と年年受診率が向上しています。
 さらに、「健康づくりは家庭から」を合言葉に家庭での健康管理はお母さんであると同様に、地域の健康づくりの中心は婦人が主役とな
り、保健婦と一体となって活動する「保健推進委員」体制を確立しました。
 また、役所に戸籍簿があるように、町民の健康状況を生まれてから死ぬまで記録しようと「住民健康管理台帳」を昭和44年から行なっていましたが、データ及び分析情報が膨大となったことから1年間の研究を重ね、昭和61年にデータの分析・個別の健康指導などを目的にコンピュータによるシステム化を図り「鷹栖町健康管理情報システム」を確立しました。


町民皆「スポーツマスター賞」制度の発足

 総合健康診査を通じて「健康づくり」についての認識が、行政から与えられるものだけでなく、自らの意識で健康を保持しようとする町民の主体的な取り組みが生まれ、健康診査だけでなく自分で自分の健康を守るスポーツの生活化、体力づくりも定着してきました。
 この体力づくりは、生命の貯蓄体操(真向法、自きゅう術から発展したもの。現在、5道場180人が実践)を始め、歩・走運動、歩くスキーを核に町民皆スポーツ運動を推進しています。
 一方、昭和52年には実践者の体力づくりを記録化し、継続的に健康管理を自分のこととして考え、実践し、習慣化することをねらいに、「鷹栖町スポーツマスター賞」を制定し、現在、名誉スポーツマスター1人、スポーツマスター14人が誕生しています。
 さらに、「楽しみながら体力づくり」を進めるため、昭和58年に冬季間の運動不足を補う目的で歩くスキーフェスティバルを開催、昭和60年には。健康をさがそう・をテーマにジョギングフェスティバルを実施し、いづれも1,000人を越す参加の中で現在も継続、運動の習慣化と実践者の交流を因っています。


健康食品「オオカミの桃」誕生

 昭和52年、総合健康診査スタートから3年目の健康診査に合わせて食生活調査を実施した中で、ビタミンA・Cの摂取量が少なかったことが判明しました。「冬季間は野菜も不足がちになる」。そこで、自分たちの毎日の食習慣を見直す運動が始まり、鷹栖で作られている農産物を使い、栄養のバランスを考えた料理教室を開催しました。そして、“食生活からの健康づくり”を合言葉に、地場で生産した農産物を材料に、添加物の入らない健康食品が誕生しました。
 健康食品の代表作のトマトジュース“オオカミの桃”は、「農家の庭先に作られているトマトが食べきれず腐っている。栄養たっぷりのトマトがもったいない」。これがヒントとなって古い公民館を改造した「農産加工簡易施設」で作り始めました。
 防腐剤などの添加物は一切使用せず、0.3%の塩分と完熟トマトで「家庭からの健康づくり」を実践しようと、婦人の方が加工施設ヘトマトを持ちより、製造を始め、冬季間の健康飲料として家族ぐるみで愛飲するようになりました。
 このトマトジュースを「健康の自給自足」から、「健康への輸出」へと前進させるため、昭和59年から「オオカミの桃」の商品名で販売を開始しました。自家用の簡易加工施設では対応できず、昭和61年に農協・町の出資で鷹栖町農業振興公社を設立、20万本を製造し本格的生産を始め平成2年には40万本に達しています。
 さらに、食生活の面から「健康づくり」に取り組んだ中から農産物に付加価値を高める効果が生まれ、続いて「減塩みそ」「ヒマワリ油」「ステビアの里(砂糖の300倍の甘さでカロリーが少ない)」など、健康な食生活を確保する展開と健康食品たかすブランドの確立を図っています。


町と町民が共通課題に向かって

「生きがいをもって、いくつまでも働くことができるような健康づくりを町ぐるみで進めよう」とスタートした健康な町づくり運動は、町と町民が共通の課題意識としてとらえ、町民の参加と主体的な取り組みで着実に定着してきました。
 総合健康診査を個人の健康管理としている反面、受診回数が重なるとともに、住民参加や住民のきずなが強まる傾向が高まり、また、安心して働きつづける環境づくりに役立ち、「生きがいをもって働ける」基盤ともなり、町民の保健知識の向上が保健行動へと発展してきました。
 さらに、健康食品「オオカミの挑」の誕生は、家庭の健康を守る主人公である主婦7〜8人が1グループとなって、家庭の健康飲料を製造することができるとともに、コミュニティの揚が創出され、婦人の交流を促進することができました。
 また、健康食品づくりは、安定した原料買い上げ、パート労働力の確保、農協商工会の小売収益、郵便局のふるさと郵便活用など、「地域複合産業」としての役割を果す効果も生まれてきました。


今後の課題と展望

 “健康で心豊かな福社農村づくり”をめざしてスタートし、今年で20数年が経過しました。
 この間、本町の健康づくりは「幸せに生きるとは何か。人間生活の根本的なテーマを健康づくりとするゴールのない道に挑戦し、体だけでなく心の健康へと、生活文化を高め、生きいきとした町づくり」をめざして町民、町総ぐるみで取り組んできました。
 いま、私たちの町ではこの健康な町をさらに前進させるために、保健医療・スポーツ・食生活を有機的に結び付けて総合的推進を図るケア・ミックス構想の確立や健康的なマチをブランド名にした付加価値の高い農産加工の新たな展開、高齢者の生きがいを高める展開など、難しい課題が生じてきています。
 私たちは、「自らの健康は自らで守る」町民主体の健康づくり活動の蓄積を基盤にして、全町挙げてこの課題に取組み、解決し、来るべき高齢化社会への軟着陸をめざしながら、人生80年代を心豊かにしていける健康の町の姿を作っていきます。