「ふるさとづくり'92」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり大賞

地域づくりは未来への思いやりづくり
広島県沼隈町
地域の知恵で、地域を育てる

 沼隈町は、広島県東南部に位置し、面積は130.89平方キロメートル。東と北は福山市に接し、南は海を隔てて内海町に対し、西は尾道市に接する人口14,000人余りの小さな町です。
 かつては、備後畳表の本場として名声を知られた町ですが、現在は、造船とぶどうを中心とした近郊農業が主流をなしています。
 そんな沼隈町で、地域の独自性を生かし、「自らの地域は自らが知恵を出し、汗を流し、住みよいものに創り育てていく」ことを基本とした地域づくり推進事業がスタートしたのは、8年前の昭和58年のことです。
 それまで住民の福祉、保健、環境整備、利便性の向上、文化の振興などは、町が中心となって進めてきました。しかし、真に住みやすく、個性ある地域にしていくためには、地域のことを一番よく知っている地元住民が考え、進めていくべきであり、行政は資料の提供や技術、経費などを援助するのが役割との理念に立ってこの事業を始めました。


手探りからのスタート

 事業はまず、地域の抱えている問題点について地域住民が自由に意見を出し合うことからスタートします。何10回にも及ぶことがある話し合いによって出された意見を整理し、地域課題としてまとめます。地域にとって何が必要か、何が遅れているか、何ができるか等、将来を展望しながら3年間の事業計画書をつくります。計画書が出来上がったら、町長の承認を受け、地域づくりモデル地域の指定を受けた後、より地域の連帯を深めながら町の担当課(地域振興課)との連携のもとに、具体的に事業を進めることになるという流れになるのです。
 当時、地区住民が計画書づくりから実践まで、すべて自分達の手で取り組むといった手法は、全国的にもほとんど例をみない事業でした。そのため、地区住民だけでなく町としても暗中模索、手探りの状態からのスタートとなりました。しかし、事業の趣旨が住民の中に定着し、理解されるとともに、これに取り組もうという地域が増え、現在では、町内48すべての地域がそれぞれ工夫を凝らし夢のあるふるさと・地域づくりに取り組んでいます。


地域づくり個性派大集合―パロディからロマンまで

「地域づくりは楽しくやろう」とパロディにより、チェリー連邦共和国を建国。国旗・国歌づくり、地域の未来図づくり等で大騒ぎしただけでなく、道路拡幅、ガードパイプ、藤だな、河川改修、水質浄化水路、桜並木、シンボルとしての時計台づくりなどすべてを手づくりで実施。昭和60年には、魅力あるまちづくりの推進に特に顕著な功績があったとして、建設省から表彰までうけた桜地区。
「地域内で自動車の乗入れができない家をなくそう」と、上地交渉から施工までを地区住民の総力を結集して道路の拡張整備に取り組み、全戸に車が行けるようになった鞆路地区。
 地域の中心にある面積約6万平方メートルの天神山を「地区のへそ」として蘇らせることを計画。電柱や間代打を利用して、神楽殿や休み堂、花壇、藤だな、防護柵、さらにはコミュニティ広場や遊歩道、進入路の整備まで業者まかせてなく手づくりで行い、公園を建設した岡田地区。千本あるという桜は、地区住民だけでなく、花見時期には、近隣市町村からも多くの人が訪れており、沼隈町の新しい名所にもなりつつあります。
「奥組川に愛とロマンのコミュニティ」を地域のキャッチフレーズとして、奥組川に蛍を呼び戻すことを目標に、水質汚濁防止に取り組んでいる奥組地区。
 約600メートル北側にある農業用水池内沃地から、40メートルの落差を利用した流下式のパイプラインを計画。幹管、被管を合わせると、約1800メートルにも及ぶ給水パイプラインをすべて地区住民の労力で完成させた白浜地区。地域の中心にある自然流下式の手づくり噴水は、地域づくりでつくった大時計とともに、学童たちが登校する待ち合わせ場所としても活躍しています。
「平家ロマンの里づくり」を地域のスローガンとして、21世紀の森づくり、平家谷大学の開校、平通盛公8百年祭、地域への玄関口の整備、観光しょうぶ園、平家ゆかりの特産品開発等すべて平家のイメージの地域づくりを目指している横倉地区。観賞しょうぶ園は、建設省から平成3年度の「手づくり郷土賞」を受賞しました。
 沼隈町の動派である山南川が集落の中心を流れていることから、山南川の公園化を計画。定期清掃、土手ぞいのフラワーロード、藤だな公園、交差点のバーベナテネラなど地域をあげて美化活動に取り組んでいる樫隈(一)地区。「たのしみ文化の里づくり」をテーマに沿道修景美化や古くからの地域のシンボルである弘法の井戸の復活で地域づくりを図っている菅田地区。
 生活雑排水により地域の中心にある柏迫他の汚濁が進んだことから、他の浄化をアピールするため、水上ステージを建設。水上ステージを利用して手づくりイカダレース、とうろう流し、盆踊りやコンサート等を開催しながら、水質問題に取り組んでいる土居地区。
 その他にも地域の歴史書を編纂した上森迫地区。地域内に中国語の話せる人がいたことから、中国との文化交流を目指して中国語講座を開設した勝負迫地区。「イメージアップマイタウン堂尾」を合言葉にフラワーロードやあじさい堤防づくりに取り組んでいる堂尾地区。「ほたるの住める川にしよう」と本谷川の清流復活作戦を展開している本谷地区等、町内48すべての地域が競い合うように、少しでも住みやすい集落にと、今日も額に汗しています。


「地域づくり推進事業」への住民の理解とともに

「地域づくり推進事業」に取り組んできた8年間の成果としては、@計画から実施まですべて地区住民が主導であることから、地域の自主性や連帯感が向上した。A画一的でなく、地区住民のアイディアや地域にある資源を有効に活用した地域づくりが図れる。B住民と行政との責任分野の明確化が図れる。C行政からの一方的な事業計画でなく、住民が本当に必要とする事業を実施できる。D地区住民の地域に対する共通した愛情と誇りとを醸成できる。などがあります。
 しかし、反対に問題点もあり、@地域で取り組まれる内容、事業の進捗状況などの違いで、行政の行う援助に格差が生じる。A手づくりを基本としているので、建設事業を実施する場合、日曜、祝祭日に作業等が集中し、休日を束縛される。B地域エゴがでやすい側面がある。などがあげられます。
 また、行政がやるべきことを住民に押しつけているといった厳しい批判もありました。これは、この事業の趣旨が住民に十分理解されていなかったことが大きな原因です。そこで、行政が当然やるべきことをやっていないという誤解をなくすために、担当者を中心として極力地域に出かけ、住民との話し合いをもつことにしました。日夜、地域で、いい集落をつくるための話し合いを重ねることにより、事業の趣旨も深く浸透し、徐々にではありますが、行政への理解も進みました。
 事業の当初は、建設事業の成果を急ぐあまりにでた地域からの不平不満も、地域住民が何度も話し合いを持つなど、自らの努力で次第に解消されていきました。
「ふるさと創生」をはじめとして、国、県、市町村の政策の動向か「自らの地域は自ら考え実践する」という方向に変わりつつあることも原因のひとつだと思います。


地域づくりは未来への思いやりづくり

 自らが知恵を出し、汗を出してつくった道路や水路、あるいは広場や公園には、一人ひとりの愛情といとおしさが生まれます。自分達のつくった道路を、耕運機の爪を立てながら通行する人はいないでしょう。自分達でつくった広場には感動があり、自分達の汗がしみこんでいる水路には、いつまでも思い出とロマンが残ります。
 3年も前のことになりますが、天神山公園でお年寄が「孫が大学へ合格した記念樹だ」といって、自分の家から持ってきた紅白の梅の本を植栽している光景を見たことがあります。「この梅の木が大きくなるまで自分は生きられないと思います。孫の子供が大きくなった頃、梅の木の下で遊んでくれることを夢見たい」と話されたその言葉が強く印象に残っています。
 また、永年の夢でもあった運動広場を完成させ、スポーツ大会、運動会、祭りなどさまざまなコミュニティ行事を積極的に取り組んでいる集落へ行った時のことです。広場の草取りをしていたお母さんが「子供に楽しい思い出をつくってやるのは親の責任です。いい地域をつくるのは、子供のためでもあり、自分のためでもあります」と、汗をふきながら話された言葉も忘れることができません。
 今、沼隈町では、自分達が苦労して創り育てている地域づくりを、胸を張って自慢する住民が増えています。自らの住む地域に誇りを持つ住民も増えています。沼隈町の進めている地域づくりは、未来への思いやりづくりです。自分達の子供や孫のために、自らが住む地域をこよなく愛する住民が、みんなで考え実践する事業です。
 地域づくり活動の活発な地域の住民の多くは、自分達が考えた事業を実践することを、心から楽しんでいるように思えます。みんなで考えた夢づくりのドラマに参加できることを楽しんでいます。
 これからも、沼隈町のイメージを代表する看板事業として、地域づくり推進事業のエネルギーは永遠に渦巻き、燃えながら広がっていくでしょう。