「ふるさとづくり'92」掲載
<集団の部>

オオムラサキの森づくり
埼玉県嵐山町 オオムラサキの森づくり協議会
自然環境を生かした森づくり

 嵐山町は、埼玉県の西部、秩父連山を背にした比企丘陵のほぼ中央に位置する人口約1万8千人の小さな町です。東京の通勤圈にあり、近くには、都幾川(ときかわ)が流れ、台地に広がる森や林、渓谷、田園の豊かな自然に恵まれたところです。鎌倉時代の武将として名高い、木曽義仲公生誕の地(幼名駒王丸の鎌形八幡神社産湯の清水)であり、畠山重忠公の菅谷館跡など歴史のふるさととしても知られています。
 このような自然環境を生かして、『オオムラサキの森づくり』のきっかけとなったのは、昭和55年埼玉県の県民休養地事業における構想の一環として計画されたことからです。


オオムラサキって、なーに?

 オオムラサキというと、皆さんは、花のツツジの一種と思いませんか?私も最初は、思いました。実は、1957年(昭和32年)昆虫学会で国蝶に選定されている蝶です。
 オオムラサキは、タテハチョウ科の仲間では最も大きく、羽を広げると約10センチメートルになり、オスは姿も美しく、直線的な力強い飛行はとても魅力的です。以前は日本各
地で見ることができました。


住民主導の協議会

 『オオムラサキの森づくり』は、町の自然環境を見直し、最近薄れてきた自然とのふれあい、やすらぎのある地域社会をつくっていこうとする運動の一環として計画されました。
 具体的には、協議会の規約づくりは住民が始めました。
 この基本計画は、活発な住民主導型として、民間と行政の「オオムラサキの森づくり協議会」が中心となって進めてきました。
会」が中心となって進めてきました。
 基本的な森の計画段階から森づくりに対して、住民が森の現状の地形で木や草花を残す調査、植栽、抜根など自主的に参加し、また、年1回、全体で実施する森の下草刈には各々の立場で集まり、共に汗を流し森の整備に努めています。さらに森の自然のサイクルに戻すために育てる会(昆虫愛好家)から管理の指導を得て、自然の理解者の手によって随時下草刈が行われています。


昆虫と人は仲間だ

 協議会の構成員は、森づくりの趣旨に賛同する個人、育てる会、各小学校PTAの役員、各小学校、町教育委員会、町商工観光課です。このなかの一つの育てる会は、なぜ育てる会なのか?この会は、育てる対象を蝶だけではなく、雑木林を見直し、森を育て、子供たちに森づくりの活動を通して、自然のしくみを知ることを目的としています。雑木林は、つい最近までは、薪や落葉などを利用し、四季に応じて人々を楽しませてきました。このように維持管理するには、下草刈り、伐採による林産物の利用など自然のサイクルが必要なのです。これらの雑木林の仕組みを知ることにより、人の営みを考えあわせ家庭において、子供、親、祖父母と家族の生活の中で、最近薄れてきた家族の絆を自然の仕組として結び付け、明るい家庭を築いていく考えが根底にあります。


学校にもある森づくり

 森づくりは、協議会の中だけでなく小学校の中にもあります。活動の1つとして、町の菅谷小学校、鎌形小学校に観察舎を造り、生態を観察しています。この中のオオムラサキは、幼虫越冬調査を小学校のPTA、協議会、育てる会の協力により実施した時に、自然淘汰される幼虫を持ってきて育てます。活動に参加している子供たちの中で、最初は、幼虫の毛虫は、「気持悪い……」と、言って触ることもできない子がいましたが、幼虫越冬調査に参加し自然の厳しさ、生命の営みを知り今では、オオムラサキの幼虫を見て、目やしぐさが「かーわいい……」と、言うまでになりました。
 この活動も、1990年からは、新たに七郷小学校、志賀小学校も加わり、先生の指導のもと子供たちが課外活動の時間に管理や世話を熱心に行っています。嵐山町に赴任の先生の中には、オオムラサキを初めて見てその姿に感激し、詳しく生態を知るために協議会や育てる会の会員の指導を受け、子供たちより熱心に飼育に参加する先生もいて、更に飼育も活発になりました。これで、町のすべての小学校が活動しています。


みんなが、始めた森づくり

 森づくりの活動が町内に知られることによって、町では、オオムラサキを様々にデザインしました。その例として、下水道のマンホールの蓋の文様、郵便封筒、印鑑証明用紙、FAX用紙に印刷、各課の広報車ドアーにステッカーを貼付し、全庁上げて森づくりの啓蒙に努めています。民間の方では、トレーナーを商工会青年部で製作、また、和菓子屋ではオオムラサキお菓子を販売して新しい土産品が一つ出来ました。町観光協会では、これらのものを網羅し、手書きのテレホンカード(4回製作販売)、バッジ、ブルゾン、10種類の蝶の名刺を作りこれらの売上げの一部を森づくりの活動資金に充てています。これらを、報道機関に連絡し県外に森づくりの活動の、PRに努めています。


蝶は町のシンボルだ

 昭和63年、ふるさと創生資金1億円の使途について、住民回覧アンケートを実施しましたところ、駒王太鼓(木曽義仲公の幼名にちなんでの創作太鼓)、太平山(町一番高い山)山頂公園整備、蝶の里公園(自然のシンボル)の3案が決まりました。
 これに基づいて、ふるさと事業選考委員会を発足し正式に町の事業として予算議決されました。
 都幾川を中心とした森づくりは、町民のアイデアの中で自然保護のシンボルである蝶の里公園づくりの構想として、さらに広がりを見せています。これは、オオムラサキの森(埼玉県によって買収済の1.8ヘクタール)の南側を、約3ヘクタールを平成3年度、平成4年度にわたり町が買収し、自然の理にかなった森づくりを目ざしています。
 蝶の里公園は、園地・樹林・水辺及び草地を一体とし、整備していくことを第一と考えています。
 自然環境の持つ様々な効用が十分発揮できるように、すでにある「オオムラサキの森」を核とした蝶の里公園(林の自然)と県で計画中のホタルの里(水辺の自然)、ふれあいの原っぱ(草地の自然)と導線で結び関連した活用を考えています。
 このようなことを基にして、協議会及び住民の指導、意見(森の基本設計、実施設計に対しての協議)を受け、蝶の生息として大切な雑木林の形成を図っているところです。


森づくりは誰でも参加できる

「オオムラサキの森づくり協議会」では、町外、県外の人たちが森づくりに自由に参加できるように、森づくり協力員という制度をつくりました。これは、だれでも入会金1,500円(刺しゅうのワッペン、オオムラサキをデザインした会員証がもらえます)で加入できます。加入の具体的な広報活動としては、地域のデパート、催しの中で、オオムラサキの写真展の開催依頼がありました。このような場を生かし、育てる会の会員が順番で説明員となり参加しています。また、この際に主催者側の方、入場者にも、森づくり協力員として加入して頂いています。
 華やかな季節である(オオムラサキが羽化し成虫の時期)7月下旬から8月中旬の、自然観察会通知をします。この参加者の中からも、地味でありますが、毎回2〜3入の加入者がいます。現在会員もお陰様で147名となりました。遠くは京都の嵐山在住の方の会員もあり、手紙の交流も始まりました。


雑木林でシンポジウム

 森づくりは、地域住民の参加によって自然と調和する豊かな環境の剔出に向けて、今回「ふるさとを考える〜いま雑木林は…」をテーマに、シンポジウムを開催しました。
 後援機関としては、環境庁、埼玉県、埼玉県教育委員会、嵐山町、嵐山町教育委員会等多教支援していただきました。
 この後援を頂く過程の中で、協議会員や育てる会の人々が、平常の自然活動の一環として、講演会の講師、県の線の推進委員、県の自然史博物館の会員として活動している、「人と地域」のつながりを通じて後援依頼も、スムーズに頂けたことを心強く思いました。
 シンポジウム開催運営については、協議会、育てる会、各小学校、PTA(59名)で実施できましたことは、地域のつながりを深める機会を得ることができました。参加者の人集めにつきましては、各自のつながりを生かして駆け回って成功てきたことで、何よりの収穫であります。
「蝶の舞うふるさと…らんざん」の写真集は、協議会員、育てる会員が地元の蝶を長いあいだ追って、苦労して撮った写真と文章を集め編集したもので、人々のつながりの結果です。
 シンポジウムは、多数の参加(385人)、を得ることができましたことは、森づくりの一歩を標るしたことと自負しています。
 これからも、地道に自然観察会を開催し、自然のすばらしさ大切さがわかる人々を増やしていきたいと思っています。