「ふるさとづくり'92」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞

手づくりの異文化交流をめざす
石川県金沢市 石川国際交流ラウンジ
活発な国際交流都市・金沢

 金沢市は現在、海外6都市との姉妹都市交流をはじめとして、いくつもの国際交流を行っている。
 また、新旧両面の貌を持ち、藩政期以来の歴史的文化財や伝統芸術・芸能が今なお保存伝承されていることで、外国からの観光客や研究者、留学生か毎年増加しており、受け入れ体制も公的機関から民間団体まで幅広い対応が必要になってきている。
 石川国際交流ラウンジは、外国人のための「公民館」として、県内に在住する外国人同士が気軽に集まり、談笑し、日本の文化を学ぶことのできるサロンを創り上げたユニークな団体である。
 言語や習慣の違いからくるコミュニケーション不足を少しでも解消しようとの意欲に溢れたボランティアグループでもある。


日本の伝統文化を学ぶサロン

 石川国際交流ラウンジは、平成元年1月13日にオープンした。設置母体は、昭和59年に発足した「国際交流を深める婦人の会」である。この会は、国や県から海外研修に派遣された婦人を中心として、国際化促進のための研修と、国際交流活動のボランティアの輪を広げることを目的に作られた。昭和63年に「石川国際交流婦人の会」と改称し、現在の会員数は400名を超えている。
 開会が具体的に行っている事業としては、ホームステイの受け入れや地域国際理解フォーラム、海外派遣事業、国際交流活動事業の調査などがあり、年べ活動範囲も規模も拡大してきている。
 石川国際交流ラウンジ(以下「ラウンジ」と呼称)の誕生は、昭和63年10月に能登地区で開催された「留学生受入研修会」の席上、参加した留学生からの要望が契機となった。要約すると次の三点である。
一、習得した日本語の練習場所がない。
二、日本の文化を体験したいが、経済的にむずかしい。
三、商業用でなく、気軽に集まって話せる揚が欲しい。
 これらは日本流に言えば、地域の「公民館」が欲しいということであり、「婦人の会」のメンバーがさっそく、場所と人材探しに動き出した。県庁、兼六園付近の空き家を探し、マスコミで日本文化を教えてくれるボランティアの募集を行った。12月には家もみつかり、応募のボランティアは50名を超えた。大きな反響と興奮の内に、「ラウンジ」の開設準備は着々と進み、オープンの日を迎えた。
 木造2階建てで、1階が事務室とダイニングキッチン、8畳の和室、2階が8畳と6畳の和室という小じんまりとした造りだが、毎日午前10時から午後9時まで、県内在住の外国人の憩いの場となり、日本語や茶道、生花書道、尺八、三味線、着付、日本舞踊などの無料講座も順次開かれていった。


学習や交流の場として幅広く活用

「ラウンジ」の利用者は口コミもあって、日を追って増え続け、当初の30人から現在では1日に約30人、1カ月に700人以上もの利用者で振わっている。国籍も30カ国以上を数え、留学生のみならず、石川県を訪れた外国人、日本人と結婚した人、短期間の観光客など多岐にわたる人々が「ラウンジ」でくつろぎ、語らいの一時を過ごしている。
 オープン当時の建物は、1年契約で取り壊しが決定していた事情に加え、利用者の増加と共にもう少し広いスペースが必要となったため、「ラウンジ」は平成元年4月に引っ越しを行った。同じ通りの斜め向かいにあった県の総務部長官舎が無料で借りられることになったのだ。部屋敷が1、2階合わせて13室もあり、日本庭園には池も造られていた。
 新たなスタートを始めた「ラウンジ」では外国人同士、或いはボランティアと外国人、ボランティア同士の和気あいあいとした触れあいが続いている。季節毎に開かれる、ひな祭りや七夕など日本の伝統行事や祭りの他、バザー、クリスマスパーティ、歓送迎会といった催しがその架け橋となっている。
 また、金沢市の祭りの一つ「百万石祭り」で、留学生たちが「踊り流し」に飛び入り参加したり、能登や加賀で行われる国際交流の集いでのホームステイを体験することで、話し相手や相談者に巡り合えた外国人も多い。
 中でも特に彼等が楽しみにしているのが、日本文化の無料講座だ。常時20講座、30名以上のボランティアで運営されており、自分が希望する講座をいくつでも受講することができる。一番人気の高い講座は、やはり日本語で、片言でしか話せない人もしばらく通う内に、随分上達していくようだ。
 女性に喜ばれる講座が多いので、琴や三味線、日本舞踊、和裁、着付、茶や生花などの講座からは、若い女性の笑い声が絶えない。一方、囲碁や将棋、尺八といった男性向けの講座もあるが、皆それ程性別にこだわることなく、尺八に挑戦する女性や琴の音を楽しむ男性もいて、日本人顔負けの熱意と努力でマスターする人が多い。そして、新春の弾き初め会や離日の際の送別会では、日頃の練習成果を披露し合い、終了後はお国自慢の料理を持ち寄り、和やかな交歓風景があちこちで展開される。
 そうした学習や交流の場であるだけでなく、「ラウンジ」は時には「祈りの場」にも変身する。金沢市周辺に住むイスラム教圏の留学生たちは、彼等にとって特別な日にあたる金曜日に集まり、成年男子の義務とされる集団礼拝を行ってきた。特に今年1月にぼっ発した湾岸戦争時には、遠く離れた故郷の中東諸国の平和を祈り、1日も早い終結をとの願いを込めて、「金曜の祈り」を毎週ささげた。
「ラウンジ」の果たす役割の広範さがうかがえると同時に、今後のあり方の指針を示唆されたような活用方法の一例である。


活動を支えるボランティアたち

 民間団体による手づくりの異文化交流を目標に、5年目を迎えた「ラウンジ」のもう一方の主役は、100名にものぼるボランティアたちだ。性別・年齢を問わず、自己の持つ時間と能力を、外国人のために提供する意欲のある人なら誰でも歓迎ということで、実にさまざまな人々が出入りしている。日本語をはじめとする各種講座の講師だけてはなく、アルバイトの紹介や日常生活の上での悩み事相談、催し物附催時の世話などあらゆる面で、ボランティアの協力があってこそ、「ラウンジ」の活動はスムーズに動いていくのだ。
 10代から70代まで、細かなスケジュールの下に、彼等の余暇は外国人たちに提供されている。家庭の主婦が一番多いが、中には伝統芸能や音楽、美術、文化面での有資格者たち、仕事を持つ会社員などもいる。ボランティアには1日の交通費が支払われるだけだが、彼等は外国人たちとの交流の中から、お金では買えない貴重な体験を得ている。不慣れな外国語で、お互いのコミュニケーションを図ることは、かなりの気苦労と努力を必要とする。しかし、一つの文化を通して教えたり、教えられたりしていく過程で、謙虚に相手の国情や習慣、そして人間性を理解していけるのだから、何にもまして身についた国際交流が何能になる。
 知識の上での表面的な理解を超えた、真に心の交流ができる場としての「ラウンジ」をボランティアたちは好きで好きでたまらないと言う。欧米の先進諸国の人だちから学ぶことも多いが、中国や東南アジア、遠くは南米からの移住者の人々の真剣な勉強意欲や生活態度に教えられることもしばしばである。
 金沢に居ながらにして、国際交流の一端を担える幸運は、ボランティアたち自身が生涯学習の場をみつけることのできた喜びと重なり合い、彼らの活動が、今後ますます広がり深まるだろうことは想像に難くない。


ネットワーク作りに大きく貢献

「ラウンジ」を基点として、留学生をはじめとする外国人たちとのネットワークも築かれつつある。長期、短期を問わず、金沢を中心に石川県を訪れる外国人を受け入れる際、最も必要なものが宿泊施設である。限られた施費で高い宿泊費を払うことなく、しかも日本を理解する最短コースとして、ホームステイはよく利用される方法だ。
「ラウンジ」に集まる人たちは、その面でも大きな力となって、自宅や知人の家をホームステイ先として進んで提供し続けている。彼らの友好的で開放的なボランティア精神は、新しい出会いを求めて遺憾なく発揮され、交流の輪はどんどん広がっていく。意図せずにネットワークが張られ、瞬時に情報交換と実践活動が行われていく様子からは、石川県、特に金沢市民の閉鎖性が取沙汰されることの片鱗もうかがうことができない。
 国際社会の中で日本の動向が一段と重要視される時代にあって、今後は市民や個人レベルでの国際交流が、今以上に質量共の変革を求められてきている。本格的な草の根交流が始まる兆しの中で、「石川国際交流ラウンジ」は、その規模は小さいながらも、北陸の地に着実に根を下ろし、数多くの実践活動を続けてきた。
 外国人のための「公民館」は、肩肘張らずに、金沢を訪れた人たちを迎え、共に学び、人間性を基盤にした平づくりの異文化交流をめざした「ラウンジ」の別称であり、姿勢であり、成果でもある。今後もボランティアを核とした市民の熱い応援を受けて、金沢と金沢を愛する外国人のために、「石川国際交流ラウンジ」ができることを率先して行っていきたいと、メンバーの全員が心に刻んでいる毎日だ。