「ふるさとづくり'92」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞

個性豊かで、活力あるふるさとづくりの活動
北海道紋別市 流氷あいすらんど共和国北海道・室蘭ルネッサンス
流氷あいすらんど共和国の建国

 オホーツク海沿岸のド真中に位置する紋別市(人口3万1千人)は1月末から3月にかけて一面、流氷におおわれ、基幹産業の漁業活動は完全に冬眠状態に入ります。漁師にとっても、経済界にとっても、この厄介者の流氷を逆手にとって観光に活かせないものか。世界で最も南で結氷する海、オホーツクの流氷を観光資源として街の活性化につなげようとの発想から昭和38年、オホーツク沿線の先陣を切って、もんべつ流氷まつりが始まりました。
 以来29年を経過した今日では、オホーツク海の一大冬期フェスティバルとして道内外から多くの観光客を引きつけるイベントに成長しましたが、間期が3日間であり、長い冬を楽しむには、短かかったのです。まつりのあとも、土地や流氷の情報に不案内の旅行者が不便を感じていたと思います。
 折から日本列島では、ミニ独立国ブームがはじまろうとしている時でした。流水の到来と共に、人々の活動も経済もこごえてしまうのです。こんな時期にこそ、我々地元の若者も積極的にまつりに参画し、マチおこしを目指して汗を流そうと考えたのです。ただのまつりでは、つまらんぞ!!ねらいはなんだ。テーマやビジョンを持とう。29年も前に流氷まつりを考えた先人達はなにを考えてはじめたのか。あえて寒さの中、氷を使ってまつりをする。最初は多くの市民も振り向いてくれなかったそうです。
 そんな話の中、市内のさまざまな業界の若手リーダー達が集まってくれました。市や業界の協力も得られ、このまちを愛し、このまちに生きる人やたずねてくる人々を愛し、オホーツクの自然や風土を愛し、オホーツクに新しい文化を創造しよう。自らイベントを楽しみ、イベントを通じて、北の文化の創造を市民や旅人にうったえてゆこうと昭和60年2月、60名のメンバーによって「流氷あいすらんど共和国」が建国されました。
 国名を決める時、ひとつ問題がありました。同じ名前のアイスランド共和国(大西洋北部)があったのです。
 市の協力で外務省を通じてアイスランド共和国に、同じ“よみ”となる国名を拝借したいむねお願いしたところ、同国から私達のイベントが成功する様にと、ありかたいメッセージと共に国旗や通貨、切手などアイスランド共和国の資料が送られてきたのです。それで私達の共和国はひらがなで日本のあいすらんどになったのです。私達の活動にもうひとつの大きな柱、アイスランド共和国との国際交流が加わったのです。こんなステキなハプニングをへて開国した私達あいすらんどは、3日間の流氷まつりをはさんて、1カ月もの長期イベントでスタートしたのでした。
 地元にある物で、地元の人が見失った物を掘り起こそう、この土地に合った物を創ろうが私達のイベントのコンセプトでもありました。あいすらんどの国土(イベント会場)は子供達が学校帰りにあそびに来るところ、大人もあそびに来るところであるのです。子供達をファミコンから冬の外へひっぱり出したかったのです。大人達にも(いつも同じエリアで生きている)こんな事ができるという事を知ってもらいたかったのです。オホーツク流氷街道をただ歩く観光客でなくて、真の旅人になってほしかったのです。
 そんな思いであいすらんどの会揚が1カ月のイベントのためにさらに1カ月間準備と後始末のために要するのです。会場のメインは迎賓館。開催中はあいすらんど活動の情報の発信地でもあり、また仲間が集まり、ディスカッションし、旅人が翼を休め、地元の人々が暖をとりにくる。いつのまにか子供も大人もあいすらんどのメンバーとワイワイガヤガヤ。とてもおもしろい発想がここからも生まれるのです。いつの間にか旅人もメンバーになって、1週間あいすらんどに住み着いたり、昨年来た人が今年も顔を出す。別れの日は一緒に泣けてしまう。
 私たちのマチは人口3万人の小都市ですが、こうした交流のなかで、豊かな知恵や人物、集団、企業とのつながりを外に求め、そのネットワークを広めていけば、マチおこしの大きな力になることを実感しました。


流氷をテーマにした冬期イベント

 迎賓館には、あいすらんどグッズの売店があります。本国のアイスランド共和国の資料が展示され、私達との国際交流の足跡も掲示されている売店では、アイスランド直輸入のセーター類が売られています。市内のハムクラブもこぞって参加し、国営放送局を担当。毎日全国へかけて、そしてアイスランドに向けてもメッセージを送っています。ミニFM局、ミニテレビ局の中継では老人ホームのお年寄り達が大よろこびでした。北の創作展も開催し、地元やとなり町の木工芸品などの作品の展示も行っています。
 こうして迎賓館は流氷街道のオアシスとして、イベントの核となっています。その他、会場内には子供達が自由に遊べる坂があり、多くの子供達が自分達でルールを創って、新しいすべり方をあみ出すのです。そんな姿を見ていると、決して今の子供に夢がないなんて思えません。氷で作ったスベリ台、イグルー(氷のかまくら)、あいすらんど協会、流水温泉、氷で作ったパットゴルフコース、流氷神社にそなえた氷のさい銭箱、りっぱな流氷をかざったミスター流氷、丸太で作った魚の焼栗小屋。市内のスノーモービルクラブが運営する国営タクシーは流氷を見ながらのコースだけに旅行者や市民に大うけです。農家のおじさんも馬車で参加。これは国営鉄道です。かかしからこのマチにある天然木に木のぬくもりも加えて、市内のさまざまな団体も参加してあいすらんどの国土ができあがるのです。
 さて国土ができ上がってもメンバーは安心できません。今度はつぎつぎに大きなイベントがあるのです。スノーモービル大行進によるオープニングセレモニーにはじまって、地元の炭を1トンも使った、氷点下のまるかじりパーティー(地元の特産品を炭でやいて食べる巨大なバイキング)。紋別牛をはじめ海産品などの材料は市内の業者が特安で提供してくれるのです。今では市農協がキャンペーン事業として協力してくれますし、水産加工場も商品の発表の場として、酒小売店の青年部も年間の最大の行事として、このパーティーを活用してくれるのです。北欧からきた外国人達も、市民や旅人のなかに心を間いてとけ込みます。マイナス18℃ほどの寒さのなかでも食べて飲んでアイトラクションと、こんなに元気に遊ぶことができるのです。参加料は1人千円ですけど赤字にはなりません。
 このほか流氷海岸を親子でクイズを解きながら歩く流氷かち歩き大会、氷柱だきつき大会、音楽好きが旅人と流氷の夜を楽しむ迎賓館での流氷の夜の集い、私の商売道具サンマの集魚灯も利用したアートナイトinオホーツク(花火、ライト、火、音楽を組み合わせたコンサート)。ファミリー木像コンテストては、親子で自由に木をつみ上げ、木をけずり、おもしろい作品をつくりあげるのです。網走支庁管内の新任小中学校の教師が全員集まり、冬期研修の一環として木の作品指導も致しております。そして最後には流氷結婚式でイベントを締めくくります。
 この結婚式は全国公募で1組だけを選出して行われます。全国でも最もユニークな結婚式としてテレビ・雑誌等で広く全国に紹介されております。あいすらんどは“愛すらんど”でもあり、人生の大きな門出をイベントをこえて、市民と共にお祝いするのです。木彫りのレリーフ結婚証明書は、どこにもない記念の品となっています。これもメンバーの1人で市内の木彫り師の作品であります。アイスランド人の結婚式もやりました。新しい夫婦からの便りはとてもうれしいものです。子供の誕生を知らされ、夫婦元気に暮らしているとそんなたよりが全国各地から届くのです。


地域の文化おこし

 以上のような、あいすらんどのイベントや活動を通じて、新しく市内に生まれた団体があります。イグルーの中から生まれた究極の「湯どうふ同好会」。日本の健康食を見直したい市内のとうふ屋さんも大よろこびで協力。今では自分達で育てた紋別産100%の大豆の味を楽しんでおります。あいすらんどのオリジナルグッズを―と特産品のミンクを生産者からわけていただき、北のファッションを考える会、「ミンクのつぼみの会」を市内の御婦人達がつくってくれました。紋別は日本一のミンク毛皮の生産地。なめしからデザイン、縫製までの一貫生産が目標ですが、市況の悪化により、いまだになめしから縫製までを外注にたよっております。このほか旅人が安心してこのマチの味をたのしめるように―と飲食店有志が「グループ旅の夜」を結成。今までバラバラであった飲食店の意識改革に大きな力となっています。
 あいすらんどの夜はとても美しいのです。ライトアップされた木像は、夜にさらに美しさを増します。早くから、あいすらんどではライティングに工夫をかさねてきました。そこから生まれたライトアップ集団「夜光虫」は四季折々の紋別の良さをライトアップで表現しようと市内中央にある公園を拠点に活勤し、市の夏まつりにも機材が利用されて市民の目を楽しませ、冬期間訪れる人もいなかった紋別公園を市民がおおぜい散策するようになりました。さらに現在、建国8年目のあいすらんどにむけて、建具の青年部が地元の木材を利用した、フィールドで使用できる家具ともいうべきもの、しかも冬の野外でも充分に利用できるものを考え創る会を発足させたいと、進行中であります。
 市民は今、私達が次になにをやるのか、期待の目で見守ってくれています。建国当時の市民感情とは確実にちがってきています。流氷を逆手にとって観光資源にと始まったあいすらんども、現在は観光が第一ではなくて、オホーツクの新しい文化なのです。たんなる観光客ではなくて、旅人を迎えるのです。アイスランド共和国との国際交流で、私達は大切な精神を知ったのです。火山の災害、ヨーロッパから遠くはなれた地理的条件、北海道が生まれる前から苛酷な自然条件を逆手にとって、ユニークな北の文化を千年もかけて創り上げてきたのです。このアイスランドにくらべ、北海道はたったの100年、まだまだこれからです。これからだからこそ私達も、北の文化の創造に参加できるのです。
 あいすらんど誕生から8年。私の子供も大きくなりました。「お父さん、あれ良かったね。次何やるの」。誰もほめてくれなくても、子供達の1言で元気がでます。共に意見を戦わせてきた仲間達も、家にもどれば同じだと思います。故郷で暮らせるよろこび、オホーツクのすばらしい自然や恵みにかこまれて、なにもしないで生きたら、いつかきっと後悔するでしょう。


仲間の異業種間交流

 あいすらんどのメンバーは、私の漁業をはじめ、土木、建築、配管、商業、農業、教師、そして全国にいる大使によって構成されています。イベントによって市内の青年団体(漁協青年部、農業青年部、商工青年部や文化グループ)が応援にかけつけてくれます。
 モチはモチ屋という言葉がありますが、このように1カ所にさまざまな職業の人たちが集まります。このマチでこんな機会はそうありません。ものを創り、活用する。それがあいすらんどです。世の中にむだな職業なんてないことが良くわかりました。人の作業のやり方や考え方を知らず知らずに見せつけられる。仕事の論議もあり、また、教えられる。自分の職場に帰ったとき、いままでとちがう自分を見いだすことが出来ます。人のためにやると思えば、つらいことも、結局、自分のためであれば、あいすらんどの活動も永くつづけられることができます。


管内、道内、道外のマチおこし仲間とのネットワークづくり

 北海道には、全道をネットする「北海道ヒューマンネットワークプラザ」があります。(事務局道庁)。マチおこし仲間達が夢倶楽部通信で結ばれ、毎年、ミニ独立国サミットが当番で行われています。また、年に1度、札幌に集合、意見交換の場ともなっています。その下に支庁単位のネットワークがあり、今年の秋、私達の網走支庁管内にも、“オホーツク寒気団”が発足しました。あいすらんどをはじめ、各市町村のマチおこし団体と個人によって最近の暖冬に対抗して、本来の北海道らしさをオホーツクが守る―を合言葉に情報、意見の交換と管内統一のイベントの展開を考えています。
 また、九州の福岡に、あいすらんどとの交流がきっかけでFM福岡、女性誌編集長、料理人らの集まりが「オホーツククラブ」を発足させました。流氷でむすばれたこのおつき合いを大切に、そしてこれからの楽しさに期待をこめております。


アイスランド共和国(北欧)との国際交流

 行政や財界主流の姉妹都市交流から、生活、文化のさまざまなジャンルで、目的のある市民交流に私達アイスランド訪問を機に勝手に紋別アイスランド協会をつくった非力な私達にとって、歩みは遅いけれど、目的やルールを大切に、きちんとした姿勢で交流をつづけていきたいと考えております。
 現在、アイスランドには7人の日本人が市民として生活しております。私達の交流に対して、とても協力的で、良きアドバイスをいただいております。1991年10月14日、東京に日本アイスランド協会が発足。私達あいすらんどにも加入のご案内がありましたので、よろこんで会員になりました。
 機会があって今年6月、2度目の本国訪問をしてきました。前回の訪問の時、レイキャビク市の環境担当者と約束した桜のたねをたずさえてきました。エゾヤマ桜、千島桜のたね干粒のお土産でしたが、いつかきっとアイスランドに北海道の桜が咲くでしょう。タイミングよくアイスランドでは、グリーンキャンペーンの最中で、とてもよろこんでいただきました。
 共和国の大統領や大臣はパロディですが、あいすらんど運営のために年間を通じて企画、財源、広報、人材、イベントなどの実行委員会をひんぱんに開きます。合言葉は楽しくやろう実行委員会です。イベントをやりこなしていくには、つらいことがあります。そんな時、楽しくさせてくれるのが実行委員会のつどいです。以上のような役割分担になっております。
 年間財源は700万円、半分はあいすらんどの事業収入、半分は市の助成、企業寄付となっています。メンバーは手弁当であります。私達の活動も10年の節目を迎えようとしております。アイスランドとの国際交流、そして日本列島が同じ色になりつつある中、北海道らしさ、そしてオホーツクらしさを求めてゆこうと思っております。