「ふるさとづくり'91」掲載
<自治体の部>ふるさとづくり大賞

豊かな緑と水につつまれ生活文化を楽しむまち
宮崎県 綾町
綾町の概要

 宮崎市の真ん中を豊かな水量をたたえて大淀川が流れている。
 綾町は大淀川の上流、約20キロメートルの所にあり、宮崎市から車で約40分で着く照葉の里である。鉄道、国道はないが、県道、町道が縦横に走り、森林につつまれた静かな盆地に7300人が生活を楽しんでいる町である。
 交通機関は宮崎交通の定期路線バスだけであり、宮崎市と綾町の間を1日、68便が往復している。
 町全体面積の80パーセントに当たる7600へクタールは森林で覆われ、特に1748へクタールという日本最大規模の照葉樹(常緑広葉樹)の群生した自然林が現在も残っている。
 その壮大な照葉樹林を縫うようにして綾南川、綾北川のふたつの河川が渓谷をつくり、豊かな清水が速瀬で流れ、四季を通して美しい自然景観を醸し出している。
 この一帯が昭和57年5月に、九州中央山地国定公園(綾地区)として指定された。綾町では緑豊かな森林、そこから湧き出る清水を背景として地域に根づいた産業が興り、本物指向の町づくりが、町と町民とが協力し合って進められてきた。


ふるさとづくりへのこれまでの取り組み

●日本最大の照葉樹林を後世に残そう。
 現在園定公園になっている森林一帯に、なぜ日本最大規模の照葉樹の自然林が残っているのかを説明しておきたい。
 照葉樹が主に残っているのは国有林であるがこの照葉樹林をめぐって、昭和42年7月に重大な出来事が起こりかけた。それは、既に伐採が済んでいる民有林200ヘクタールと照葉樹の群生した国有林(現在の国定公園一帯)330へクタールとの交換が成立しようとしていたのだ。この情報をキャッチした町は、ただちに交換反対運動ののろしを揚げ、町民の90パーセントの交換反対署名をもとに議会、町民代表者等をして宮崎県知事、県議会に対し国有林交換反対陳情を行った。なお、町長は当時の倉石農林大臣に直訴してこの交換成立を阻止し自然保護の一端を担ったものである。
 その後昭和45年から13年の長期に及んで国定公園指定運動を行い、昭和57年5月にようやく指定を受けたのである。
●どうして照葉樹林が綾町にとって大切なのか。
 人びとは古代から母なる森林の恵みと生態系の中で生命を維持し繁栄してきた。
 樹木が空気を浄化し、森林から湧き出る清水が生活、生産に利用され、魚が育ち、森林が洪水を調節し、そこに自生している葉木が食用、薬用、染料から生活用具、あるいは暖房など様々に人間に活用され、また、森林に生息する鳥獣類が人間の蛋自源にも供されるなどの資源活用のみでなく、信仰、芸能をもつつみこむなど諸々の面で、今日の生活文化を照葉樹林が育み与えてきたからである。
 今日ではややもすると生活文化の根源を忘れ、近代化を追求し経済性・利便性に目を向けがちであるが、生活の真の豊かさは何であるかを真剣に考える必要がある。
 自然に対する評価として表われたのが「21世紀に残す日本の自然百選」「森林浴の森日本百選」「名水百選」「あおぞらの街」入選などであり、綾町のイメージアップに大きく役だちその成果として、日本一の焼酎醸造を誇る企業が立地し、その後にその企業と町、農協、地場産業とが出資した第3セクターの設立をみて、グレードの高い宿泊、温泉保養や手づくり工芸品の販売、体験交流の出来る施設が新たに整備された。
●健康な食べ物づくり「有機農業の推進」
 農業の分野でも消費者に安心して食べてもらえる新鮮な本物の農産物づくりを積極的に推進している。自然の生態系に逆らわず有機質肥料をふんだんに使い、肥沃で健康な土づくりを進め、農薬をおさえて、そこから育つ丈夫で安全な農産物を食卓に届けるものである。
 この実現のため農協の協力を得て畜産の振興を図る一方、特に堆肥として利用しにくい豚の屎尿、各家庭から毎日廃棄されるゴミの活用を計画し、家畜糞尿処理施設を建設、年間に液肥6000トン堆肥2500トンを、また、人間の排泄物についても有機農業を強力に推進する上からも重要な資源のひとつであり、町内で汲み取った全部の屎尿に特殊な酵素を加え、高温発酵処理で無臭、無菌化された液肥を年間3000トン生産し、堆肥として併せて供給している。
 消費者が自から有機農産物づくりを体験してもらうために、「土からの文化を楽しむ農園」が設置され、今年で6年を経過している。1区画が33平方メートル、186区画が所狭しとばかり作付けされて、利用者は宮崎市を中心に、113人が食の安全を求め楽しみながら生産に取り組んでいる。利用者は年間を通して町内に出入りするため、町民との交流や綾町の本物の有機農産物の良さを認識を深めてもらっている。
 こうした地道な取り組みが徐々にその輪を広げ、東京、大阪などの大消費地の流通はもとより、北九州、熊本、鹿児島、宮崎の各生協ヘ、毎日供給を行うようになっていった。
 また、手近な所では宮崎市の繁華街に綾農協のマーケットを設け、町内では手づくりの本物センターや毎週水曜日開設される青空市場で直売され消費者に大好評を得ている。


保養レクリ工−ション基地づくり

 九州中央山地国定公園(綾地区)内の絶景地に、渓谷をまたいで水面からの高さ142メートル、長さ250メートルの、歩道橋としては世界一の夢の大吊橋を昭和58年に架橋した。
 目的としては森林浴や散策、自然科学の学習などに役立てるもので、車道と対岸にある目然歩道とを結ぶものである吊橋周辺に照葉樹林文化館、休憩所、駐車場、自然探勝歩道などを整備し、自然探勝の域にとどまらず学術文化の面にも足を踏み込んでいる。
 宿泊保養施設では、自然休養村センター綾川荘とサイクリングターミナルが設置され、双方で200人が宿泊可能で、綾北川沿にあり景観も良い事から年間を通じて宿泊・保養ににぎわいをみせている。
 また綾川荘には田舎の情緒を味わってもらうためにカヤぶき屋根の屋敷も設けてあり、綾川荘、サイクリングターミナルともにレンタサイクルが用意され、家族連れ、若者等の健康的なレジャー施設も整っている。
 綾町は昔から馬の産地でもあることから、競走馬を中心に現在300頭を超える馬が町内で育成されている。このため馬事公苑を整備し1周1100メートルの馬場、厩舎、クラブハウス、覆馬場の完備により、競走馬の育成調教と乗馬クラブの設置をみて年1回の綾競馬、県民体育大会国民体育大会、九州馬術大会、全国高校総体などの馬術大会の開催をみている。


歴史的なまちづくり

 綾町は歴史の古いまちで縄文遺跡や古墳も多く発見され、奈良時代には宮崎から熊本に通う街道の駅が置かれていた。戦国時代には山城が築かれていた記録があることから、町のシンボルとして綾城の再現に手がけた。全国でも唯一という戦国初期(650年前)の山城の再現であるため大変な企画であった。
 町内の大工職人達を集め町内に自生する木材を使い、昔ながらの工法で木材集めから3年の月日を経てようやく昭和61年6月に開城した。


手づくり工芸の里づくり

 綾町は手づくりの里として県内外の多くの人に親しまれ愛されている。
 町内には木工(碁盤、将棋盤、碁笥、民芸家具等)絹織物、ガラス工芸、竹細工などをする工房が33ヵ所あり、工芸品づくりが非常に盛んに行われている。これらは昔から盛んであったのではなく、半数は各地から綾町に移り住んでいるのである。
 工芸者達も一人前になるまで随分苦しい時もあったが、今日では使う人の身になって丹念に作られる手づくり工芸品が見直され、活況を得ている。綾町としてはこの手づくり工芸の発展を願って、工芸の殿堂「綾国際クラフトの城」を2ヵ年かかって昭和61年に完成した。
 綾城とともにクラフトの城も、建物を見るだけで誰でもビックリするほどの立派な日本建築である。ここで町内に点在する各手づくり工房の案内や、各工房の作品の展示、販売、体験実習の出来る場が設けられ年間25万人の入込客をみている。
 町内に整備された観光施設、多彩なイベントの実施により今では年間50万人を超える観光客が小さな綾町に訪れるようになり、250人余りのサービス産業に関わる就労の場が新たに創出され、直接の観光消費額が15億円綾町に落ち、町民所得の向上に貢献している。
 住民サイドからのまちづくり
 綾町のまちづくりを支えている強力な団体に自治公民館がある。
 綾町は22の集落から成り、その総ての集落に自治公民館組織がある。この組織は、自からの負担により自からの発想で郷土に愛着を持つて生活文化を高めようという実践組織である。産業の振興から社会教育、コミュニティ、文化活動に至るまできめ紬かく幅広い活動を続けており、町行政と自治公民館組織とが車の両輪となって、真の豊かさを求めてまちづくりを進めている。
 自治公民館活動を一部紹介すると、昭和51年から毎年5月の第1日曜日には全町民が参加して、河川や水路の清掃活動や1坪菜園運動、全町心をひとつにして花いっぱい運動、1戸1品運動、また、昭和55年からは22公民館が毎年各公民館ごとに文化祭も開くなど、一致協力して快適な生活環境とともにコミュニティ意識の高揚と併せ、特産品づくりにも取り組んでいる。
 母なる森林を保全し、自然活用型の諸施設を有機的に結びつけた振興を図り、健全で健康を維持しえる生活環境を、町民が一体となり推進する。そして、綾町を訪れる人達にとっても、自然とふれあい楽しまれていくこと。それが綾町の進むべき方向であると思う。