「ふるさとづくり'91」掲載
<集団の部>

小房地区のふるさとづくり
岡山県 小房和田営農組合
小房和田地区の概要

 私達の地区は作東町の北部に位置し、西北は勝目町、東は大原町に接している。地形的には西北に標高520メートルの山頂に小房城跡のある小房山を背負い、集落は標高140メートル乃至200メートルの地帯に帯状につながり水源源流の小房川は粟井川にと流れ、澄み切った空気と緑豊かな自然に息まれた地区です。
 総面積304ヘクタール、そのうち田24へクタール、畑4へクタールの耕地を有し、総人ロ136人、そのうち65歳以上の高齢者は45人で、高齢者率は33パーセントと非常に高くなっています。
 1世帯平均50アールの田畑を耕作し、役用牛の飼育による仔牛の生産、山林資源を利用した薪、炭の生産、そして、僅かな販売可能な米の代金の収入によって生計を営んで来ました。
 しかし、現在それ等の価額は時代の流れと共に年々下落し、生活を営む事が困難な時代となってまいりました。
 従って、多くの人びとが近くの小企業に勤めを始めるようになり、若者はすべて都市部に職を求めて出て行くようになりました。
 特にここ数年来の米作の減反政策によって、農家の暮らし向きは益々苦しくなると共に、老令化現象によって農作業を行なう労働力が極度に不足する時代となって来ました。


地域活性化への模索

 私達は部落の会合がある毎に、近所の人に逢う度に、現状を乗切る為の対策について互いに語り合って来ましたが、考え方は個々まちまちで、誰からも自信のある意見も出ず、そのまま時が経過して来ました。
 昭和62年の正月を迎えた時、私達7、8名の有志の者が発起人となって、新年の放談会を催す事にして全戸に呼びかけましたところ、約半数以上の方々の出席が得られ、日頃毎日のように口にして居りました地域の活性化の問題をテーマにして、「ザックバラン」に思いのままを新年の酒を呑みながら語り続けました。
 しかし、直ちに結論が出るような簡単なものでもなく、次回集合を約束しその日は終わり、間もなく第2回会合を持ち、お互いの意見の発表をしてもらいました。
 良い意見が続出しましたが、余り慾張っても実行不可能になってはいけないという結論になり、出された意見の中から「地の利」を活かした特殊性のあるものを選ぶ事になりましたが、多くは具体性に欠け、いろいろな角度からの検討をして見る事にし次回送りとなりました。
 先ず組織づくりの問題に入り、地域活性化事業推進委員会を作って今後の対応をする事にしました。
 それ以来殆んど毎晩のように会合を持ち、直接担当する組織をどうするか、地権者、その他の権利者の同意が得られるか、運営をどのようにするか、会の制度化をどのようにするか等について検討を加えて、どうにか皆さんの前に出せるような原案がまとまったので、総会を開催し原案の了承を得ました。


組織づくり

 幸いにも、この地域は他の地域よりもいち早く圃場整備事業に取り組み大型機械の導入が可能となった為に、昭和59年5月に農産物生産コストの引き下げと、老齢化労働力の補完、あい次ぐ減反政策に対する対応等の目的を以って、営農組合を結成して活動を始めました「転作特別対策事業」の補助金を得て、大型耕耘機3台、小型耕耘機2台、大型田植機2台、大型コンバイン3台その他、動噴、播種機、テーラー等総ての農機具を整えて作業を出来るだけ共同化し、個人別所有の大型農機具の新規購入を控えるように指導しました。
 今ではこの事業も軌道に乗り、補助金残の地元負担金の支払いも終り、今後の運営もやり易くなって来ています。
 こうした立派な組織に、今回発想の地域活性化事業の実行組織として担当してもらう事の了解を得て、活性化の事業もいよいよ活動展開の条件が整いました。なんとしても補助率の高い、しかも地域の要望に「マッチ」するものでなければなりませんので、町当局、県に対して度々陳情を重ねた結果、昭和62年5月「岡山県地域振興事業」の「小房和田地域野外体験学習の里づくり事業」として認可されました。


事業の活発な展開と手ごたえ

 この事が地区民に益々励ましとなって具体的に事業に着手しました。老人会では、高齢者生涯対策事業として「炭焼きがま」を設置。そして、他地区に見られない自然美を持った「乢田池」を活かしての周辺開発整備。昔からこの地の伝統として残っていた和紙製場の設置。今はめったに見る事の出来ない昔ながらの水車(実際に米搗きが出来るもの)作り。溜池周辺の散策道路と休憩所3ヵ所、便所2ヵ所の設置。そして、溜池周辺の散策道を開発する為に生じた原木を利用した「しいたけ」栽培事業にも着手しました。
 初年度における事業費は約2000万円で、別に地区民の無償提供人数は410人です。この事業が地域住民の手づくりである事から、岡山県第1回「ふる里づくり文化賞」を受賞する事が出来ました。
 受賞者は作東町でありましたが、受賞理由の内容は私達が多くの努力と団結の力によって作り上げた「野外体験学習の里づくり事業」でした。
 この賞を受けた事によって地区民は益々団結を強め、次の計画推進に向かって努力を誓い合い喜び合いましたのは勿論の事ながら、各種の新聞、テレビ等によって紹介され各方面から視察に来られるようになりました。
 一方、地域住民のコミュニケーションを計る為に、一般農家の田植終了後に幼稚園児を始め小学生、一般人の早乙女による田植祭りを行ない、数十名に上る「アマチュア」カメラマンの方々が来られるようになりました。また、夏は恒例の観音踊り大会を催し、都会に出ている人達もこれを楽しみに帰って来て下さっています。
 昭和63年度の事業は、この地域に電気と水道の設備を導入し、キャンプ場の整備、松たけ山の造成、観光ユズ園の造成事業を行うと共に、作東町の町木であります桜の木、モミジの木をそれぞれ200本植えて、訪れる観光客に一層の風情を楽しんでもらえるようにと気配りを致しました。それに併せて、既に取りかかっている炭焼き、しいたけ栽培、ユズ園管理、和紙作りの作業や区域全体の掃除作業等を総て共同作業で実施してきました。
 平成元年度から事業の名称を「農村型リゾート作り事業」として、平成元年9月に認可を受け県の指定を受けました。元年度の事業は、約30アールの菖蒲園の造成と、周囲の周遊道路、中央部に八ッ橋を作りました。また、間伐材を利用した「ログハウス」1棟、民家の住宅改造1棟、計2棟の宿泊施設を作って外来者の方々の便宜を図っています。
 平成元年7月、野外体験学習の里づくりの事業が、日本生命財団から「青少年健全育成」の団体として認められ、多額の助成金をいただきキャンプ用のテント、諸用具一式、農作業用具一式を整備しました。
 続いて平成元年8月、岡山県第1回「岡山県景観賞」を受賞しました。
 平成2年度の事業は、乢田池の中央部に「めがね」橋を作って、現在養魚中の鯉の釣り場とし、また、約6キロメートルにあたる見晴らしの良い場所を選んで、ハイキングコースを作って都会の人に喜んでもらえるようにと事業を進めています。


将来への更なる努力を

 脹らむ夢に際限がありませんが、地域住民の英知によって立派な計画をたて、常に対話と協調の中で平成3年度以降もこの事業を続けて、みんなに自慢の出来るような、若者がひとりでも多く定着できるような「ふる里づくり」を目指して努力して行く考えであります。
 長い年月の間には弛む心も生じ易くなりますので、自分自身に言い聞かせ、互いに鞭撻しながら10年後の成果を夢見ています。