「ふるさとづくり'91」掲載
<集団の部>

地域起こしの起爆剤〜タウン誌発行と地域起こしイベント
宮城県 新しいふるさとづくり運営委員会
仙台市太白区生出地区

 仙台市太白区の生出(おいで)地区は、市の中心部から車で15分程で行けるところにあり、田園と団地があいまって存在する盆地状の地域である。34年前、旧生出(おいで)村は仙台市と合併し、生出の地名は消えたが、住民は今でも親しみを込めて生出の名前を口にしている。仙台の小遠野とも呼ばれる歴史と自然の豊かな地域である。


新住民と旧住民

 今、生出地区は約4600世帯、人口1万6200余人。盆地の中心から北へ車で5分の茂庭台団地は、勤め人などの新住民の1戸建て住宅と高層マンションが並びベッドタウン化が進んでいる。また、東には20年程前に造成された団地群があり、生出の旧住民は新住民の住む団地に囲まれる形になっている。
 生出は他の地域に比べ自然が比較的豊かであり、また、歴史的遺産も豊富であり、特に中世に関する史跡が多く見られる「いにしえの里」でもある。源頼朝等に関する言い伝えも豊富で、館跡も数多く存在している。ここ生出を治めた茂庭家も奥州征伐時の武士であった。
 団地の新住民は新居を構えたこの生出の歴史や土地柄を知らずに生活している人が多く、地域をより深く知りたいとの要望も高まっていた。また、新住民と古くからの住民が、なんとか触れ会う機会や場がほしいという、双方からの願いが公民館に投げかけられた。そこで、地域社会教育の立場からもその機会の設定が必要となり、策を講じることになった。


新しいふる里づくり講座

 生出公民館(現生出市民センター)では、これらの地域の実態と学習要求と生活課題から、《自然と文化遺産と調和ある町づくりをめざした地域づくりの実験講座。地域の価値を見直し発見し、特徴ある町づくりを学び実践する》「あたらしいふる里づくり講座」を昭和59年に開講した。講座の内容は、生出の地勢、歴史、伝説、生出のネイチャースタディー(自然観祭会・探険会)、開発計画に関する学習等々多岐に及び、学習者の要求により内容も深化拡充していった。学習していくうち、生出に存在していない市民も生出地域の魅力にとりつかれ“新生出人”も生まれ、新旧一丸となって地域学習やイベントに取り組んでいる。


自主活動グループの結成

 公民館のふる里講座の受講生によって、さらなる発展的活動を目指し、自主学習グループが結成された。このグループは公民館の講座にも従来通り参加し、講座と連携をとりながら独自の活動をしてきている。「旧笹谷街道の道標復元運動と再建」などが1例である。 公民館の講座内容にはグループの学習要求をも取り入れ、イベント等は共催・協力の形をとり、数多くの成果を得ることができた。本年9月に開催された「タイムスリップザ生出〜今甦る生出の文化・歴史展」は、生出の歴史と文化を耕す盛大かつ有効な事業であった。新住民と旧住民が手を取り合って、地域について考え行動し融合していく姿が、先ずこの自主グループの中にみられた。各種イベントを通し、この新旧住民の交歓と理解の場がみられ、地域起こしの活動は回を重ねる毎に地域住民総ぐるみという形で広まった。
 一地域公民館の事業(イベント)が「われらが住む生出のイベント」という感覚に発展していったのである。


タウン誌『おいで』の発刊

 公民館事業の中の、特に地域起こし(地域紹介)イベントはふる里づくり運営委員会と地域住民の協力で進められてきたが、この実践の過程で調査・発見(再発見)されたものを記録に留め、また、広く地域住民にも知らせるべきではないかという課題が生まれた。
 ただ漠然と自然とか山という形でしか見ていなかったものの中に、貴重なものが数多く存在していたということ、太白山と呼ばれていた山は他の名称もあり、その名には多くの伝説があったこと、段々畑と思われていた土地が、頼朝と激戦が行われた安倍氏の支城であったこと、ここ生出は古代から交通の要衝であり、「いにしえの里」といってもよい土地柄であったこと等々、その他の歴史・文化・自然が貴重な地域であることは、特に新住民にとっては知らないことばかりであった。
 新しい事を知り得た受講生は、驚くと共に感動して貴重なものの調査・記録を行ってきたが、それらを確実な形として残しておく必要があるということから小冊子を作ることを決定した。小冊子を読むことにより普段講座に参加できない住民の方々も、新しい町づくりへの間接的参加者、理解者になるとも考えられた。
 小冊子はタウン誌『もうひとつの仙台おいで』という名を付け、およそ50ページのA5判にした。出生地域の人、文化、歴史、自然、トピックス、問題提起等の情報が詰まっている。
 創刊号は「水のある風景」を特集し、昭和63年2月に発刊された。第2号は「人の住むかたち」、第3号は「道」を特集し、地域の人、文化、歴史、自然、トピックスを紹介している。
 このタウン誌は好評で、地域の住民のみならず、他地域(他区)の市民にも購読され次号の発刊が待ち望まれている状態である。タウン誌『おいで』は、市内の主な書店や庁舎売店等に置かれ好調に購読されている。読者から前向きな感想や要望が寄せられ、それらは次号の参考にもさせていただいている。県内外からも、同様なタウン誌を作る参考にしたいと問い合わせや発送の依頼も多数ある状況である。
 各号とも3000部出版され売れ行きも好調である。地元地域では各町内会を通し購読されているが、学校では図書館に置かれ先生方も読まれ、授業でも地域学習の教材資料として利用されている。また、地域の家庭においては祖父母が子や孫に昔を懐かしみながら語り伝えるということで、タウン誌『おいで』のねらいのひとつが確実に地域に浸透しつつある。
 4号『おいで』は、太白区の名称の元になった生出の名峰「太白山」シリーズ〜生出の山々〜をテーマに、現在取材執筆中で来年3月頃発刊予定である。
 タウン誌『おいで』編集委員会は、ふる里づくり運営委員会のメンバーの中の約20名程で構成され、月1回集まりやすい土曜日の午後に公民館(市民センター)で開かれている。企画のテーマや各委員のページ分担、取材日程などを話し合い、地域の新情報等も出し合い活発な討論も行われている。編集長は旧住民の代表的存在の67歳の菅原氏、他の委員は新旧住民が半々で構成している。委員の中には生出地域外の人もおり、別な視点・感覚からの貴重な意見・アドバイスも得られている。プロのイラストレーターもおり、地域のタウン誌としては格調の高いものに仕上げる大きな役割を担ってくれている。


地域頗こし・地域紹介イベント

 生出公民館と地域起こしグループの共催で行われる主なイベントは以下のものがある。
(1)「フライ・ハイおいで」
(2)蛍と平家琵琶の夕ベ
(3)とりたて市・とりたて農園
(4)各種ネイチャー・スタディー
(5)蕎麦グルメ大集合
(6)その他単年単発イベント
 これらの中で、特に大規模なものは(1)の「フライ・ハイおいで」と、(2)の蛍と平家琵琶の夕べである。
 ●フライ・ハイおいで
 昭和59年に生出公民館で「わんぱく広場〜親子凧づくり教室」が行われたが、次年度は、それを拡大し「親子凧揚げ大会」を行うことになった。生出公民館北側の田園地帯は、米作のみに利用されていたが、刈り入れの後は、広大な作物の無い空間になってしまう。電線の無いこの田園は、こんな風な利用ができる貴重な空間でもあるというアピールも含め、「フライ・ハイ」という名称で、動力無しで揚げられるものは何でも集合というイベントを行った。凧もあればソーラーバルーン、アドバルーンもあり、約10へクタールの田園の空間を乱舞するイベントであった。第2回3回と回を重ねる毎に仙台の早春の風物詩として定着し、地域青年も凧づくりとその研究に“のめり込んで”いった。
 より高くより大きい凧を望み、第4回は、市制100周年と政令都市指定をも記念する県下随一の大凧揚げ大会となった。この大会では地域青年が中心となって作った《24畳大の政宗凧》が地域総ぐるみであげるインパクトのあるイベントになった。参加者はギャラリーを含め3500名に及び、揚げられた凧は大凧40枚、小凧は連凧を含め約3000枚にもなった。それらが乱舞する模様は壮観であった。
 このイベントを支えていたのは、前述した「新しいふる里づくり運営委員会」と青年教室0Bの「きりんの会」が核となった約100名程の地域住民である。実行委員長は運営委員会の委員長がつとめ、会場設営に始まり受け付け、模擬店、凧あげのお世話等々運営には地域を挙げて協カしている。一公民館のイベントがまさに「生出のイベント」になっており、他地域の市民からも、生出地域のイベントとして見られ高い評価も得ている。第4回目から町内大凧も参加し、「おらほうの凧が一番」と、熱気のあるのめり込み様である。本年で第6回目を迎えるが、凧が乱舞する仙台・生出の地域住民総ぐるみのイベントである。
 ●生出とりたて市 〜新旧住民交歓の場〜
 前述したイベント等には、ふる里づくり運営委員会の他に幾つかのグループが協力している。そのひとつが「きりんの会」である。この会は生出公民館の青年教室の0Bで構成され、ふる里づくり運営委員会と同様な目標を持って活動している。
 ここ生出には、新旧住民の交歓と融合が必要であるという課題から、「おいでとりたて市」を企画し、実践している。旧住民は農業経営者が多く野菜等を生産しており、新住民は新鮮な農作物を欲している。この農作物の売買を通して新旧住民の交歓、特に人の存在を広め、交流も広めたいというのがねらいである。毎月第1日曜日の朝、茂庭台団地の広場に市を設け、新鮮な野菜等を提供しながら情報交歓や人と人とのふれあいを行っている。そこでは、作物の料理法を紹介したり、漬物の指導をしたり、子供広場を設けるなどして新旧住民の交歓・融合に精力的に活動している。今年で4年目を迎え、新住民の団地の人びとが期待する月1度のイベントとして定着している。
 ●蛍と平家琵琶のタベ・ザ薪平曲、とクシヤクタ・イン坪沼
 国際交流お祭り広場もうひとつのグループは、昨年誕生した「ふる里坪沼実行委員会」である。生出の中央には古歌にも歌われている名取川が流れているが、その川向かいのもうひとつの盆地、坪沼の住民で結成されている。この盆地は、生出の中でも自然も豊かで史跡も数多く見られる。
 ここには源氏蛍が生息しており、昨年生出公民館と前述の地域起こしグループ共催の「蛍と平家琵琶の夕べ」が開催された。盆地の中央には八幡神社があり、その脇には中世の館跡がありかがり火をたくと幻想的な世界に変わる空間がある。神社の境内で源平の戦いの平曲が流れ、周りの田園で、源氏蛍と平家蛍が平和に乱舞するのを観望するタベである。このイベントには、自然環境保全のねらいもあった。
 交通の一通過点でしかない静かな盆地に、地域住民数の約3倍の市民が詰めかけ、にぎやかな夕べとなった。昨年は約600名の市民が集まり、今年は1000名の市民が詰めかけ、盛況裡に終え環境保護のアピールもできた。このイベント運営の中心となったのは地元坪沼の青年を中心とした「ふる里坪沼実行委員会」である。昨年は生出公民館への協力として経験し、本年度は中心的役割を呆たし、着実に地域起こしグループとして成長してきており、《新源氏蛍の里づくり》に意欲的に取り組もうとしている。昨年10月には3つの地域起こしグループが共催して行った、ペルーのフォルクローレの演奏グループ(ペルーの少年隊)「クシヤクタ」を招き《クシヤクタ・イン坪沼》国際交流お祭り広場を催し、地元や他の市民が演奏を楽しみ、地域紹介にも成功している。
 このグループも生出の大きなイベントには他の地域起こしグループと共催・協力し、推進役として活動している。
 生出は、今、他の地域と同様に開発の波が押し寄せて来ている。調和のとれた町づくりを求めていくには、人を知って人づくり、地域を知って地域づくりが必要であると考え、「生出においで」の合言葉で市民センターを拠点に、特色を生かした地域起こしに取り組んでいる。