「ふるさとづくり'90」掲載

からいも王国
鹿児島県鹿屋市 (社)鹿屋青年会議所
からいも王国の誕生

 鹿屋市街地から少し南に位置する高台に、市立の霧島ケ丘公園がある。鹿屋市が着々と開発を進めているこの公園の中央にある展望台からは市街地が一望でき、目を錦江湾に転ずれば薩摩半島もくっきりと見える。その眺めは最高である。四季折々の花々が市民の目を楽しませ、また各種の施設を生かした市民の憩の場としても知られている。
 この公園の一画に、我が「からいも王国」の領土は広がる。錦江湾を一望できる斜面を利用し、現在3ヘクタールの広さを誇る。
 昭和63年1月の開墾に始まり、同年9月の収穫までに、様々な市民や関係者を巻き込んだドラマが展開された「からいも王国」は、社団法人・鹿屋青年会議所の社会開発運動の一環として取り組まれたものである。
 そもそも青年会議所運動は、1月から12月までの1年間を事業期間として、前年の10月から12月までに次の年度の年間事業計画及び予算を検討し、これに基づいて、年明けとともに活動を開始している。
 この「からいも王国」事業も、当青年会議所の昭和63年度事業の一環として、九つの委員会のひとつである「郷土(ふるさと)づくり委員会」が提案したものである。
 郷土づくり委員会は、昭和63年度事業計画立案のため、昭和62年10月に開かれた委員会の席で、これまで13年間継続してきた「JCナイターソフトボール」にかわる事業を検討していた。林一郎理事長からの条件として、@子供からお年寄まで参加できる A地元に密着したものという2項目があったが、なかなか良い案が出てこない。夜も更け、酒が入り口が滑りやすくなった頃、ひとりが言い出した。
「鹿屋はなんといっても農業が主体、それもからいも作りだ。しかし、今農産物の自由化が叫ばれ農業環境はよくない状況である。農家に元気がでれば鹿屋にも影響があるだろう。だからからいもを取り上げてみたらどうだろう」 このひと言で来年の事業が決まってしまった。「からいも王国」の建国である。


素早かった建国

 方向さえ定まれば動きは早い。早速、問題点の検討に入る。まず出てきたのが、王国の領土とからいも生産である。領土については5反程度の土地があればよいということで、市が開発に力を入れている霧島ケ丘公園に目をつけ、市との交渉に入る。市も我々の主旨に賛同し、5反といわずに3町ばかり空いているから使ってほしいということになった。3町という広さの検討もつかないまま、「広ければ広いほどいいだろう」ということで領土の確保ができた。知らないことの恐ろしさは後々思い知らされることになる。
 生産については、「日本一のからいも生産地」だからいろいろと助けてもらえるだろうと簡単に考えていたが、各種団体を回るとその反応は冷たいものだった。「プロの農家も困っているからいもを、素人の商工者の集まりに何かできる」という反応に、我々の考え方を真剣に聞いてもらい、何とか協力体制を整えていくことができた。
 発案後1ヵ月の間に実行委員会を発足させ、さらに1ヵ月後の12月には年間スケジュールを作成する。4月10日・建国祭と植付け、9月11日・収穫の日程が決まる。また、この運動を理解していただくため、その目的についても検討した。それは四つの目的として提示される。

目的@ 鹿屋市立霧島ケ丘公園にて「からいも王国」を建国し、からいもと結びつけた郷土振興の気運を盛り上げるとともに、鹿屋市の存在、霧島ケ丘公園の存在を県内外に広くPRする。
目的A 各種イベントを催し、市民に土と触れる楽しみや季節の恵みをよろこぶ場を提供する。あわせて、市民参加による新しい郷土行事や文化を創造する。
目的B からいものPRを積極的に展開し、新品種の普及と新しい需要を県内外に拡大して、農家所得を高め地域の商工業界にも波及効果をもたらす。また、からいもの加工、販売などの面でも啓蒙運動を進め新しい産業形成を図る。
目的C 各種イベントなどに県内外から観光客の誘致を図る。さらに、からいもをテーマに常設の観光施設をつくり、鹿屋市を観光地に生まれ変えらせてゆく。以上である。

 昭和62年の暮れも押しせまって、やっと8万本の苗が確保でき、年が改まりいよいよ活動開始となる。


汗と知恵を総動員

 領土については、事前調査を3回行い土地の状態は理解していたつもりだが、その開墾作業は予想をけるかに越えて厳しいものだった。というのも、うっそうとした林(特に竹が多かった)だったことや、近くに文化財が出たこともあり、ユンボ・ブル等重機が思うように使えなかった。それでも重機を約2週間使い、トラクター3台による耕運も合計6回行う。委員会メンバーはほとんど毎日のように作業に携わり、会員全員による毎日曜日の木の根、竹の根拾いが1ヵ月以上続くというすさまじさ。それでも3月中旬には肥料散布ができるまでになり、4月初めにはうね立て、ビニール貼りを終え、植付けの準備が整った。
 この頃、「からいも交流」により来鹿中の留学生による実験的植付けを企画し、たいへん好評だった。
 生産に関しては、このような苛酷な肉体労働を伴う作業が連続したわけだが、この間には、建国に向けてのその他種々の準備も進められた。
 とにかく、事業を進めていく上でどうしても避けてとおれないのが資金問題である。300万円近くの資金不足が予想され、この埋め合わせを検討した。多くの市民の方々に「からいも王国」の存在をアピールし、また協力してもらうために、1口1000円で数多くの方々から集めることが決定、3月中に会員全員が必死に動いて予定額をかき集めることができた。
 王国に必要な閣僚人事にも頭をひねる。まずは国王は領土の関係から市長にお願いする。各大臣は、からいもの品種名からとったユニークな名前がつけられ、関係する団体の長にそれぞれお願いすることとした。
 シンボルマークもほしいということで公募をし、「ミスターからいも」「ミススイートポテト」も公募することとした。国歌は市立高校の先生にお願いした。また資金不足を少しでも捕えるようにシンボルマーク入りのトレーナー、テレホンカードを作製することとし、これらは機会ある毎に会員により売られることになった。特に他地区青年会議所会員へのPRに活用された。
 さらには、「からいも王国」及びその建国祭のPRのため、大隅一円への告知用カンバン立て、ポスター、チラシの製作及び配布という作業も3月中には終えていた。
 そして、建国祭イベントの準備も並行して進められる。物産協会への出店依頼や遊びコーナー等の検討・準備などやることがいろいろと、次から次に湧いてくる状態だった。
 建国祭前日は、舞台設営、テント張りも会員の手で進められる。そして当日。


晴れの建国祭

 見事に晴れわたり、どのくらいの人が集まるかという不安を抱きつつ、10時からの建国式典にのぞむ。式次第どおりに式を終え、植付け作業に入る。多くの市民が思い思いの所にていねいに植えていき無事に植付けを終える。
 この日は花見客とも重なり大混雑となる。駐車場は満杯となり、車は長蛇の列をつくっていた。各種の遊びコーナーも大にぎわいとなり、そこには子供や大人達の笑いが渦を巻いていた。
 多くの市民に喜んでもらえ、認知されたと会員一同胸をなでおろす。しかしこれはまだ始まったばかりであり、これからどれだけのイモができるのかという新たな不安も生まれてきた。
 収穫までの作業としては、土地が土地だけに竹が次から次に伸びてくるので、竹切り、竹の根取りを5回、殺虫、追肥が各1回、草取り2回、そして風が強い所なので、ビニールがはがされ、同時に苗も掘り起こされて枯れてしまった苗の植え直しが6000本ぐらいあった。
 その他には、からいもの注文取り、パンフレット作製、収穫祭イベントの準備が進められる。
 からいもの受注については、会員はもちろんのこと、多くの市民の方々からも注文をいただき、2500ケースが売れた。また販路拡大のため、大手小売業者との接触も持ち、現地視察もしていただいたが具体的に話が詰まる段階には至らなかった。
 パンフレット作りについては、からいものPRが主体であり、イモの効用など文献で調べ、また、からいも料理の方法を紹介するため実際に自分たちで9種類に挑戦し、その中の6種類を取り上げ小冊子とした。これは県外の方が送られてきたイモを利用しやすいようにとひと箱毎に1冊入れて送ったものである。


そして収穫祭

 8月も終わり、いよいよ収穫祭を迎えることになる。1週間前に約2反分のイモを掘り出し300ケースの箱詰めをする。この掘った後を利用して式典会場とした。
 式典とからいも料理試食、その他イベントを準備し、なんといっても掘ったイモは持ち帰れるという魅力をもった収穫祭当日は、皮肉にも朝からたいへんな雨となった。日延べできない状態だったので、少しぐらいの雨でも決行することは決めていたものの、その降りかたは尋常ではなく、例年なら残暑もまだ厳しい頃なのに、肌寒さを感じるぐらいの悪天候となってしまった。
 その場で土付きのイモを箱詰めして郵便局のゆうパックに手渡し全国に配達される予定が、激しい雨のため大幅に予定が狂い、急拠、現地から約2キロメートル離れた市農協の選果場で箱詰めすることとした。この移送に10数台の大小トラックを駆使しピストン輸送を続ける。この思いもかけない作業に人手、時間をとられ、仕事がはかどらず昼食もとれないあり様となる。それでも黙々と掘り取り作業は進められた。
 一方、この大雨にも係わらず、市民の方々の出足は好調で、家族連れで思い思いに悪戦苦闘しながらイモ掘りに汗を流し、それぞれの収穫に満足そうに帰っていかれた。イモの持ち帰りは当初ひとり3キログラムまでとしていたが、雨のせいで人手が少ないだろうとの考えで、制限なしとしたため、みなさん持てるだけ持って帰られたようだ。このような状態を思うと、もし天気が良かったらどれだけ混雑したものかとゾッとさせられた。
 さて、会員をはじめとし実行委員会参加の協力団体による箱詰め作業は、雨により1コ1コのイモをきれいにふくという作業も加わり、夕方近くなる頃ようやく目途がたち、6時をまわってから終了し、無事に郵便局に渡された次第である。解散時のみんなの顔は、疲労と安堵と満足感が入りまじり、なんとも複雑なものとなっていた。


王国の発展を期して

 「からいも王国」建国に係わるこの1年間をふりかえり、当会議所内部でいろいろ反省材料を話し合ったが、簡単にまとめると「農作業を通して自然を相手にしている農家の苦労がわかった」「農業関係者の反応が当初冷淡だったのが、収穫を終わったらそれなりに評価をしてもらえた」という2点になろう。
 またイモを送ってもらった方々の反応は様々であったが、おおむね好評だった。
 品質の均一性や発送手違いなど改善点もいろいろあったが、初年度にしてはよくできた方だということで今後の取組み材料にしていく予定である。
 約1年間、実行委員会構成団体をはじめ、各方面の方々、また、市民の方々にたいへんな協力をいただいて無事に本事業が成功裡に終えることができたと考えている。
 多くの方々の協力をいただいたが、特に県農業試験場の「からいも博士」こと中間先生には、生産に関しいろいろ指導してもらい、数種類の苗も提供してもらった。しかし収穫を前にして癌により他界されてしまった。
 「からいも王国」にとっても、我々にとってもたいへん残念であり、借しまれてならない。紙面を借りて御冥福を祈りたい。
 以上が「からいも王国」建国の1年間の内容である。
 2年目の今年も現在収穫を控え諸準備に忙しい毎日となっている。
 これからも所期の目的が達せられ、地域の浮揚の一助となるように、会員一同努力していく覚悟である。