「ふるさとづくり'90」掲載

杉沢10(じゅう)輪ピック
滋賀県伊吹町 伊吹町杉沢区
新しい息吹き

 日本最大の湖、琵琶湖の北東部。霊峰伊吹山の裾野に広がる田園の中の、わずか100戸にも満たない自然に囲まれた静かなたたずまい。その中心部には、古くより勝負の神様と伝えられる「勝居大明神」が巨木に囲まれて存在し、老いも若きもがその境内に憩いの場を求めて足を運ぶ。そんな素朴な集落が私たちの住む杉沢です。
 世の中が、昭和から平成へと大きく揺れ動いた時、私達の杉沢にも今、新しいふれあいの息吹が聞こえてきました。1988年オリンピックイヤーに企画実施し、オリンピック(五輪)をもじった「杉沢10輪(じゅうりん)ピック」と名付けてのふれあい活動は、趣味を通じての小さなグループの中から小さな夢として発案され、1年間を通じて区民ぐるみの親睦の中で展開されたものです。年間を通して、10種目のスポーツに親しみつつ、区民相互の親睦を図ろうとするこの未知の企画は、当初ともすれば冒険に近い事案であった事もあり、不安な中からスタートいたしました。しかし若い世代を中心とした情熱ある活動は、次第に人びとの注目を集め、心をとらえて行き、数多くの老若男女が心を開いてスキンシップをするまでに進展いたしました。
 この活動の輪の中からは、絶えず笑い声が生まれ、時には未来の地域像を語り合い、時には伝統行事の復活が話題になるほど、区民に語らいの場を提供出来た事が何よりと喜んでおります。また、ふれあい活動をより深めようとするスタッフの熱意は、新潟県中頸城郡妙高高原町「杉野沢区」との交流事業へと大きく進展し、遠く離れて生活する人びととも心を交える機会さえ与えてくれました。


生まれた「楽しみ」の数々

 この年の活動内容を印した手作り刊行物の表題「楽しみは足もとにあった」に、その全てが言い表わされている気がします。こんな楽しいことがこんな身近に、そしてまた自分たちの手で作り出されていく。新しいふれあいの息吹となった「楽しみ」をご紹介します。
 これまで区の運動会・球技大会は町内でも先駆けて実施し、町レベルの各種スポーツ大会にも積極的に参加し、町内にあって中規模の戸数ながら優秀な成績を残していました。また、古くからの習わしも大切に保存・伝承し、盆おどりやカラオケ大会も自主的に開催してきました。様々な催しで杉沢色をアピールしたく独創性を織り込んで取り組んできたつもりですが、その全体粋がどこにでもあるようなもののため、消化事業的にこなされて来た面があったことも否定できません。
 そんな折、杉沢野球部の忘年会が開催されました。いつもの通りワイワイガヤガヤの席で、この席が杉沢区民の新しい地域社会の創造のきっかけになるなどと予想した人は、ひとりとしていなかったでしょう。来年の杉沢の事業について話が出た時に、活動のヒントとなる意見が色々出されたのです。


10輪ピック開催へ

「毎年区のスポーツ大会と言えば、運動会とソフトボール大会やけど、他の種目はできんのやろか。」
「野球部の僕たちは、野球の大会が何回かあるけど、同世代でも野球以外に特技スポーツの持っとる人は多いで。」
「そりゃ僕らかて、色んなスポーツに取り組む身近な機会があったら挑戦したいで。」
「そう言えば、同じ杉沢に住みながら知らん人もたくさんいるなあ。」
 こうなれば話はトントン拍子で膨らんで来ます。大きな区ではないので、単日でいくつもの競技大会をしても人が分散し過ぎて、その効力も薄れると考え、1年間を通して10種目の競技種目にしようということになりました。思い思いに種目を出し合い、当初独創性とこの催しに対する入れ込み過ぎか、パチンコや競馬も実際に検討されました。

1.閉鎖的な仲間内の活動とならないよう、区民の幅広い参加の得られること。
2.参加をより促がすため、種目ごとにその成績に応じて点数を与え、年間表彰できるよう個人種目とすること。
3.参加が年間になるよう、季節的な種目を取り入れること。
4.今後町の体育施設を区民が積極的に利用できる雰囲気を作るため、会場を区内にとどめず、町体育施設等を有効利用できる種目とすること。

 以上の事からスキー、ボウリング、バドミントン、水泳、ゲートボール、迷路マラソン、相撲、ゴルフ、スリックカート、テニスの10種目とし、区をあげての取り組みとなるよう各戸に、年間の競技予定を周知するパンフレットを作成し配布することとなりました。無論、参加することに最大の意義があり、成績に応じた点数以外に参加点を順位に関係なく計上することも申し合わされた。この段階で特筆すべきことは杉沢スポーツマンズクラブの結成を見たことです。とかく野球仲間だけのメンバーではこの催しを強固なものにできないことは容易に想像でき、それぞれ種目ごとに担当者を決める等、次のような組織で臨みました。

〈杉沢スポーツマンズクラブ〉
会長(区スポーツ評議員)
顧問(区長、町体育指導委員、スポーツ卓越者・町長)
事務局(事務局長、次長)
競技別専門部(区民より幅広く選出、1種目1〜2名)
連絡員(組別にチラシ配布・取りまとめ)
各種団体(長寿会・婦人会・子供会・消防団)
区民

 経費についても自主的活動を重視し、1種目につき500円を参加料としてお預かりしました。年間全て参加しても5000円。もちろん、参加を強要することなく自分の出たい種目にエントリーすれば良いのです。記念になる参加賞も作ろうということになり、いくつもらっても利用できるタオルを身体障害者施設の方々に、作成していただきました。このタオルには区長自ら考察したシンボルマークを入れました。10種目の競技でオリンピックをもじった「杉沢10輪ピック」のシンボルマークは小さな輪が一輪一輪、つまり1種目ずつ重ねることにより、大きな輪となることを祈りつつ出来上がったものです。


10輪ピックスタート

 さあいよいよ「こんなイベント日本広しと言えど杉沢区しかない」の自負のもと1種目のスタートです。1種目目のスキーは参加対象が絞られること、また、この10輪ピックがまだまだ啓発不足だったこともあり、参加者は少なかった。そんな不安な中2種目目のボウリングで一気にはずみがつき、区民の注目を集め、また、マスコミ等にも取り上げられることも多くなり次第に心をとらえていくことができました。競技参加者だけでなく、応援等に見に来られる人の数が増え、1種目終るごとに結果等を各戸配布したこと等の地道な活動が功を奏し、ことあるごとに区民の間で「10輪ピック」の話題が持ち上がるようになりました。「来年はぜひこの種目を入れてや」「応援の人にも点数を与えよう」「あの人があの種目があんな上手とは」様々な声があります。


交流深まるふたつのすぎのさわ

 この「10輪ピック」でも図ることのできた世代間交流をもうひとつ推進する形となった「Wすぎのさわバスツアー」について紹介します。前年に杉沢スポーツマンズクラブのメンバーが、研修先で「杉野沢区」という地名を見つけ、杉沢区も以前「すぎのさわ」と呼ばれており(古老は今でもすぎのさわと言う)、同一区名が縁となり、よくよく両区の環境を比べるとスキー場のふもとの町並みをはじめ、似ている点の多いことに気付き、先方へ交流の話を持ちかけることとなりました。先方へ趣旨をご提示したところ快く引き受けて下さり、杉沢区より最高齢者70歳の方をはじめ37名の男女が参加し、新潟県と滋賀県の「すぎのさわ」同士の交流が始まることとなったのです。
 杉野沢区の特性を生かしたスキーや温泉、また、特産物の紹介等を実際に体験させていただいたり、ビデオ・写真で学んだり。区長さんを先頭に、我々に熱心に杉野沢区のことをご教示下さいました。両区の参加者の中に妙高高原町長、伊吹町長も一区民として交流され、今後町ぐるみのつき合いもと、期待されるきっかけを作り出せました。夜更けまでお互いのすぎのさわについて語り合い、このふれあいを発展させていこうという意識は確実に生まれました。今後の両区の交流方策が問題点になろうと思われますが、両区の前向きな姿勢を考えれば、これも「楽しみ」に変わるというものです。


進化する10輪ピック

 くしくも昭和最後の年度となったこの時期に、杉沢区ふれあい活動の核となった「杉沢10輪ピック」「Wすぎのさわバスツアー」。新しい時代の流れに来るように、引き継ぎその火を絶やすことないよう活動が展開されています。初めて取り組んだ「杉沢10輪ピック」最終種目テニスを終え、年間表彰の時スタッフが胸に熱く感じた思いに間違いはなく、区民の意識に新たなものが生まれ、1年間遂行してきた成果が、何物にも変えられない自信となっています。
 スポーツ種目ばかりであった1回目の種目を精査して、2回目の本年は10種目中5種目に文化的要素を取り入れました。手作りたこやひこうき、書き初め展、園芸体験会また杉沢の風習や環境を盛り込んだカルタも自主制作します。従来の個人得点方式もこの10輪ピックヘの関心を促がすといった、初期の目的を達成したとの判断から今回は見送りました。中学・高校生、青年層の地域離れ、組織離れが叫ばれる昨今、これらのイベントを通し積極的に参加してくれる彼らが、次代を担うリーダーとして頼もしく見えるのは私だけではないでしょう。ひとつの種目に工夫を凝らし、次を見続ける情熱をもって歴史あるかけがいのないふるさとを大切に、時代に即応した新しいものを作り出そうと、杉沢は今、このキャッチフレーズで動こうとしています。
 「温故創新(古きをたずね新しきを創る)」。田舎だから都会の何分の一のスケールでという考え方はありません。各地から注目される地域となりたい。自分たちの地域を良くするには、自分たちの手足を動かすしかないのだから。
 最後に、区長が10輪ピックに寄せた詩をご紹介して筆を置きます。

「今、わたしたちの脳裏に幼少のころ
 水溜りに投げた小さな石ころが
 幾つも、幾つも大きな輪に広がった
    あの想い出が………よぎった」
 わたしたちの小さな輪
    大きな大きな和になった。
 10輪ピック………ありがとう。
 あなたは春の陽ざしのように
    ふれあいの芽を育ててくれた。
 10輪ピック………ありがとう。