「ふるさとづくり'89」掲載

村民が主役、何でもやろう、やってみよう
徳島県木沢村 木沢村村おこし30人衆会議
深刻な過疎の進行

 木沢村は徳島県のほぼ中央、剣山国定公園の南面に位置し、那賀川の支流板州木頭川が村の中央を貫流し、その両岸の急傾斜地にわずかに拓けた耕地と29の集落が点在しているが、耕地は村面積のわずか0.5%に満たない純山村である。
 村の産業としては林業が中心であるが、大半が林業労務であって低迷する林業不振のために村民の就労の場は国道の改良等、土木関係に移行している。昭和40年に2,160人であった村人口が昭和60年には1,290人に減少し、過疎化の進行はもちろん老齢化比率の高まりにより村の活力低下が深刻な課題である。


「やる気」のある人を主に

 昭和61年5月、村長の委嘱により村おこし三十人衆会議が発足した。
 山紫水明こそあれ、これといった産業があるわけでなく、人口は県下最少。そして、老齢化の進行と過疎化が進み、村民の意識は何とかして活性化を図ろうという気持ちはあっても全てを行政に期待しゆだねる者が多いのも事実である。全国的にも、何らかの目的を持った村や町づくりの運動組織は多いが、三十人衆会議は将来の木沢村の方向付けとなる意見や提言を示し、その実現に向かって自らも積極的に参加推進するという目的のもと、具体的事項については同志の話し合いによって考える。
 30人中女性が7名、職業別では多彩であるが、むしろ「やる気」のある者を主眼として委嘱をしたといわれる。従って、会議の運営は農業、林業、商工観光の3部会とし、全員がいずれかの部会に所属し、各部会には部長をおくと共に会議全体としての役員は座長、座長代行を各1名選任、活動は部会を中心とするも、随時、全体会をもって検討を行うが、連携を密にするために各部長と2名の役員からなる「五人衆会議」をもって調整及び運営方法の検討を行っている。


各部会での協議・研究で

(農業部会)
 村おこしの実践は直接的には産業おこしであろうが、かといって狭小な耕地と悪条件でこれといった換金作物がすぐにあるわけではない。現在あるものをいかにして増産し、地域特産化を図るか。そして、地理的条件を生かし市場性のある新規作物への取り組みである。中でも県内一の生産量である花卉としての“都忘れ”において、増産はもちろん栽培技術の向上、休耕田を借り受けて良質の共同育苗の取り組みや新野高校に依頼してバイオテクノロジーによる無菌苗の開発も実現し、これらの拡大に取り組んでいる。
 63年度における生産農家24戸、ハウス面積80アールとなり、従来の促成栽培に加え超促成栽培も2棟の冷蔵施設が完成したことにより実現する運びとなった。
 このほか、農地の維持、活用を目的に“鳴子ゆり”を奨励し、現在、生産農家30戸、作付面積1ヘクタールとなり、62年より本格出荷もはじまっている。また、高冷地を生かした夏出しいちごも試作に取りかかり増産奨励を図っていく計画であるが、何といっても農業部会員自らが取り組んでいるところに課題や悩みもなまのものが提言され、奨励普及においても説得力がある。このように三十人衆の熱意は村当局を動かし、基盤整備たる諸施設の導入にあたっては絶対的な支援を惜しまないといわれている。
 一方、村おこしを前提とした産業の振興を考える場合、忘れてならないのは異業種の交流、連携と協調をどう図り進めるかにある。こうした中で着目したのが「焼畑」によるヒエ作りであった。
 この地方では、戦後の食糧難の時代まで「山作」といってヒエ、ソバ、麦や豆類を自給のための食糧を杉の伐採あとや雑木林を切り開いて生産していたが、現在ではその必要もなくなった。しかし、その物が換金作物として、合わせて林業面でもプラスの面があるとしたなら実践してみる必要がある。しかし、同志の中に経験者はほとんどいない。しかも、大半が人工林化した現在、山焼きが簡単にできるわけでもない。こうした中で、岩倉地区で適当な場所と経験者がいるということで呼びかけを行い、約60アールでのヒエの播種を行った。
 三十人衆はあくまで仕掛け人であり、作業は奉仕である。蒔付や収穫は手伝うが、管理及び製品化、これの販売代金は全て地元のものにゆだねる方法である。
 村営の四季美谷温泉や山の家で土産として販売し、村外からの注文にも応じる。結果は採算ということであるが、従来の林業形態としての在り方、、焼畑を導入した林業の考え方について数字的には試算もできているが、こうした作業を通じ、三十人衆と地域住民との対話から予想もしなかったより良い人間関係の形成、若年層においては尊い体験を実践をもって学ぶことができる。つまり、村おこしの原点は人づくりにあることの実践であり、堅苦しい研修や講習を受けることによりも変わった体験を通した意識の変革、人づくりができているように思われる。
 今年も約70アールで実施しており、毎年継続されることが期待される。

(林業部会)
 林業の長期低迷傾向が続くなかで、村民の林業に対する意識は低下し、間伐が急を要する林地も多いが、自らの財産でありながら実施しないものが多い状況で部会としての苦悩があった。
 現在の大経木林業にあっては、少なくとも50年以上の年数を必要とするため、短伐期林業に着目し、先駆者の話や先進視察を行い天然しぼり材、海布丸太の生産に取り組むために、村民にも呼びかけて“木沢村林業研究会”を発足し、現在の会員14名、彼らの手によって育苗を実施している。ねらいは短伐期林業の拡大により、林業の効率化と従来の林業経営に対する意識の目覚めを求めるところにある。
 次いで、“しきび部会”の結成を図っており、より付加価値を高めるため“高野まき”の種を採集し数名のものが育苗試作も実施している。

(商工観光部会)
 昭和60年に剣山スーパー林道が開通したことにより、山岳観光として脚光を浴びてくるとともに村としても力を注いでいる。しかし、通年の観光客誘致は困難である。討議を重ねるなかで村のイメージの高揚、土産品の開発、四季をとらえたイベントの実施等が話し合われる。
 木沢村は谷川があり滝も多い。冬は零下10度以下にもなり奥地の林道は凍結もする。滝や岩間には天然のつららが美しい光景となる。このつららを村おこしに役立てることはできないか。最初の発想である。
 活用方法が定まらない状態で採集を行い農協の冷凍庫を借りて約5トンを保管する。いろいろ考えた結果、真夏に利用することがインパクトがあるということになり“納涼木沢つらら祭り”の実行が決定された。
 資金はないがそれは労力とみんなの智恵で補う。イベントとしての内容は全て手作りである。つららを林立したつららの館、直径60センチメートルの氷の容器にソーメンを冷やし孟宗竹のうつわで食べるつららソーメン、氷を使ってのゲーム、川を利用したあめごのつかみ取りやいかだ遊び等、山村ならではの多彩な催しを計画した。こうした企画に対しマスコミの関心を誘い、ニュースや話題として報道されたことが、結果的に金を使わずして宣伝をしていただいたようである。
 第1回開催をお盆の8月1日と決め三十人衆の勤労奉仕は続いた。真夏の川原ということで休憩所も必要である。資金があればテントの購入も可能であるが、杉の間伐材を切り出しこれを組み立て約1,000人分の休憩所づくりや、直径60センチメートルの氷の容器も試行錯誤を繰り返しながら独自の研究によって30個をつくる一方、早速に経済効果は期待できないとしながらも商工会に対しての出店、村民に対しては智恵と工夫により土産品の開発、青年団に対しては彼らなりの発想とアイデアによって参加を呼びかけたことにより、これといった活動もない状態の青年団が、一つの目的で全員が取り組むところにお互いの連帯感、意識の目覚めに一石を投じたようである。
 しかし、三十人衆としても開催がお盆になると墓まつりもある。お盆に帰郷する兄弟や孫たちの接待もある。何故にお盆に決めたかといえば、現在の過疎化の最たるものは、高校を卒業した若者がほとんど村に残らない。大半が都会への就職でありそこに生活圏を持ち、しかも多くのものは世帯をもっている。都合があるのか年に1度の里帰りも少ないのが実態である。せめても1度は里帰りをし、家族との絆を確かめ合うのも良い。親としては孫の顔を見たいという気持ちもあろう。
 単なるイベントであるならより多くの人が集まればよいが、三十人衆のねらいは村おこしのためのつらら祭りである。機会をつくることによって村の出身者の里帰りも期待できる。例年になくお盆の帰郷も多かった様子であり、三十人衆の予想は1,000人前後と思っていたが村の人口の2倍の3,000人の参加を得る結果となった。


儲けが先行するものであってはダメ

 三十人衆としての委嘱人気は2年ということであるが、与えられた役割からしてそう短期に成果が現れる性格のものではない。任期を前に、昭和63年4月17日、村民多数の参加を得て「村おこし村民大会」を開催し、三十人衆の代表者4名により活動経過の報告と村おこしに向けての呼びかけを行い、各地域やグループの代表者からの提言や活動報告も行われた。
 改めて村長より2年間の委嘱を受けているが、外部に対してはマスコミに取り上げられた焼畑やつらら祭りがあまりにも強い印象を与え、それなりの評価を得ているようである。確かに村のイメージを高めることも必要であり大切なことであると思う。しかし、これが本当に成功するか否かはイベントの内容であり、マスコミが報道として記事や文章になり、映像として絵になる価値があるとすればお願いしなくても取材に来てくれるものであり、これがマンネリ化しないような創意工夫と継続する必要がある。そして、イベントの開催は社会奉仕では決してない。やはり経済効果を期待したいものであるが、かといって儲けが先行するものであってはならない。人を集め楽しんでいただいてお金も落としていただく、時には知恵を拝借することも忘れてはなるまい。
 外部に対しては、よりよい村のイメージを高め、内部にあっては村民の参加意識を高めることによって、他の村おこしへの起爆剤としての効果、あるいは相乗効果を追及することが必要であると思う。そして、ご紹介した農業、林業の地場産業の振興と発展があってこそ本来の足腰の強い村おこしができ、村民自らが主役であるという意識が目覚める時に「何かをやろう」「やってみよう」という行動に移る時ではなかろうかと思う。
 引き続き仕掛人として努力したく思う。