「ふるさとづくり'89」掲載

朝市で築く生きがいの里活動
長野県阿智村 智里東農事組合法人(ひがし会)
村のため、地域のため、自分自身のため

 いま農村は混住化、兼業家の進行に加えて農事従業者の高齢化、農業後継者の不足などにより農地の荒廃、生産の減退や地域の連帯がうすれる等、むら全体の活力が低下してむらのよさが失われるなど多くの課題がでてきております。私もこの仲間や仕事がなかったら、とうにむらを去っていたと考えるとき、この8年間の歩みは、むらのため、地域のため、そして自分自身のためでもあったと考えられるのです。だから真剣で他人事とは考えられないのです。
 阿智村智里東地区も35年から50年までに人口は20%減少し、人口1,000人のうち50歳以上が43%となってしまいました。立地条件も悪く標高600メートルで総面積の95%は山林原野であり、平均耕作面積は45アールと小規模です。農家数170戸のうち専業はわずか3戸という実態です。そのうえ、養蚕の衰退、水田再編による休耕田など遊休荒廃地が15ヘクタールも出現してしまいました。


ひがし会の結成

 この様なとき、村では小学校の改築にともない学校の統合問題がおきました。毎晩話し合いがもたれるようになり、このままでは地域から学校も消滅してしまうということになりました。これが青年たちの力を高める芽生えとなりましたが、地区の青年の講座が開設され最初30余名も参加したのに、机上のみの話し合いで5回目では3名が残ったのみでした。これでは何の解決にもならないと、再度話し合い、昭和56年11月、地域に住む農家の長男で勤めている者、Uターン者等(会社員5名、大工2名、旅館従業者2名、団体職員1名、自営者1名、公務員1名)12名でひがし会を結成しました。行動を起こせば、なにかが生まれるという理念でその具体的な目標を持ち取り組みました。


昼神温泉で朝市

 まず、行動の手始めに昭和48年突然湧出した昼神温泉を訪れるようになった年間380,000余の温泉客に目を向けました。単に温泉の質の良さということだけではない魅力ある温泉郷になるためにも、また、自分たちの地域を活性化していく手段としてもという発想で、昭和56年1月から村営鶴巻荘の前に箱を並べ、毎日曜日の朝のみ持ち寄りの農産物等で始めた朝市は考えていた以上に反響を呼び、売り上げも仲間も順調に伸びていきました。しかし余剰農産物の直販のみでは限度もあり産業おこしには不十分でした。


「五色もち」大ヒット

 朝市で販売する員数や量が増えることは即収入増になるが、それだけではなく朝市には、この地域でなければという特産物を販売したり、朝市に出す農産物を減反で荒れた農地を再びみどりの野菜畑にかえすことで増収すること、加工所が出来れば農産物も無駄なく付加価値を付けて年間通じて販売できる、また、加工に従事する人も必要になり地域やむらの婦人、高齢者、Uターン者等の就業の道も開けるということで、昭和59年10月には特農事業の補助を受けて念願の農産加工センターを地域内に建設できました。保健所からは「漬物」「味噌」「菓子」の製造許可が受けられたので、この範囲で朝市で販売できる加工品づくりを始めました。加工品は地域の高齢者の伝承してきた郷土料理や、むらの農産加工研究グループ、生活改善グループ員の協力で試作を繰り返し、この地域で原料も確保できたり、生産者の顔の見えるものをと努力しました。荒廃休耕田も野沢菜を年4回もまきつけるようになりました。その他、春の山菜から始まり夏のきゅうりやなす、みょうがも各戸で塩漬けしたものを買い上げ、加工場で2次加工して朝市に出すようにして、農家で今までは余っていても利用できずにいたものが全部換金されるようになり、農業に対する意欲も高くなってきました。菓子部門では高齢者が昔からつくってきた干柿を餅につき込んだ「柿もち」「豆もち」「草もち」「さといももち」「みそもち」を1セットにして「五色もち」として販売したところヒット商品となり、製造が間に合わないほどの売れ行きです。


心をつないで売る

 さらに、他地域との交流により特産品の大量販売、安定消費、阿智村のPR、心のふれあいはできないものだろうかということで東京のむらの出身者へ向けて「ふるさとパック」「まごころクーポン」を企画実施しました。年会費15,000円で年4回特産物を送ったり、サツマイモ畑を提供し6月の植え付けから10月の収穫まで帰郷して手作り体験をしたり、畑のバーベキュー大会をしたりものを売ることから心をつないで売ることへと発展させました。また、村と農協ともタイアップして尾張旭市、「旬」の市と体験ツアーも促進し、毎月1回第3日曜日に村の特産物を積んで出かけます。この市もすっかり定着して朝市の旗が立つと市民がみんな集まってきて顔なじみになり話も弾みます。尾張旭市からも年3回親子で山草ツアー、とうもろこしもぎとり、五平もち大会などを訪れ交流を深めあっております。この子たちが成人した日も必ずこの阿智村を忘れずに訪れることを期待して、息の長いつきあいを考えております。


朝市組合を結成

 朝市が開設されて丸4年が経ちました。名実ともに昼神温泉の顔となり、地域の活性化にも貢献したことが認められ、昭和59〜60年の2カ年にわたる「むらおこしモデル事業」の指定を受けることが出来ました。
 事業の受け皿として智里東特産振興会が設立され、その中の事業部の販売部門に朝市を位置づけ、59年8月に有志20名で朝市組合を結成し、10月より朝市も毎朝となり常設化の運びとなりました。朝市と特産物加工時業は全地域的なものとなり、貯蔵庫の建設、農場整備など推進されました。
 60年には県の「ふるさとの味開発促進事業」の指定も受け、特産物づくりの研究商品化研修などにも普及所の援助もあり、積極的に取り組んだ結果、原料の豊富な柿の過熟柿を利用した「柿酢」の商品化をはじめ、「阿智のふるさと漬」他、ヒット商品が61年には朝市他の売上額は4,000万円余りとなりました。専従者も1名おけるようになり、旅館組合との連携で年間イベントも立案実施して「ふれあい朝市」は、どうすることもできないと沈滞していた地域の人々にも明るい灯とやる気をおこし、次々とアイデアが提案され、「智里3大まつり」の創設や若者のUターン地域への定着と結びついてきております。


住民会社「智里東農事組合法人」が出来る

 そして61年、むらおこしモデル事業は完了し、これからは一人歩きをまた、考えなければならないことになりました。智里特振会は発展的に解散し住民出資により農事組合法人をつくり、農産物の生産から加工、販売など、この地域の産業部門を責任もって担当しようということにまとまりました。県農協中央会の指導を受け手続きも出来ました。ひがし会の長年の夢であった住民会社が地位の人々のパワーを結集して「智里東農事組合法人」の設立が出来たのです。組合員は38名、出資口数988(1口10,000円)で組合の主導権は、まだひがし会のメンバーがそれぞれ分担していくことでスタートしました。
 この間にも昼神温泉と自然の利を生かした農業との結びを目指し、他の観光地にはみられない個性豊かな保養地を目指し誘客に結びつけ阿智村のイメージアップ、ひいては農村に生きることへに意義をより多くの人々にも持ってもらえるようにつなげようと「人間蘇生園・コメット構想」を提案して地域をあげて遊休荒廃地の開拓に取り組み、リゾート農園の開発を推進して3年目となっておりました。朝市の利益もこれらの資金に大半をつぎ込んできております。63年には村でも温泉地の中心に観光センターを建設して4月からオープンしており、その一角には智里東農事組合法人に任せられた「ふるさとの味の店、ひるがみ」があります。本物の味、手作りの味に訪れる人も日毎に多く、特産物の展示、即売にも力を一層入れております。


人間蘇生園・コメット構想の実現へ向けて

 しかしこれまでにすすめるには全てが順調だったわけでは決してありませんでした。イベントに持ち込んだ五色もちが天気が悪く大量に売れ残りカビてしまったり、梅漬が柔らかくなってしまった、漬物がカビた等々特産物の試作、施設の改善、運転資金等々数え切れない苦労を重ねてまいりました。
 加工センター(木造2階建てのべ100平方メートル)も、事業の推進とともに狭くなりました。関係機関とも相談した結果、資金のめども立ち予算4,000万円で国道153号線沿いに直販コーナーを併設した新しい加工場を建設することで取り組んでおります。
「生涯、その人の体力、能力にあった仕事があること、これが最良の福祉」をモットーに、阿智村の良い水、良い空気、よい心、美しい豊富な自然をより多くの人々に提供できる、人間蘇生園・コメット構想の早期実現に日夜努力していきたいと考えております。各方面のこれからもご支援とご協力を心からお願いする次第であります。