「ふるさとづくり'89」掲載
奨励賞

七転び八起きでマチづくり
北海道当麻町 当麻八起会
 当麻町は、北海道の穀倉地帯といわれる上川支庁管内のほぼ中央にある純農村。明治26年、屯田兵により開拓された95歳のマチ。大雪山連峰と石狩川とに囲まれた当麻町は、稲作、そ菜、花木を主とする農業のほか、林業、林産資源加工業を主要産業としている。人口およそ9000人。夏暑く、冬厳寒の大陸性気候で、四季の区別がはっきりしているのが特徴。
 マチの中央には標高292メートルの当麻山。この山の周辺は、フィールドアスレチック、キャンプのできる森林公園、展望台、スキー場、野球場などが整備されたスポーツガーデンとなっており、四季折々を楽しむことができる。また、北海道で唯一公開されている鍾乳洞の「当麻鍾乳洞」があり、ここには、毎年10万人の観光客が訪れている。
 当麻町の人口は、昭和33年の14000人をピークに年々減少し、北海道の市町村の7割がそうであるように、当麻町も過疎化に悩むマチのひとつ。国の減反政策が始まったのが昭和45年。稲作中心の当麻町の中を戦慄が走った。「もう米は作れないのか」「オレ達の生活はどうなるんだ」−−農家の人々は不安に怯えていた。出稼ぎに行く者、そ菜、花木を栽培する者など、なんとか生活を維持していた。
 しかし、減反政策は年々厳しくなり、農家経済、そしてマチの経済は落ち込む一方であった。昭和50年代になると、マチの中には、このような“減反”による沈滞ムードが流れてきた。この危機を脱しなければと、マチの人々は苦心し、昭和56年には、青肉で糖度の高い「あづまメロン」を、昭和59年には、皮が真っ黒でシャリッとした歯触りで甘い「でんすけスイカ」を産み出した。これらによって、ある程度マチの活気はよみがえった。だが、ふるさとを愛する若者たちは、マチをもっといきいきと、明るくしたいと考え続けた。
 そして、農業・商工業の若者たち、主婦、役場や農協職員など22人が集まり、昭和60年1月「八起(やおき)会」が発足、行動を開始した。何事もまず行動し、失敗をおそれず、七転八起の精神で前向きに進もう。その決意をこめて会の名を決めた。
 主な活動は、地域に眠る資源の有効利用、特産品の開発。最初に資源リストを作り、そのうえで「果樹」「畑作」「加工」の各部会を設け、活動を進めることとした。「果樹部会」は、木の実の王様コクワ、マタタビのさし木試験とこの2つを原料としたリキュール等の醸造委託試験、木イチゴ、ハスカップの生育調査・栽培。「畑作部会」は、中東原産の野菜モロヘイヤやルバーブの栽培。「加工部会」は、モロヘイヤの料理研究、メロン、スモモのつけもの、トマトジュース、スイカ糖作りなどに取り組み、一進一退ながらも着々と成果をあげつつある。農業試験場や本州先進地の視察、消費流通調査も行った。
 活動にはだんだん熱が入る。61年には、会のメンバーが29人に増え、新企画の通信販売「JOY・PACKおくっちゃるべ」が生まれた。東京方面の地方出身者を対象に、当麻の特産品を送るふるさと便である。新鮮な産地の味をそのまま届けること、そして販路拡大が目的だ。1口2万円で会員になると、年4回に分け季節ごとの産物がパックされ、届けられる。1回目は5月下旬、グリーンアスパラ、手づくりまごころみそ、当麻産特性割り箸の3点とキュウリ、生シイタケ、鍋付きジンギスカンなどの中から1点、2回目は7月下旬、あづまメロン、3回目は8月上旬、でんすけスイカ、朝もぎとうきび、4回目は11月上旬、くりあじカボチャ、男爵イモ、玉ネギ、トマトジュースの5点と漬け物セットなどの中から1点と、おいしいメニューが盛りだくさん。このパンフレットを送り会員を募ったところ、予想を上回り、270人もが応募してきた。パンフレット追加の申し込みもあったほどで「八起会」は、にわかに活気づく。61年5月下旬「JOY・PACKおくっちゃるべ」発足開始。良い品を厳選し、“おまけ”の手づくりわさびも入れ、精一杯のまごころを込め、会員の期待にこたえた。特産品を送るとき、生産者の声やマチのようす、産物のおいしい食べ方などを紹介するミニコミ誌「おくっちゃるべ」も同封する。“生まれ故郷のようすが良く分かり、懐かしい”と好評。もちろん、送られた産物が“おいしかった”“楽しく食べた”というような感想が続々と寄せられた。さらにチエをしぼり、夏休みには「特別企画」と題して、会員の家族を町に招いた。できるだけ安い費用で、夏の北海道を楽しんでもらい、同時に当麻町観光開発の出発点とするのがねらいで、マチで生産される丸太を使ってのログハウス組み立て、スイカ、カボチャの収穫、鍾乳洞などのマチめぐり、合同キャンプ、野生のホタル見学、エビすくいなど盛りだくさんのプログラム。5家族22人の参加者からは、“初体験に感激”“あたたかいもてなしが嬉しかった”などの感想が寄せられた。
 「JOY・PACKおくっちゃるべ」の成功によって、「八起会」の活動はいよいよ本格化。メンバーたちの熱意と熱気がマチ中を染め始めた。好評の「JOY・PACKおくっちゃるべ」は、62年が330人、63年が389人と着々と会員を増やしている。数年後には1000人の会員をめざしている。
 毎年、メニューに変化を持たせている。冬に八起会会員が東京の会員の自宅に伺い、直接、どういう産物が好まれるかなどのリサーチを行い、翌年のメニューを考えている。そして、試験研究している新しい産物もメニューに加えている。「夏休み特別企画」は、62年が19家族44人、63年が26家族41人が参加。参加者たちの手で造ったログハウスが毎年1棟ずつ当麻スポーツガーデンに増えている。
 コクワのさし木は50パーセント発根に成功、実がつくまで何年かかるか見守りながら、一方では町有林から採取した実を酒造業者に委託し、醸造試作の結果を待っているところだ。加工部会が最初に手がけた加工品のトマトジュースは、試作3年目の今年から製品として販売されることが決定。63年は、試験販売として、役場と農協がタイアップしていく。将来は、トマトジュース専用の加工場建設も検討中。八起会が手がけた試作品の記念すべき製品第1号である。当麻町特産のでんすけスイカを加工した「スイカ糖」や「スイカジャム」の試作にもほぼ成功。あとは、コストと販路の研究が必要。−−等々、ほとんどの試みが手応えを確かめながら進んでいるところ。
 しかし、失敗した試みもある。スイカジュースは、レモン、夏みかんなどを加え、さわやかジュースづくりを工夫したが、スイカ独特の臭みが消えず失敗。その他にも、失敗した事例がいくつかある。「八起会」が発足して4年目。発足当初は、町民の間で、あやしげな団体だと思われていた。−−しかし、実績をつくるにしたがって評価されてきた。八起会の実績が町民に広がるとともに、次々と当麻町内に活性化やイベントに関する団体が生まれてきた。鍾乳洞まつりを主催する「鍾乳洞まつり実行委員会」、当麻の開基100年記念事業に向けて学習会やイベントでマチづくりをする「とうま101(イチマルイチ)」、2輪ラリーなどを主催する「モータースポーツ協会」、スカイスポーツフェスティバルを主催する「航空協会」など各団体とも活発に活動している。「八起会」では、今度、今まで行っている活動はもちろんのこと、他の団体とのタイアップによる新企画で、より住民の間に入り込むことを考えている。そして、当麻を振興発展させるために、町外の人には、当麻を売り込もう、当麻を知ってもらおう−−と考えている。
 田舎にあって都会にないもの−−それは「まごころ」−−八起会は「もの」を作ったり、売ったりするのではなく「まごころ」で勝負する。会員各自は自分の仕事を持っているので、活動がつらくなる時もあるが、「夏休み特別企画」に参加した人たちからの感想文を読むと「よし、やろう」という意欲が湧く。「八起会」の究極の目的、“いきいきとしたまちづくり”を実現に近づけるためには、まだ、チャレンジすることがたくさんある。マチの活性化−−それは無限である。“七転八起の「八起会」”−−それは、終わりなき活性化団体。