「ふるさとづくり'88」掲載

活力と個性ある地域づくりを目指して
熊本県小国町 おぐにみらい塾
「地域づくりは人づくり」といわれる。確かに地域づくりを担っていく人材の育成あるいは地域づくりの基盤となる住民意識の向上、これらは、地域づくりを推進していくうえで重要な要素である。しかしながら、人づくりほど至難なことはない。性急にその結果を得ようとしてもむつかしい。ある程度の期間が必要なことはいうまでもない。この活動報告は「おぐにみらい塾」誕生から現在までの喜びと苦悩の歴史の1コマである。


おぐにみらい塾の誕生

 私たちの町、熊本県小国町は、熊本日本一づくり運動に呼応して、おぐにみらい21〜悠木の星づくり計画を推進している。悠木の里づくりとは、小国町の持つ特性を最大限に活用することにより、豊かで魅力ある町をみずからの手で創造しようと計画されたものである。

悠木の里づくり6つの柱
@悠久の年輪を刻む小国杉の活用による地域デザインづくり。
A悠々と噴き上げる地熱の活用による地域開発。
B悠然たる大自然の活用による観光地づくり。
C地場資源の活用による特産品づくり。
D町民手づくりのイベントづくり。
E未来に挑戦する小国人づくり。
 以上の6つの柱を基本として「おぐにみらい21〜悠木の里づくり」が、町制施行50周年に当たる昭和60年にスタートした。この計画を推進するに当たってなによりも重要なことは、行政、民間を問わず実際に地域づくりを担っていく人材の育成と、この計画についての住民の理解であった。地域づくりにおいて先進地である大分県では平松知事の提唱のもと、各地で「豊の国塾」が開催されており、当小国町においても、それに類する「地域づくりを学ぶ場あるいは行動する主体」の存在が必要視されつつあった。
 確かに、当町においても、商工会青年部、農協青壮年部、4Hクラブなどの青年団体組織はあったが、それらは個別で存在しているにすぎず横断的な組織ではなかった。悠木の里づくり計画を推進するために、地域づくり全般について学習し、また論議をし、そして実践する広域的・横断的な組織として、昭和61年4月「おぐにみらい塾」は誕生した。
 まず自分たちの住む町について学ぶことから「おぐにみらい塾」発足の61年度は、小川町山村開発センターに約70名の塾生が集まり、小国町長宮崎暢後氏を塾長として5月8日開講した。定員五〇名に対し、これだけ多くの町民の参加を得たことは、誠に頼もしい限りであった。
 地域づくりの第一歩は、自分たちの住む町について学び足もとの見つめ直しを行うことだろう。その意味からして、「おぐにみらい塾」のカリキュラム(61年度)も、小国町の歴史、経済、政治を中心に組まれた。同時に、小国町の地域づくり計画おぐにみらい21〜悠木の里づくりについての学習および座談会なども組まれた。
 このカリキュラム以外に61年度は、おぐにみらい塾主催の講演会や塾生参加の夜なべ談義を実施した。
 昭和61年9月12日 埼玉県で10年間「草木染め」を研究個展等を行っている菊池芳雄氏を招いて「草木染め研修会」の開催。
 昭和61年9月17日 細川熊本県知事をまじえ「夜なべ談義」おぐにみらい塾生の活発な意見続出。
 昭和61年11月15日 作家であり全国青年塾々長笹沢左保氏を招いて講演会を開催。塾生を含め200人が参加。
「おぐにみらい塾」の61年度の活動および塾の運営等を振り返るに、確かに予想外の町民
の塾への参加を得たことは、町民の地域づくりへの関心の深さを物語っていると思う。しかしながら、この塾に入塾した町民の意識の各々の相違があり、その動機にしても千差万別であり「人づくり」というひとつの方向に持っていくには多くの問題を残したように思える。確かにこの塾が行政主導型の範囲を抜けきれず硬直化の傾向があったし、またカリキュラムについても過密であり変化に乏しい等塾生になじみがたい部分があったといえる。
 ただ夜なべ談義などを通して、塾生間の相互交流をなし得たことはひとつの成果であり、町づくりにおいて、この相互交流は垂要なことであると思える。初年度ということで、塾自体も暗中模索の状態であったことは事実である。人づくりは時間のかかる事業であり、性急にその成果を得ようとせず、焦らずじっくりやるべきものと感がした。


行動のみらい塾

 62年度「おぐにみらい塾」の開講に先だち本年度前期のカリキュラムの編成と活動方針を決定するために、運営委員会が発足した。運営委員会は、昨年度の塾についての塾生のアンケートおよび本年度の塾のカリキュラム等に対するアンケートの結果を元に、本年度のみらい塾のあり方等について検討を行った。そして、本年度の塾のスローガンとして「行動のみらい塾」をテーマに制定し、カリキュラムの内容も受動的なものから能動的なものへと変革することを決定、具体的なカリキュラム作りへと取りかかった。
 62年度のカリキュラムの編成と事業計画書も完成し、62年度の塾生募集を実施した。
しかしながら本年度の塾生数は昨年に比べて減少し約40名であった。ただ昨年当初約70名いた塾生も、中期ごろより実際に塾に参加する塾生の数は約半分の40名程であった。大きな輪から始めるより小さな実体のある輪から出発した方が波及効果が得られるとの感からこの40名という数については満足であった。とはいっても、若い層、とくに20歳代の入塾者の減少には多くの課題を残しているように思える。
 本年度からは、行政主導から民間主導への意味をこめて、塾長、副塾長とも民間人になったことは、新しい塾の展開へ向けて評価に値することであると考える。また、いままで塾の開催場所を山村開発センター内で行ってきたのを、町内各地の公民館、ゆうステーションなどで開催したことは、「より地域へ」と一歩前進したと思える。
62年度前期活動状況(抜粋)
5月7日、開講式および今後の塾の方針および町づくり参加への討論。
5月12日、大分県豊の国塾・日田塾生との交流会〜地域づくりを進めるうえでのお互いの夢や悩みを交わすことができ、みらい塾のあり方等について貴重な意見を聞くことができたと思う。
5月16・17日、筑後川シンポジウム(大川市)に参加。筑後川流域の町村の人たちと交流し、川を媒体として発展してきた文化、経済の再認識およびこれからの交流の東菊さを認識したことは、大きな意味あることであったと思う。
7月11〜12日、熊本市上通り青年会および県下地域リーダーと交流会を実施、山村と都市との交流、それぞれ地域づくりの違いなどを肌で感じたことは有意義であった。
8月6日、外国人留学生を招き、これからの国際化時代へ向けて、みらい塾の取り組み方の方策が少しでも得られたことは得がたいことでもあったと思える。


これからのおぐにみらい塾

「地域づくりは人づくり」、確かに地域を担う人材なくして地域づくりはなしえないと思う。しかし、そう簡単に有用な人材を育てあげることは不可能に近い。また、人口の少ない町村にとって、素材のすばらしい人間は、そんなにいるものではない。そして、そういう意味からして、多くの人間たちの意識のレベルを上げるのも性急にできるものでない。
 ただ地域には、伝統芸能や工芸など地域特有のものについて潜在的な能力を有している者はいる。そういう人たちを有機的につなげることによって、地域づくりへの参加を促すことは可能ではなかろうか。その点に関するならば、内なるネットワークづくりへの媒介者として、おぐにみらい塾生の果たす役割は重要だと思う。
 また、地域づくりおいて、文化の果たす役割は、大きなウェイトを占めている。いいかえれば、その地域の持つ文化の程度が各々の地域づくりの成果に比例するといっても過言でない。おぐにみらい塾の今後の方向性のひとつとして、文化、とくに生活文化の掘り起こしもありえると思う。
 豊かで活力と個性ある地域づくりを目指して、おぐにみらい塾は人と人をつなげる役目をしながら、今後も続けていきたいものである。