「ふるさとづくり'87」掲載

ふるさとの活性化をめざして
鹿児島県 鶴明会
鶴明会の結成

 地域づくりとか地域開発とかいわれ始めて久しい。その間、地域住民の多彩な英知と協力によって、官民一体となった「ぷるさとづくリ」をめざしている地域は数多くある。しかし、官民一体といいつつも現実的には行政主体・行政依存の「ぶるさとづくり」の感を抱くのは私一人であろうか。
 このような現実に照らしてみると、わが町の「鶴明会」は一味違うように思う。
 わが町とは、鹿児島県北部にある紫尾山麓の一山村、鹿児島県薩摩郡鶴田町である。ダムと温泉の町をキャッチフレーズにしつつも、その名「鶴田町」は、鹿児島県民にはあまり知られていない。けれど、昭和40年に完成した西日本一の重力式コンクリートダム「鶴田ダム」や泉源豊かな「紫尾温泉」の名を知っている人は、かなりの数にのぼるはずである。
 観光”つるた”をめざしながらも、その鶴田を目当てに訪れる観光客が極めて少ないという事実。また、町人口の推移をみても、昭和40年代にば、9000人を越えていだのが50年代になると、5000人台に減っているという過疎地域の現状。さらに、50歳以上が町民の半数を占め、高齢化社会への道を着実に歩んでいることも否めない。ややもすると、若さと活力を失いがちな鶴田町を活力ある息づく町にできないものかということが町民共通の願いであった。
 そんな析「会員自らを高め、鶴田町の未来を創造し、地域に貢献するとともに青少年の健全育成を図る」ことを目的に、昭和59年5月28日に結成されたのが「鶴明会」である。しかも、当時の子ども会育成指導者が中心になって結成したというところが、他と一味違うところである。まさしく明日の鶴田町を担い明るくしようという意図のもとに鶴明会と名づけられた。


ふるさと特産づくり

 初年度と2年目は、鶴田町を活性化させるためには、とにかく町としての特産品を開発すべきであるとの見地から山菜事業に取り組んだ。
 町の北部にあるシイ・カシ帯の山林にいき山ウドやタラの新芽の採取を行い、天ぷらや味噌煮・サラダ・スープなどに調理し試食した。少々あくはあるものの風味・栄養価は満点である。意を強くした会員は、その山ウド・タラを家庭近くで植栽できないものかと提案し、今後その方向で行動をおこすことを相互に確認した。
 さらに薬草やクサギの採取をした。クサギは、若葉をそのままゆでて食用にできるが、それをあくぬき乾燥し、保存食用として開発することに成功した。薬草としては、ドクダミ・ゲンノショウコを採取して、家庭薬用として混合せんじ薬として試作した。加えて、観賞用・食卓用として花キノコ作りを行った。しいたけの原木切りから、花キノコの菌打ちを会員で共同作業を行い”花キノコ開発を手がけた。これらの試作品を昭和61年度の鹿児島県物産展に出品しようという段階まできている。 
 もちろん、青少年健全育成を主眼に種々の活動も忘れなかった。からいも交流の援助とふるさと美化活動がそれである。
 鹿児島県農村部の住民が、世界各地から日本にきて学んでいる留学生を鹿児島へ呼びよせ、客ではなく家族の一員として、生活と労働をともにする2週間のプログラムが”からいも交流”であるが、鶴田でも「グループ2000」を中心に受け入れることになった。そこで鶴明会においては、留学生と語るつどいや留学生を送る夕べを共催し、町民各層の参加を得て国際交流の一翼を担っている。
 鹿児島県が推進している「ふるさと美化活動」運動の一環としては、子供会と一緒に草取りや空きカン拾いを実施するとともに、石油のドラムカンを利用してのゴミ箱の設置を行い、町民に公徳心の喚起を促している。
 昭和61年3月23日には、念願であった鶴明会のシンボル「ハッピ」が披露され、今後の活動には、会員全員が着用することを申し合わせた。
 これらが、会員が暗中模索の状態で取り組んだ初年度と2年度の活動である。


鶴田町の地域おこし

 そして、昭和61年度、鶴明会の其価を間う正念場ともいうべき三年目を迎えた。会員は、4つの重点目標を掲げ、さらに飛躍を試みようと確認し合った。
 1、鶴田町の教育や文化、産業に寄与するため先進地の研修と視察をする。そして 鶴田町独特の産業の発掘につとめる。
 2、地域の壮年として、地域住民に範をしめし、次代を担う青少年とともに責任あ る行動をもって、社会に奉仕する。
 3、政治、経済、教育、文化等について、各方面から講師を招き、地域住民ととも に講演会を開く。
 4、事業を推進するために、各関係機関や各団体との連携を密にし交流を図る。
以下、昭和61年度の活動を列記すると...。
 ◎定例会(会員宅を持回り)
 月一回、勉強会と会員の親睦を兼ね、意志統一と共通理解を深めるために定例会をもっている。
 9月の定例会では「今、なぜ村おこしか」の勉強会をして、今こそ鶴田町でも、全町民あげて地域おこしや地域産業づくりを進めるべきである。他村町の真似をすることなく、町民1人ひとりが鶴田町をみつめ、他町村との違いを認識し、鶴田町独自のものに気づき、行政に依存するという甘えから脱却し、誇りをもって「地域おこしは、自分がやるんだ。自分が主役なんだ」という自立自興の構神を再確認した。
 ◎懐かしの鶴田名作劇場
 町民の文化の殿堂「鶴田町中央公民館」建設に伴い大ホールの活用と町民の慰安の場として、懐しの名画を上映する。「過ぎにし青春の郷愁を!いにしえのまぼろしを!」をキャッチフレーズに、第1回を7月19日に実施、好評を博した。第2回を2月に計画中である。
 ◎野莱の無人販売所
 まず、手始めに3カ所に設置した。包装ぜず洗ったり束ねたりの手間が省け、自分で価格をつける面白味があるということで、近くの農家の協力を取りつけ販売を開始した。買う側の立場からは、新鮮で安く、安全で、遠くの店舗にいく必要がないとの利点から早くも大好評である。
 ◎村おこし推進委員会
 鶴田町の若者グループを中心に、「村おこし推進委員会」が9月に発足したが、初代実行委員長の会長が選ばれたのを始め、メンバーの主力として鶴明会から5人を送り出している。最初の事業として、「ふるさと特産運動」と連携しながら、県外にいる町内出身の方に、「ふるさと宅配便」として来春に第1便を送る計画を立案した。 ふるさと便の構想は、単に物を送るだけでなく都市との交流により、特産品の掘りおこしや地域産業づくりに役立てようというものである。また、現在、町広報紙を通じて、町内出身の県外在住の方に情報を送っているが、県外の方にもふるさと鶴田町に情報を送ってもらい連帯感を深めていこうという構想である。しかも、組織的には未熟な点も多いが、行政依存でなく官民一体となった、むしろ民間が中心となって村おこしの輪を広げつつ、行政をリードするかたちの第三セクター方式をとっているところに活力を感ずる。


活力ある鶴田へ

 ◎農村と都市との連帯
 鶴田の温泉と産物のイチゴやタケノコを生かし、都市(鹿児島市・川内市)から、イチゴ狩り、タケノコ狩りと称してツアーを呼ぶというものである。自然に遊び、自分の手でイチゴをつんだり、タケノコを狩ったりしてもらう。受け入れ側としては、温泉とおにぎりで接待する。お金で買えない両方の善意と喜びが農村と都市との連携を深め、ひいては、鶴田町の活性化につながると確信し来春から実施する予定である。
 ◎高齢者の役割を見つける
 高齢者は、何か自分たちに役割はないか、地域に貢献できるものはないかと求めている。まだ、県でも高齢者の人材活用、世代間交流を願っている。そこで、鶴明会は提言した。
 町花アジサイの苗づくり、竹製品づくりである。さっそく柏原区の老人クラブが、アジサイの苗づくりに熱心に取り組むことになった。区の公民館の裏庭に、アジサイ2000本のさし木をする。来年の春には、町が1本100円相当の値を約束している。老人たちの育てた苗を若人が植え、町内を花いっぱいにする。これこそ美しい世代間交流ではないか。
 ◎地域住民と開く講演会
 鶴田町民は残念ながら、文化面に関して意識が薄い。そこで、鶴明会では、余裕のない資金面での援助でなくして、各種講演会への参加の呼びかけに援助をして、より多くの方方に意識の高揚を図ろうとしている。
 まずは11月の町民祭での村おこし講演会、12月の教育講演会といった鹿児島県有数の講師を招く有意義な講演会をより多くの地域住民と開く講演会となるよう取り組んでいる。
 ただひたすら鶴田町の伸展を願い発足した鶴明会も徐々に地道な歩みを続け、少しずつ町民に認められ、各種団体の奮起を生み、”むらおこし”の気運を高めつつある。
 「ふるさと特産運動」として、試作した山菜事業が、地域ぐるみのふるさとを代表する産業を興こすもとになるかは、これからの問題であるが、会員が村おこしの一環としてふるさと特産づくりとして試行錯誤しだ事実は、決して忘れ去られることはないと確信する。いな、その会員の結集こそが、現在の鶴田の啓発を生み、やがて鶴田の活力の礎になるといえよう。このなんとかせねぱという涙ぐましい会員の力が、地域を息づかぜ、人々を集め、土地を温め、健全な青少年の育成の土壌を培っていくと信じて疑わない。