「ふるさとづくり'87」掲載

豊かな技術と経験による地域づくり
熊本県 鹿北シルバー会議
 秋はいろいろな形容詞がつく。芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋、なかでもうれしいのは味覚の秋で、これは老いも若きもみんな共通している。
 山また山に囲まれた鹿北町は緑したたる初夏と紅葉の秋はとくに美しい。
 熊本県の最北端に位置し、福岡県に境する本町は農林業を主体とした町である。田畑は河川の流域に点在し、米、タケノコ、茶、木材、栗、椎茸、畜産、菊、西瓜などを主軸とする複合経営で町の伸長が図られている。
 山に一歩足を入れると、ワラビ、フキ、ウド、山芋、エビネ、蘭など山の幸に恵まれ、畑には「山ふぐ」と呼ばれるコンニャク、細川藩の献上茶として作られた「岳間茶」は絶品で町の自慢の一つでもある。
 いま、本町では住みよいふるさとづくりを目ざして“幸の”振興によるふるさとづくりと、健康で潤いのある地域づくりをめざした“幸の国”づくり構想が進められている。
 恵まれ過ぎているためか個性とか活力といったものが感じられないのも事実である。


鹿北シルバー合議の発足

 本町の最北部に椎持老人クラブ(会員数113人)があり、ここのユニークな活動がシルバー会議発足の契機となった。
 椎持老人クラブは(1)地域に感謝する(2)生産活動を通して社会に貢献(3)美しい郷土づくりを旗印に花いっぱい運動、竹ぼうきの生産・販売、公園の復元と維持管理を会発足(昭和39年)から継続して行ってきた。
 同クラブでとくに重要視した点は「生産活動を通して社会に貢献し、自分たちも生きがいある生活を」である。椎持老人クラブの花いっぱい運動は他の老人クラブに広がり、高齢者と青少年の交流などが着実に波及していった。
 このような椎持老人クラブの実績が県教育委員会の評価を受け、シルバー会議発足の動機となった。
 57年7月から会の目的、事業計画、会員募集などの準備が進められた。目的は「高齢化社会についての認識を高め、若い世代と交流を深めながら高齢者のもつ能力・技術・社会経験を生かし、高齢化社会に即応した新しい地域づくり運動を展開していく」と定めたが、世話人一同、何となく着心地の悪い服を着ているような気がしてならなかった。
 とくに「シルバー会議」とか「高齢化社会」とか「運動」といった用語に抵抗を覚えた。
 暗中模索のなかで会員募集が始まった。会員として(1)社会の移り変わりを勉強したい人(2)話したり、歌ったりしながら仲間づくりをしたい人(3)健康な体を社会に役立ててみたい人(4)昔覚えた技術や知識を若い世代に伝えてみたい人…… このような内容で各単一老人クラブに会貫の推せんを依頼した。
 58年1月末には、推せん38人、世話人によるスカウト3人計41人が集まり、2月18日に「鹿北シルバー会議」が発足した。老人クラブを母体にした慌しいなかでの発足で、しかも名称や目的など充分検討する時間もなかった。
 老人クラブという既存の団体を乗り越え、新しい組織を創ることの難しさを世話人一同身にしみて感じ、同時に不安と責任に頭を悩ませる毎日であった。
 会の発足と同時に役員と運営委員を選出し組織づくりに着手した。また全会員が同じ目的をめざすために学習会を毎月1回持つことになった。内容として高齢者の役割、老年期の健康、趣味や特技といった会員に喜ばれる内容で、高齢者教室に近いものであった。
 5月の役員・運営委員会で部活動を始めてはという提案があり、早速検計に移った。
 これは会員の趣味や特技調査の結果、多種多様の知識や技術を有する会員があり、会議内容の充実と会員の自主活動を促進させるのに効果があると思われたからである。
 部として園芸部、伝承部、環境部、保健部、文化部、福祉部の6部が提案され、会員の希望により部の編成を行った。さらに活動を円滑に進めるために社会教育団体、行政、農業団体、機関に対し協力団体として参加を要請し、各々の代表者はパイプ役として「特別会員」として就任していただいた。
 部の設置と持別会員制度は、会員のアイデアで会の充実と対話集会や事業推進に大きな役割を果たしてくれた。


豊かな技術と経験を生かして

 シルバー会議は毎月1回全体合として開かれている。その内容は講話、部の情報交換、会食、健康づくり、1時間程度の農園の手入れである。このほかに部活動として次のようなものを行っている。(61年度)
 園芸部
 約2アールの休耕田を借りて、花の苗(サルビア、マリーゴールドなど)野菜の苗(キャベツ、ブロッコリーなど)の育苗を行い、会員には無科で、婦人団体には市価の3割安で販売し、家庭菜園の手助けを果たしている。
 会員がともに汗を流し、収穫した野菜を材料に会食を行っているが、コミュニケーションの促進に貢献している。61年8月23日にキャベツ、ブロッコリーの苗を販売したところ(キャベツ2500本、ブロッコリー2200本)17万3000円の売り上げに達し、諸経費を引いて約10万4000円の利益があった。
 伝承部
 主として若い婦人を対象にした郷土科理の伝承、技術の交換、保育園や小中学校に出向いて歌や遊びを通した交流会、さらに余剰農産物を使って潰物の加工を行ってきた。 
 毎年11月に開かれる「かほくまつり」には、伝承部と園芸部で、加工食品、まんじゅうの製造、野菜、竹製品の販売を行い、シルバー会議の意気込みを示している。
 福祉保健部
 町内の寝たきり老人(17人)の慰問、激励を兼ね実態把握に努めている。
 この他に郡市内の特別養護老人ホームや軽費老人ホームを慰問し、入居者や看護人の生の声を聞き、対話集会の資科とした。61年8月は全会員で県外研修を実施し、老人ホームで行われている「リハビリ・シンフォニー」という音楽療法やシルバー短期大学、シルバー生き甲斐まつりなどを見学し、あわせて福祉行政のあり方を学習した。
 文化部 
 会の活動は有線放送や公民館報で紹介されてきたが、60年度から文化部で会員文集が作られた。タイプ印刷から製本まですべて部員の手づくりで200部発行され、関係団体機関に配布し、会員の気持ちを伝えた。


活動の成果と問題点

 小さなことではあるが活動を通して
(1)会員間のコミュニティが深まり、高齢者の果たすべき役割について意識が高まってきた。
(2)対外的には町老連クラブに部が設置され、よう積極的な活動を見るようになった。
(3)徐々ではあるが、若い年代に祖先伝来の物や心の香りを理解されつつある。(4)行政当局が「シルバー会議」活動に積極的な援助を続けている。 
また問題点として、
(1)「シルバー会議」は特殊な技術や知識を有するグループと一般に誤解され、新会員の確保がスムーズにいっていない。
(2)実年層の婦人には「シルバー」という名称に抵抗がある。
(3)会員の交通の便が問題である。
(4)まだリーダの負担が大きい。といった点があげられる。
 活動そのものが単発的な感じがしないでもない。活動の成果が4〜5年で現れないのはいうまでもないが、それゆえに単発的な活動でも、地に着いた活動を積み上げ、住民の意識を少しずつ変えるよう努力したい。
(1)社会教育団体、社会福祉団体との連携を強化し、地域に密着した活動と円滑な運営を図り、地域ぐるみの協力態勢を整える必要がある。
(2)小径木を使った物産館(売店)の建設。
(3)将来は会議と町老連の統合を図り、校区単位の「実践集団」をめざしたい。
(4)「高齢化社会」について若い世代の関心がまだまだ薄い。地域全体の問題としてどう位置づけていくか。
(5)明治、大正は遠くになりけりの感を深くし一抹の淋しさを感じているが、日本古来の美しい心情「日本人の魂」を次の世代に是非継承していきたい。シルバー会議の夢とか願いはこの点にあるのではないだろうか。