「ふるさとづくり'87」掲載

特産の杉材を使って村おこし
鳥取県 智頭木創企画
国体土産品に杉板の写真立て

 私たちが住んでいる智頭町は、烏取県の東部に位置し中国山脈の山間にあり、人口11.000人、面積の93パーセントが山林である。
 江戸時代初期から植林が始められ、杉・檜材の生産地として経済活動の基盤を確立してきたが、智頭町における林業経営の実態は小規模の山林経営で、いわば素林産業で構成されている。すなわち木材は原木のままで出荷するか、製材による柱・板林として出荷しており、付加価値度は低い。五十九年の製材業21事業所の出荷額をみても、総出荷額24億円となっているが、原材科費が16億円を占めている。
 智頭林業も低経済成長の影響をもろに受け、木材不況が続いているのが現状であり、間伐材などを使った商品の開発が叫ばれているが、掛け声ばかりで具体的には開発されていないのが現状である。
 60年10月、第40回国民体育大会が烏取県で開催されたが、智頭町は空手競技の会場となり、山形地区公民館も地区をあげてお世話をすることとなった。
 公民館長である私は、準備のために国体の先進県を観察する機会を得て、59年に各地の会場をみてまわったが、各会場とも、その土地の土産品が少ないことに気がついた。
 そこで、当地区に宿泊する選手への土産品には、地区の特産品の木製品がよかろうと考え、地区住民のみなさんへ相談を持ちかけたのであるが、これまでに木製品の民芸品は智頭町には皆無であり、ゼロからの出発で妙案はなかなか出てこなかった。
 ところが、その年の秋、山形地区の区民祭に出品された作品のなかに、一枚の杉板を使った写真立てが出品されていたのが目に止まった。「これはいける」。糸鋸を使ってシルエットを切り抜き、これを押し出ぜば民芸調の写真立てができるのではないかと考え、日ごろ公民館活動の熱心なメンバーに構想を話したところ、早速、試作品が製作されてきた。
 出来映えはよく、それではこれを智頭町全体の国体土産品として、山形地区の公民館活動の一環として製作することにしたのだが、なかなかみんなの理解が得られず、「なぜ他地区の選手の土産品まで、われわれが作らなければならないか」とか、「毎日の労力奉仕が大変だ」などの不平がおこり、足並みが揃わないで困ったが、結局、これによって村おこしを図ろう、地域の特産の杉材を使って、新しい商品の開発へ結びつけようということで、説得を続け、昭和60年の国体を目指すこととなった。
 山形公民館で製作した「写真立て」は、国体で訪れた各都道府県の選手470名に、お土産品として喜ばれ、外国視察団へも来町記念品としてプレゼント、また、都会へ就職してふるさとを離れている人たちからも注文が相次ぎ、国体後、急遠に評価を得てこの試みは一応成功した。


智頭木創企画の発足

 これらの状況を肌で感じていた私は、公民館活動で写真立ての製作を中心となってやってきたメンバーを「智頭木創企画」と名付け、付加価値度の高い木工品の開発を行い、新しい木工品の創造活動を目指すことで、郷土の発展をはかろうと課題を投げかけた。国体の記念品づくりを行って、ともに木工品の開発の必要性を痛感していたメンバーは意気統合し、60年11月25日、「智頭木創企画」を結成したのである。製材業を営む私と、建築業2名、木材運送業1名の4名でスタートすることになった。早遠、拠点づくりをしなければならないということで、私が経営する製材所の一角のわずか4坪ほどの空間に、休日と夜間を使って小さな作業場をみんなで手づくりで建て、ささやかな活動を開始したのである。
 発足後の最初の製品づくりは、沖ノ山の天然杉のスライス材を使った「杉板名刺」の開発である。烏取県工業試験場木材工業科の技術協力を得て、国体時には智頭町長の杉板名刺を試作したのであるが、これを大量生産しようというものである。しかし、厚さ0.1ミリの杉のスライス材に紙をサンドイッチして貼り合わせる技術は、既に、各地にある木製名刺メーカーの企業秘密となっており、われわれが独自で工夫しなければ前に進まない。
 休日は、雪のなかを因州和紙の産地の佐治村を訪れ、サンドイッチする和紙の研究から糊の選択と、どのひとつを取ってみても、私たちにとっては未知の課題に取り組むこととなった。


苦心と団結の末に

 和紙に糊づけしてストープで乾かす。凍える手でローラーを持ち和紙が破れないように薄く糊つけをしていく。乾かすにも間隔をとっておかないと、糊づけした紙と紙がくっついて破れてしまう、みな夜の作業である。どんなに大雪であっても、夜の8時には1日の仕事を終えたメンバーがそろう。ストーブに手をかざして冷えた身体を暖めたあと、それぞれの作業に移っていく。とさには、11時、12時までも行うこともあるが、どの顔も輝いている。
 こうして行動を始めてみると、いままでに比べて入ってくる情報も増え、紙に関する情報、接看剤に関する情報などが、専門の筋から次々に入ってくるのである。そして結成して3ヵ月で「杉板名刺」は生産工程にのり、「商品」として巣立っていったのである。
 私たちが、地域テーマである杉材を使った木工品づくりに取り組んだことによって、周囲では大きな関心を呼ぶことになった。人によっては「そんなことはお遊びだ」とけなす人、「いや、すばらしい取り組みだ」と誉めてくれる人、いろいろな評価をもらった。
 その間、「智頭町役場投書箱」「烏取県パズル」「杉の名刺箱」「ペン立て」など、新商品の開発を行い、発注も相次ぎ、夜8時からの2時間では、消化しきれないほどの作業量が続いた。
 そこで、メンバーのなかから専業者を出したらどうかと対話を重ねていった。果たして専業化した場合、採算はどうかと危惧する声もあったが、本業をやりながらのいわゆる裏作工芸で出発しようということで、61年7月18日、メンバーのなかの木材運送業の一人が、「智頭木創企画営業部」を設立したのである。
 設立後の製品は、地元の那岐郵便局長のアイデアと協力を得て、「杉板のスライスはがき」、昆虫と魚の形をした「昆虫・魚遊便」十二支の「うさぎ遊便」、紅葉の葉の形をした「木の葉遊便」「因幡の白うさぎカレンダー遊便」と、“木と郵便”をテーマに製作を続けているが、木の持つぬくもりが好評で、製作しても製作しても作り足らない状況である。


町内へ波紋ひろがる

 私たちの活動はやがて八河谷地区へと波及し、地域の過疎の歯止めにと六家族が立ち上がり、糸鋸6台を購入し「遊便シリーズ」の製作に参加してくれた。
 デザイン・技術協力は、地元の智頭農林高校木材加工科の先生が一肌脱ぎ、また県内のプロのデザイナーからも協力の申し出があって、ソフト面での体制づくりが整ってきたところである。
 「智頭木創企画」は、趣味の動きから始まって専業化が整い、スタッフは20名を数えるまでになり、その輪は確実に広がりつつある。
 私たちが行動を起こしたとき、町内の木工生産者から「間伐材や廃材を使ったものは、智頭杉の商品イメージを落とす」とクレームがついたものだが、結成から1年経ったとき「君たちが積極的に商品開発を行ってくれたので、こっちの商品も売れるようになった」と、感謝の言葉が返ってきた。私たちの活動は、まさに“地域にねむる木の文化”の掘り起こしにつながった活動であったのである。
 長さ2メートルの6センチ角の垂木が1本250円、杉の枝を使った「杉ケニ」が1個350円の値がついている。「杉板名刺」ば1枚25円、杉材1立方メートル当たりの付加価値は高い、素材産業を中心としてきた智頭林業に、明るいものがみえてきた。
 私たちは、今後活動をどのように進めていくか、まだ明快な解答を得ていない。まだまだ暗中模索の日々ではあるが、ささやかな活動に対する、地域をはじめ世間の反響に驚いたり喜んだりしながら、智頭杉をテーマに新しい可能性を求めて努力していきたい。メンバーも同じ気持である。
 きっと、現代の生活空間のなかに、木でなければならない必然性のある商品を生み出すことを夢みながら、着実に村おこしの輪を広げていきたいと、決意も新たにしているところである。