「ふるさとづくり'87」掲載

熊野の自然を子孫へ残すために
和歌山県 熊野自然保護連絡協議会
 私たちの活動の場は、会の名称にもある「熊野地方」である。そして全国で27ヵ所指定されている国立公園の一つ、吉野熊野国立公園もそのフィールドに抱えている。蟻の熊野詣に代表される、心の寄り所を求めて熊野三山に参拝する信仰が栄えたもっと以前の縄文時代から、この熊野の山、川、海そして空などの大自然は、それぞれの青色を持ちながら人々の生活と深く関ってきた。
 しかし今日、人々は多様な情報化社会のなかにいて大都市と変わらぬ生活ができるようになった反面、豊かな自然のなかで生活していながら、足元にある自然すら忘れかけてしまったかのように思える。山林の皆伐、自砂青松の浜の埋立て、河用水の長期汚濁等、これらの出来事を他人事のように捕えているような気がしてならない。
 そんな折、吉野熊野国立公園管理事務所が催した自然観察会がきっかけとなり、観察会講師の間で「それぞれの情報を交換して熊野地方の自然を新たな角度から見直そう」との声があがり、何度かの設立準備会を経て、昭和60年西4月20日“すばらしい自然が残されている熊野地方は、われわれの生活の場であり、安らぎの場であり、学習の場であって、この自然を未来へ、子孫ヘ残すために集いましょう”との設立宣言のもとに、熊野自然保護連絡協議会(二河良英会長)は発足したのである。
 自然に関心のある個人や団体、また各市町村の協力のもとに幅広い層の会員200余名の参加を得て「熊自連」の活動が開始された。修験道研究家をはじめ、郷土史や植物関係の専門家、昆虫や鳥類、哺乳類、淡水・海産生物のプロ、星や地質の研究者など多岐にわたる専門分野の会員によって運営される本会は、一つの事柄を種々の分野別に検討できるというユニークな面を持ち合わせているばかりでなく、家族会員制度も設けてあり親子で各種行事に参加できるというアットホーム的な場を持つ会でもある。


残したい熊野の自然百選

 身近な自然を見直すという本会の主目的の一つとして“残しだい熊野の自然百選”の選考がある。これは熊野地方の自然をその地形、地質や景観、動植物など生物的な面、まだ、歴史性や地元民からの親しまれ程度、天然記念物や公園等の指定状況などを加味し、会員や一般からの推薦でその候補地を選考するもので、現在72の候補地が挙げられている。そして本会の会誌に7編がすでに掲載紹介されている。今後はこれらをまとめ「熊野の自然マップ」ともいうべき自然親察のガイドパンフレットとして発刊する計画である。
 この9月から朝日新聞と森林文化協会の主催で、吉野熊野国立公園50周年、伊勢志摩国立公園40周年を記念して“ふるさとの緑をのこそう・あなたが選ぶ、紀伊半島の自然百還”の企画が始まっている。多分に本会の自然百選選考と重複するので、この企画に、本会の焦点がかき消されてしまうとの意見もあったが、この企画は紀伊半島をマクロ的にとらえるものであり、本会の自然百選は身近な自然をミクロ的にとらえるもので、一部重複はしても目的とする視点が異なるので、この企画に会として全面協力することになった。そして南紀の自然を知り尽している本会のエ−スがこの企画の選考委員の一人として参加している。
 本会の催す各種視寮会や調査等は、“残したい熊野の自然百選”の候補地に主眼を置いて行っている。発会直後のバードウィークには那智勝浦町下里の太田用河口で探鳥会を行い、6月は本富町皆地にある“ふけた湿地”での観察会を行った。紀伊半島のほば中央部に位置し、周囲を山で囲まれ、川の切断曲流によりいまから6〜8万年前に生じ湧水によって保持されている貴重な温地である。和歌山県下ではここだけしか生息していないオオコオイムシやハネナガイナゴをはじめ、モートンイトトンボやハッチョウトンボ、コサナエ等のトンボ類のほか、タガメやタイコウチなどの水生昆虫、ヤマトミクリなどの水生植物が地元会員の努力によって、今日、なんとか現状を維持しており、一般には余り知られていない水生昆虫などの宝庫である。
 7月から8月にかけては本会発足の引き金となった、吉野熊野国立公園管理事務所主催の“自然に親しむ運動”ヘ講師を派遺し全面協力を行った。串本町有困の串本海中公園センターでの海中視察会。水槽内でば見られない海産生物の自然の姿を人間が海に潜って視寮するというユニークな企画で、テーブルサンゴ群のなかを泳ぐ色鮮やかな熱帯性魚類に、参加者の満足度は100%以上と好評であった。
 そして、新宮市三輪崎の孔島、那智勝浦町宇久井の海岸で行った磯の自然親察会。千潮時のタイドプールや磯の生物の視察、目の前で見るヤドカリの引越し実験、また、海岸植物の親察など炎天下、2時間という時間ではあるが、子どもたちの参加も多く、生物の多様性に新たな驚きの連続であった。まだ、勝浦国民休暇村での「夜の集い」では、ヤマネ研究第一人者による「ヤマネの話」や捕鯨の終焉が間近い「クジラの話」をはじめ、熊野の澄み切った大気のもとでの星座の観察など、それぞれの講師の専門分野の講演は参加者の心に新鮮な1ページを印している。残念ながら2月の十津用村玉置山でのブナ林観察と12月の新宮市孔島での漂着物調査と焼却清掃は雨のため中止となった。
 1月には新宮市の熊野古道高野坂を歩いた。もちろん史跡をはじめ、昆虫や烏、植物の観察も合わせて行っている。初めて平日に催した企画であったが、高齢者による多数の参加を得、配布資科の不足で担当者を慌てさせたほどである。2月には新宮市の協力を得て、熊自連の第1回研究発表会を開催した。発表内容は自然保護に関する研究や自然保護をからめた内容とし、熊野修験道研究の第一人者による、熊野の自然と修験道をはじめ、熊野地方で残したい植物とその地域など八演題が発表され、活発な質疑応答があり予定時間をオーバーする盛会であった。
 3月の総会では、活動、決算等の報告、新年度の計画や予算、運営委員の役割分担の変更などが承認され、新たな年度に向かってのスタートが切られた。4月はハレー彗星観察で始まった。
 新宮市高田のグリーンランドで行った「皆既月食とハレー彗星を見る会」には200名を越す参加者があり、改めてハレー彗星人気に驚かされた次第である。
 5月は昨年に引き続き太田用河目での探鳥会。今回は烏類のほか、ダンスをするカニとして知られているチゴガニや穴居するアシハラガニ、また、海浜に生育するアオイ科の植物のハマボウの観察も合わせて行い、この観察会を期に紀南地方では数少ないアシ原を抱えた干潟を持つ、太田川河目も本宮町皆地のふけた湿地とともに本会の調査対象地として重点地区にとりあげられた。同月末には本宮町川湯の大塔川で、カゲロウ、カワトビケラなどの水生昆虫視察会。
 6月は新宮市高田のグリーンランドでヒメボタルの観察会。7・8月は環境庁の自然に親しむ運動に協力。9月は新宮市の孔島と高田で「名月の下で虫の声を聞く会」を行っている。この他、関係団体、行政機関などの企画にも積極的な協力を行ってきた。


自然の中に学ぶ優しさ

 毎月1回発行予定の「熊自連ニュース」のほか、会誌「三青」もすでに1・2号が刊行され、現在は第3号の編集に入っている。また、熊自連研究発表会の内容も三青特集号として発行されている。
 私たちの会は、発足してまだ1年半という短い活動期間しか持ち合わせていない。そして毎月のように催される企画に、各会員や新聞などの呼び掛けによる一般参加者を得て、会の自然に関する啓蒙、広報活動は軌道にのりつつあるようにみえるが、まだ十分とはいいがたい。これからは目の不自由な人たちや身体に障害を持つ人たちも気軽に参加できるような企画が成されなければならないだろう。視覚中心の自然観察だけでなく、それぞれの障害に応じて、触覚や喚覚また、味覚に訴える視寮方法なども取り入れて、あらゆる人に対して広く参加ができるような態勢を早急に整えなければならないのではなかろうか。
 私たちの熊野の自然を語るとき、そこで生活している人々のことも忘れてはならない。昔から営まれてきた地域の人々の生活を優先し、そのなかで、足元にある自然、環境の一部としての自然に対し、人々の持っている優しさのほんの少しをそれに分け与えてくれたなら、「自然が大事か、人間が大切か」などという醜い争いごとはなくなるであろう。この優しさは誰でも持っていると思われるが、なかなか表面には出にくいものである。
 子どもの頃に直接自然のなかに身を置いて、山の雄々しさ、川の清らかさ、海の明るさ、空の果てしなさ、そして風の優しさなど、汚れのない心のなかにそれを感じとる経験をした人には自ずと宿るものであろう。自然のしくみを通して、生命の貴さや弱者に対する思いやりなど、子供時代に自然のなかで学んだ事柄はすぐに消えるものではなく、その子どもの成長過程において必ずよい影響を与え続けるものと確信している。まだ、不幸にして自然のなかに学ぶ経験を持たなかった人は、いまからでも遅くはない。足元にある身近な自然と人との関わりのなかで、身をもってその優しさを学びとってほしいと願うものである。