「ふるさとづくり'87」掲載

遊び心の中からの町づくり
和歌山県 すさみ町村おこし実行委員会
 いま全国各地で町おこし村おこしが行われているが、私たちの町でも過疎化が進むなかで、何とか地域の活性化をはかろうとさまざまな取り組みが行われている。当町の取り組みで他の地域と少し違うところは、経済的な活性化だけに重点をおくのではなく、お遊びの要素を取り入れ、地域の和を広げることにより活性化をはかろうというものである。


イノブタダービーの開催

 まず最初に、地城活性化への第一声をあげたのが商工会青年部であった。昭和56年5月商工会青年部の手によりすさみ名物猪と豚のハーフ「イノブタ」君の力を借り、すさみ町の知名度アップと特産品のPRや販売を兼ねた、イノブタダービーというイベントが生まれた。イノブタダービーについて簡単に説明すると、競馬は馬を走らせるが、馬の代りにイノブタを走らすもので、競馬と同じように馬券ならぬ豚券を発行し、順位を当ててもらう}種のギャンブルレースである。 
 このイベントも本年5月で6周年を迎え、いまでは南紀の名物行事として定着してきた。しかしこのイベントを最初に手掛けた商工会青年部の苦労は大変であった。
 青年部では、枯木灘海岸の名で代表されるこのすばらしい自然を武器に、従来にないユニークな方法でなんとか地域の活性化をはかろうと考え、さまざまな提言が出されたが、まず手始めにすさみ名物イノブタ着を利用したイベントを実施しようとの結論をみた。
 ところが、いざイノブタをどのように活用するかという具体的な講になると、イノブタサーカス、イノブタの水泳大会など奇想天外な意見が続出し、どれもこれも一長一短で激論の末、「イノブタダービー」に決定した。これは競馬ブームにあやかって命名したもので、参加者の射幸心をそそるというか、悪くいえば、かけごと好きな日本人の心を捕えるとともに、ユニークさでマスコミ受けするであろうとの皮算用から考えられたものである。イベントのテーマが決まったものの、主役のイノブタ君は町内にある県畜産試験場のもの、すなわち県有財産であり、使用許可が得られるかどうか心配されたが、お願いしてみると地元活性化のためであるならと快く了承していただき、そのうえ開催日がゴールデンウィークの休日にもかかわらず職員さんの協力まで約束していただき、まずは安心した次第である。
 なんの催しでも成功させるには、事前の話題づくりがもっとも大切との考えから、新聞、ラジオ、テレビなど各報道機関への報道依頼とか、有名タレントの名を借りたダービー予想表を発行するなど前人気をあおっていたところ、思わぬところから待ったがかかった。
 ダービーで発売しようとした馬券ならぬ豚券が、刑法上の賭博行為にあたるとのことで、すさみ警察の中止勧告を受けた。そのまま実行すれば検挙せねばならぬとのこと。よくよく考えてみれば、規模は小さくとも競馬と同じことで、刑法に触れるというのも然りと納得したものの、開催日も間近に追りいまさら中止することもできず、いろいろ代案を出して代表者が警察暑に日参したのだが、署長の首は縦にふられず、窮余の策として考えられたのが、同じ会場ですさみ町の特産品を販売する「なんでも朝市」のお買上げのお客様に豚券をプレぜントする方式であった。
 この方式だと刑法にも触れず、結果的にはこのことが「なんでも朝市」の予想を上廻る売上げにもつながったわけである。このように、いまから思えば笑い話としてお講できるが、当時は、ダービー実行委員会に参加する団体も少なく、果たしてこんな催しで人が未てくれるだろうかとの、不安や天気の心配など関係者の気苦労も大変であった。


イノブタの町すさみ

 開催前目は強風を伴った大雨だったが、当日はみんなの気持が天に通じたのか、前日の雨がうそのような五月晴れで、第一レースの出走時の午前9時には会場は超満員。人の寄りが悪くて白けるのではないかと心配していただけに、この人出をみると準備段階での苦労など忘れてしまうほどであった。
 京阪神からの宿泊客やマイカー親光客も町民にまじってレース見物に参加し、予想を上廻る延べ7000人以上の見物客で大賑わいで、当たり豚券と引換える賞品のイノブタのハムも途中でなくなる大騒ぎだった。午後3時最終レースも終わり、関係者一同疲れた体で後片付けをしながらも、来年の開催について話し合うほどの満足感にひたっていた。
 このように第1回「イノブタダービー」は当初の目的であった知名度アップの役割を充分果たし「イノブタの町すさみ」として県内は勿論京阪神にも広く知られるようになった。
 その後毎年5月のゴールデンウィークに開催され、回を重ねるごとに実行委員会への参加団体も増え、いまでは、商工会青年部、町青年団など若いカを中心に、町当局はじめ農林漁業団体、婦人会など、広範囲なみなさん方の協力を得て、イベントの内容も充実するとともに見物客も増え、単なる観光イベントというよりは年に一度のゴールデンウィークのお察りという色彩が濃くなり、紀南の恒例行事として定着してきた。
 とくに「なんでも朝市」は商業者だけでなく、一般家庭の主婦の方々が不用品を、農家の主婦が野菜を、また漁場の主婦が魚をと、さまざまな人々の出店があり、観光客、町民をまじえた「ふれあい」の場ともなっていると思われる。またこのイベントがきっかけとなって、若い力を中心に町内各層の人々が協力して一つのことにあたるという気運が高まり、あとで触れるさまざまな取り組みに発展することができたものと思われる。
 イノブタダービー以外にも、Tシャツやエプロンから文房具まで10数種類のイノブタキャラクター商品の製作販売を行ったり、また焼イノブタ、イノブタの味噌潰け、シイラとイノブタ肉によるノーセージなど加工品製造を行うとともに、郷土料理としてのイノブタステーキ、イノブタ寿司など関連商品も帽広く開発されており「イノブタの町すさみ」というイメージがさらに確立されていくものと思われる。


イノブータン王国を建国

 60年度には、中小企業庁の村おこし事業の指定も受け、商工会を中心に町当局はじめ町内各種団体による「むらおこし実行委員会」が組織され、その場を通じて地域活性化への取り組みが行われているが、そのなかでもイノブタ関連の事業が行われ、60年度にはイノブタ君の生誕15周年を記念して、テーマソングがレコーディングされ、いまでは町内の盆踊りや保育所、小中学校の運動会などで「イノブタ若踊り」による総踊りが行われるなど町民に親しまれている。
 このようなイノブタイメージの広がりのなかで、本年5月4日紀伊半島初のミニ独立園「イノブータン王国」が建国された。王国建国の話が最初にでたのはむらおこし実行委員会の場であった。実行委員会には商工会青年部、町青年団の若い人も多く、そのような層には王国建国の話もすんなりと受け入れられたのだが、実行委員さんのなかには「まじめに地域活性化に取り組むなかでそんなお遊びのようなことを取り入れていいのか」との意見がでるなど粁余曲析の末、建国に向かってスタートした。
 建国を5月4日のイノブタダービ−の日に決め、格調高い建国宣言を起草し、王女、首相はじめ閣僚の人選を始めたが、日本国と同じくミニ独立国の世界でも大臣になりたい人が多く、自せん他せんの候補者が入り乱れ選考が難航、最終的にはすさみ町長の首相はじめ町内各界のお歴々を網羅したなかに論功行賞による人選を加え総勢25名の閣僚が誕生した。
 王国づくりはパロディ精神に徹しかつ本格的に行おうと、和歌山県知事、日本国中曾根首相に直接建国宣言書を手渡し、まだ建国されていないときではあったが、早々と渡辺通産大臣と友好通商条約を絡結するなど、外交活動の活発さで内外の注目を集めた。建国祭当日は、大王、王女、閣僚はじめ町内婦人層のイノブタ踊りなど華やかなパレードが行われ、建国式典会場のすさみ海水浴場は、町内近隣市町村は勿論京阪神からの観光客も詰めかけ終日大娠わいであった。
 この王国を一過性のものとしたくないというのが私たちの気持ちであり、建国祭の盛り上りをいかにうまく継続していくかが今後の課題である。


「童謡公園」づくり

 お遊びの話ばかりに終始したが、「遊び心の中からの町づくり」というか、大げさな言い方かも知れないが質の豊かさや心の豊かさを求める成熟社会にあって施設づくり、物づくりから脱皮する町民の心の運動でもあると考えている。いますさみ町は、町当局の尽力により日本一の大型梅加工場が建設され、東証二部に上場されている釣具メーカーオリムピック釣具の工場誘致も決定するなど行政サイドにおけるハード主体の町づくりが積極的に行われている。
 むらおこし実行委員会としても先に述べた心というか、ソフト主体の町づくりを行っていこうと、イノブタだけではなく心の古里ともいうべき童謡をテーマとした日本ではじめての「童謡公園」づくりに取り組んでいる。「童謡公園」とは町内にある県立江住公園に当町ならびに紀州にゆかりの深い童謡や日本の代表的な童謡のモニュメント、歌碑など終日童謡のメロディが流れるミュージック塔などを配し、全国にも例のないユニークな公園にしようというものである。
 この取り組みは、公園ということでハード事業としてとらえられがちであるが、単なる観光施設づくりということで終わるのではなく、公園を通じて親と子の触れ合いの場づくりでもあり、また童謡のなかでうたわれているような心をもって「子どもを育てる」「伝統や歴史を学び継承する」「親光客を迎える」「お年寄りに接する」といった町づくり運動としても進めていきたいと考えている。童謡公園の企画は、町内各層の協力により夢のあるプランが続出しうれしい悲鳴をあげているが、なんといっても予算の伴うことであり、町が事業主体となり建設をすすめている。実行委員会としても町当局だけにおまかせできないとのことで、町内各所に募金箱「童謡小箱」を置き、浄財集めに取り組んでおり、現在町内外より200余万円の募全が集まっている。さらに協力の輪を拡げようと考えている。
 先般童謡公園づくりの一環として心に残る童謡募集を行ったところ、全国各地より500余通にものぼる応募をいただき、関係者一同感激するとともに、寄せられた数々の励ましのお言葉や期待感のなかで、みなさんに喜んでいただける立派な公園にしなくては、との感を強くしている。
 また、日本童謡協会の協力を得て行った、童謡の集いの催しにも近くの町の「童謡をうたう会」や「紀州てまりの会」が協力してくれるなど地域での関心も高まっている。
 公園の完成は昭和62年度の予定だが、現在実行委員会において最終構想を取りまとめ中で、イノブータン王国官殿風物産販売所を設置し地元産品の販売を行うとか、世界一の木琴のある童謡の館を設置するなどの企画が考えられており、完成時には人々を忘れかけた郷愁へと誘い、子どもたちの心に夢と潤いを与えることと思う。