「ふるさとづくり'87」掲載

斑鳩の里に持続する住民文化運動
奈良県 いかるがを愛する会
「ぽっぽ」の誕生

 斑鳩町、法隆寺を擁する古都、その名を知らない日本人はいない。この古都、一方で、大阪に通勤する人々のベッドタウンとして新興の町でもある。現在、人口27252人。いわゆる新住民は6割から7割を占めよう。
 この町のど真中に斑娘バイパスを建設する計画があることが一般に知れ、そして、反対運動が開始されたのが1972年の暮れ。計画路線が貫通することになっている新興団地の自治会から町議会へ反対請願が出され、まだ、町内での反対署名運動が行われた。そのうち、歴史家、写真家等、63人の著名文化人による反対声明も出され、運動は「童謡公園」づくり燎原の火のごとくひろがった。全国反対署名運動も開始、1983年9月10日には、93305名の署名をそえた反対請願が県議会に提出された。
 当時人口17000人の町に燃えさかる運動に、町長はついに辞職、11月、急きょ、町長選挙が実施されるというすさまじい政治状況上なった。バイパス計画は、団地の逮設等、計画当初からの町の変貌のため、全く現状に合わないものとなり、まだ、斑鳩の里を乱開発から守ろうという文明史的意味がこめられ、「童謡公園」づくり実施は“到底無理”の常識が各方面に定着した。
 とにかく、町はじまって以来の政治の季節を迎えた。
 そうしたなかで、町のあり方に対する住民の自主的エネルギーを、単に政治の世界の勝ち負けだけに解消させたくない、という思いから文化活動にウエイトをおいた「いかるがを愛する会」(愛称ぽっぽ)が生まれ「ぽっぽ」という可愛いい名前のミニコミ紙が発行された。
 創刊号、1973年11月10日、町長逮挙の前日、創刊の辞は、旧村の知識人の筆による「古都に住む喜びと責任」。それから13年「ぽっぽ」はほば月1回のぺースで発行し続けられた。
 いかるがを愛する会は「ぽっぽ」の発行を中心にすえ、その後、いくつかの文化運動や社会的提言、発言を行ってきた。
 ぽっぽという名前は、町内では子どもたちも含めほとんどの人が知っており、時には、ぽっぽ派とか、ぽっぽグループ等という言葉で言われるように、大きく一つの地位を保持している。先祖代々この里に住む人々と他所から新しくこの町に移り住んだ人々の混住するこの町で、ぽっぽは文化的刺敷を与え続けている。ぽっぽの影響を受けて始めたと思われる住民の活動もあり、また、町行政の文化活動にも明らかに刺敷を与えている。町民が何か言いたいことがあれぱ「ぽっぽ」に言える、というかけこみ寺的機能もいくらか果たしている。そうした感じの投書や電話等も相当数にのぼっている。


ミニコミ紙「ぽっぽ」の発行

 「ぽっぽ」はタブロイド版、表裏のちっぽけな紙1枚である。当初、発行部数4500だったが、現在は11000部。斑鳩町内とその周辺9300世帯に新聞折り込みで配布(斑鳩町の世帯数は現在7754)、全国へ転送等の方法で約1500部出ている。月1回発行をたて前としている。61年9月が145号。
 紙面の内容は大きくいって二つの流れがある。一つは表面に掲載する法隆寺や斑鳩、あるいは大和に関する一流権威者の文章。これまでにもっとも多く掲載してきたのは直木孝次郎教授の文章(「ぽっぽ」に執筆いただいた文章が「わたしの法隆寺」(塙書房)「法隆寺の里」(明文社文庫)の書物にもなった)。その他、作家の金達寿氏、随筆家の岡部伊都子氏、仏教美術研究家の望月信成氏、法隆寺執事長の高田良信氏等。現在は藤ノ木古墳を発掘担当された藤井利章氏(神戸女子大助教授)の「斑鳩学入門」を連載中。裏面には町民の投稿、町内の政治社会問題の記事、全国の読者からの原稿、手紙、文芸作品等。最近はぽっぽの世話係による町内でユニークな生き方をされている方等に対する「ぽっぽインタビュー」145号で24回目)。
 このニつの面のある所が、ぽっぽの文化に対する考え方を表わしている。つまり、文化はふわふわと宙を舞っているものでなく常に現実のくらし、社会と関係していなければならない。法隆寺をはじめとする文化的歴史的想像力をかきたてる文化遺産と歴史環境に生きる住民として、この地に住む誇りと責任を自覚しつつ、どう生きるかを考えるのが文化活動の基本になけれぱならない。文化が変われば当然政治も変わる。「ぽっぽ」の編集姿勢の奥にはそういう思いがある(なお、直木先生はじめ著名権威者の原稿は、ご厚意ですべて無料でご執筆いただいている。
 「ぽっぽ」の発行費用は、広告科(費用の3割程度と読者からのカンパ(費用の7割程度)によっている。今日まで13年間、持続してこられた大きな理由の一つは読者からのカンパが予想以上に多く、収支がほぼトントンできていることにある。
 「ぼっぼ」は相当広くかつ、熱心に読まれているようで毎号とじて保存している人も多いときいている。政治社会問題を掲載すると様々の反応もおきる。これまで13年間、町内と全国から数えきれない激励、はげましを受けてきた。一方で抗議を受けたり、脅追めいた事件のおきたことも何度かある。それをおそれていては何も出せない。政治的影響力もいつの間にか結構強いようである。


ぽっぽ万葉講座

 万葉集を勉強しようやないか、の提案があって万葉講座を開設、すでに8年になる。講師は奈良市在住の若い万葉研究家。北谷幸冊氏(相愛女子短期大学講師)で月1回3時間。メンバーは女性中心に30名。万葉集を最初から一首ずつ読みすすむ地味な講座であるが、受講生は極めて熱心。ぽっぽ万葉講座で勉強した歌のなかから一首を選んで「ぽっぽ」に「私のすきな歌」として解釈、鑑賞を連載、145号で54回となった。年1〜2回「ぽっぽ」紙上で広く呼びかけ現地講座と称し、万葉ゆかりの地へ出掛ける。好評で町外からの参加者も多い。


ぽっぽおはなしさんぽ

 女性スタッフが子どもたちに絵本を読みきかせる。月2回。最初、女性スタッフ6〜7人が自分の家にある絵本を持ちよってぽっぽ文庫と名付け、家持ち廻りで貸し出し等をやった。そのうち中央公民館の会議室で本の貸し出しと絵本の読みきかせ。「ぽっぽ」紙上での予告を見て集まってくる子どもたちの数はだんだんと増え、最近は30人位が集まる。もう3年以上続いて定着。年1回“春のつどい”と銘打ち“祭”を開く。200人をこえる子どもたちが集まって好評。お父さん、お母さん、おばあさんの姿も結構多い。マンガが氾濫するなか、いい絵本に目を輝かせている子どもたちの顔を見ると世話係の疲れはふっとぶ。


ぽっぽ絵本講座や講演会も

 子どもたちにどういう絵本を読ませたらよいか、を考えるには、まず自分自身が絵本をたのしむことが大事。3ヶ月に1回開催している絵本講座は主としてお母さん方が対象、講師は絵本研究家であり、創作もする加藤啓子氏、毎回40人位のお母さん方が集まる。
 ぽっぽでは当初ひんぱんにつどいを実施した。誰でも自由に集まり話合う。そういうなかからいろいろな人々のつながりが出未ていった。最近は間遠くなっているが、時析、講演会等を開く。「ぽっぽ」100号の時には、記念のつどいを中宮寺で開催、作家の五木寛之氏と直木孝次郎助教授、中宮寺門跡・日野西光尊さんの語をきいた。どしゃぶりの日ながら会場はぎっしり一杯、200人が集まった。五木寛之氏も「ぽっぽ」の読者の一人であるがご厚意で無科で来ていただいだ。
 今後も時折、文化講演会、あるいは、斑鳩のあり方についてのパネルディスカッション等やっていきたいものと思う。
 法輪寺三重塔再建の際、法輪寺さんが再建費用が不足しているということを聞き、全国紙「声」欄にぽっぽの名前でカンパを呼びかけ、1500人から計250万円を集め法輪寺さんへとどけた。もちろん「ぽっぽ」でも数回にわたり特集を組んだ。この活動がきっかけで全国に「ぽっぽ」の読者が増えた。
 最近では、藤ノ木古墳発見の際はいち早く取う組み、特集も組み、町民の関心を一層深め、これを機に斑鳩に住むことの誇りと責任を一人ひとりが強くする雰囲気づくりに努力した。
 地域の若い人中心のアニメサークルによる映画会等を「ぽっぽ」紙上で大々的にとりあげPRする等、いい文化的催しについては「ぽっぽ」でとりあげている。今後もユニークな提案をどんどんとり入れて、実施可能なことは、肩肘はらずにやっていきたい。


いかるがを愛する会の特徴

 いかるがを愛する会には固苦しい規約もなく会員制もない。ある面で極めてあいまいな組織である。「ぽっぽ」の読者がすべて会員といういわばオープンシステムである。ゆるやかではあるが、様々な方面の人のつながりが出来ていて、ぽっぽファン、ぽっぽ派、あるいは、ぽっぽグループ、等と呼ばれる人が町内のあちこちにいる。全国にぽっぱファンが多い。
 これこれをやるんだ。と背伸びをしたり肩をいからすことなく、各自が自らの生き甲斐の一つとして、また、余暇活動の一つとして、出来る範囲で何かを提供する。知恵、能力、時間、お金。広く町民に、そして、全国に活動を知らせたり、PRしたり、主張したりする燥体として、会の中心としてミニコミ紙「ぽっぽ」が存在する。そうしたゆるい連帯、無埋のない、各自背たけに合った住民文化活動のなかから、斑鳩のあり方を模索し、新しい文化の町をつくる雰囲気が生まれる。そういう願い、志がいかるがを愛する会を存続させる。
 その辺の考え方、気持は、参考資料の第10回あすの地域社会を築く住民活動賞、奨励賞受賞文『斑鳩における住民文化活動』、および昭和58年度毎日郷土提言賞受賞文、ぽっぽ世話孫松村健一の『文化の町を、再び』をご参照いただきたい。