「ふるさとづくり2005」掲載
<企業の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

「震災のまち」から「食のまち」へ
兵庫県神戸市 株式会社神戸ながたティ・エム・オー
震災のまちから食のまちへ

 阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を被った神戸・新長田地区は、「震災のまちから食のまちへ」をキャッチフレーズに生まれ変わろうとしている。全国的なブームとなった「そばめし」発祥の地として、また昔から長田の家庭の味として親しまれてきた牛すじ肉とコンニャクを甘辛く煮込んだ「ぼっかけ」を神戸長田の新名物として展開してきた。全国的な知名度の向上と来街者の増加、そして震災時に全国から届けられた暖かい支援に対し、元気を取り戻しつつある発展途上の長田を感謝の気持ちを込めて発信するために、地元商業者と企業らが一丸となって取り組んできた。
 神戸市の中心部からやや西に位置する神戸・新長田地区は古くは漁港として栄えてきた。源平ゆかりの地として、地域には数々の史跡が残されている。明治から大正期にはマッチの生産が盛んになり、また商店街が形成されはじめ大いに賑わってきた。昭和期にはマッチの生産工場をケミカル業に徐々に移管し、ゴムの生産高が日本一となるなど、長田が誇る地盤産業として隆盛を極めた。
 戦災を乗り切った新長田の商業地域は市内屈指の商業地として発展し、「西の副都心」と呼ばれてきたが、地場産業であるケミカル産業の衰退と生産工程の海外シフトへの転換など雇用を直撃し、またニュータウン開発に伴う人口流出が重なり、中心市街地の空洞化が進むようになる。人口が最前期から半減し、地域商店街も並行して衰退していく中、震災が直撃した。
 全壊全焼が8割近くに達し、半壊状態の店舗も営業できない状況に陥り、再建への道のりが永遠にも感じられたが、半年後には共同仮設店舗「復興元気村パラール」が竣工し、また全国最大級の再開発事業もスタートするなど、復興の槌音が徐々に響いてきた。


「アスタきらめき会」の発足

 しかし、震災の記憶の風化と困難を極める店舗再建、長引く未曾有の長期不況が追い討ちをかけ、依然として営業再開率は7割程度に留まっていた。若手商業者を中心に危機感が生じ、従来の商店街組織を横断する若手商業者を中心に「アスタきらめき会」という組織が2000年初頭に誕生した。「アスタ」は再開発エリア約20・1ヘクタールの公募により決定した愛称であるが、これを街全体の愛称としよう、新しい街に生まれ変わろうという想いが芽生え始めた。
 アスタきらめき会の活動は多岐に及んだ。まずはじめに取り組んだことは「人にやさしい商店街づくり」である。セールや大売出しなど従来の販売促進活動とは一線を画し、電動スクーターの無料貸出サービス「ショップモビリティ」をはじめ、地域内に設置している自動販売機のバリアフリー化促進、各店舗が何か一つ介護用品や高齢者や障害者に喜ばれる商品を店頭に並べる「1店1テンダーキャンペーン」、試験運行であったが高齢者住宅や災害復興住宅、病院と商店街を結ぶコミュニティバス「買いもん楽ちんバス」の運行など、様々な地域の実情にあったサービスに特化して取り組んできた。
 また、毎月1回開催するフリーマーケットや、地域住民と商店主がドラム缶を改造してできた楽器スチールパンのオーケストラを結成し、各所で演奏するなど活動は多岐にわたった。


「社会体験学習の街」づくりに着手

 これら地元商店主が一丸となって様々な事業に取り組んできたが、これは任意団体としての活動であった。これらの取り組みを一過性に終わらせることなく、より様々な事業を展開し地域活性化に取り組むべく、アスタきらめき会や地域商店街、地元企業が母体となって株式会社が2001年に設立された。「株式会社神戸ながたティ・エム・オー(TMO)」の誕生である。
 ながたTMOはアスタきらめき会が展開してきた従来の活動をベースに、新たに「社会体験学習の街」づくりに着手した。新長田地区は、再開発の進捗も進み徐々にではあるが街並みは整備されてきたものの、以前仮設住宅には人が移住し、店舗の大半が仮設営業である。また、震災で傾いてしまったアーケードや焼け爛れた送電線が撤去されることなく残っていた。これらは負の地域資源であるかもしれないが、発災直後から復興過程を生き抜いてきた地域商店街、商店主の体験は生きた教材となる。そのうえ、震災の経験や教訓を風化させずに語り継ぐこともできる。これらを指標に、修学旅行を筆頭とした教育旅行の受け入れが始まった。
 生徒たちが店舗に直接訪ね、震災時の体験や復興への苦難をインタビューしたり、実際に店舗で商いを体験する商人体験などを通じて、修学旅行シーズンには大勢の学生で賑わうようになる。


食べ歩きマップの制作

 その生徒たちから質問を受けた。「長田のお土産はないの?」「美味しいお好み焼き屋はどこ?」といった内容だ。これをきっかけに、新長田地区のお好み焼き店の調査を始めた。半年にわたる綿密な調査で、JR新長田駅を中心とした半径500メートルのエリアに、約70軒のお好み焼き店が集積していることが判明した。これは日本一の密集度であることも認識でき、「神戸・新長田 そばめし・お好み焼き食べ歩きマップ」の制作に着手した。現在ではすでに第3版、累計5万部以上が発光、配布され、休日にはこのマップを活用する遠方からの来街者も見られるようになる。


新名物「ぼっかけ」の商品化

 そして、調査の過程でお好み焼きの人気具財である「すじコンニャク」を新たに長田名物として発信し、お好み焼き店だけでなく、他の飲食店や物販店舗でもこの新名物を取り扱いできる仕組みづくりに取り組んだ。
 そして、牛すじとコンニャクを甘辛く煮込んだものは「ぼっかけ」として生まれかわり、お好み焼きだけでなく、チラシ寿し、パイ、カレーライス、うどん、そば、そして地元信金では「ぼっかけ定期」として発売されるなど、地域一丸となって新名物の商品化に取り組んだ。また、地元食品企業であるMCC食品(株)と「ぼっかけカレー」「ぼっかけカレーラーメン」を共同開発し、全国の百貨店やスーパー、コンビニエンスストアでも取り扱われるようになる。この商品は、全国地場産大賞(中小企業庁主催)で日本商工会議所会頭賞を受賞した。
 また、東洋水産(株)をはじめとした大手メーカーも商品化に乗り出し、カップ麺をはじめとした様々なぼっかけ商品が誕生、震災のまちとしてイメージが強かった神戸・新長田地区が下町情緒あふれる「食のまち」として認知されるようになってきた。これらの商品開発は「神戸長田ブランド」として内外に認知されるようになる。
 今では、神戸から遠くはなれた地域でも、「神戸長田名物」と銘打たれたぼっかけメニューが見られるようになり、新たな街の活性化の起爆剤となった。
 しかし、これらの取り組みが真に根付くには時間がかかる。「食のまちづくり」を志してまだ3年。神戸ながたTMOの取り組みはまだ始まったばかりだ。