「ふるさとづくり2005」掲載
<企業の部>ふるさとづくり賞 内閣官房長官賞

「心ひとつに」ぼたん会(温泉旅館女将の会)―かすがいのふるさとづくり―
石川県山中町 ぼたん会(山中温泉旅館 女将の会)

 山中町は文字通り全町(154・39平方キロメートル)の95%を山林で占める山あいの温泉町であります。温泉の歴史は僧行基の発見と記され、開湯1300年と言われております。文治年間(1185〜1190)能登の地頭長谷部信連の再興以来俳聖松尾芭蕉はじめ綺羅星のごとき文人墨客に愛されて、自然環境を守りつつも文化の薫り高く発展してきた町であります。その温泉町で「ぼたん会」は50余年の会歴をもつ旅館女将の会であります。
 時々の時流に乗りながら、また流されながらの先人たちの並々ならぬ苦労を思うとき、バブル崩壊以来の不況に浴客の減少は甚だしく経営が逼迫する中で、各々はじっとしておれず女将の会でできることの模索を始めたのがおよそ15年前であります。
 まず、親睦主体の組織を隔月の例会を開催することに改め、事業計画をし、各々に委員会を設け行動を開始しました。


95%の山林を活かすために、針葉樹の山並みを花木に変え、季節の潤いが感じられる景色を造る(植樹委員会)

 樹種はオフ対策もあわせ桜と決めました。桜はその性質が苗床の土を洗い流し、根を裸にして植栽しなければ、新しい土地になじまず、地中深く広く根を張らないとのことが、いかにも自分等の女の定めのようで、知らない町に嫁ぎ、その町のその家の人となるべき戒めにも似た想いがあり、いじらしく感じます。また、旅館に従事する人々の、過去を忘れて1日も早く自分等と心ひとつに楽しい生活が営めるようにとの想いも含め…。
 当初、10年間植え続けることとし、年間200本で2000本を目標に、JC(山中青年会議所)のメンバーに協力をお願いし、協同事業としました。
 財団法人日本花の会に入会し、同会のご指導のもと、苗木を供給していただいて早13年におよび、2500余本植えてまいりました。
 植栽による効果が顕著に解かるようにとの思いから、当初から3年間は町中の道路沿いの空き地に植栽しました。地主の方には念書を入れ(植栽地が入用になった折は速やかに返す旨)土地を無償で提供していただきました。
 桜木が育ち著しく景観を変えることを考え、植栽後には町の行政、各種団体、有識者に集まっていただき(桜全体会議にて)その是非を話し合いご理解、ご支援をいただきました。
 4年目からは水無山(標高348・5メートルの町中にある山で、かつては山頂に遊園地があった)山頂に延べ1000本植栽し、かつての町人の憩いの場の復活を図っております。
 作業当日、雪に見舞われたり、へリコプターを原価で借り上げる画策をしたりと、随分と難儀もありましたが、まさに非常識を情熱でくるんで周りを巻き込んできました。以後、国道364号線に沿って、県境(福井県)にむけて、毎年3月第3日曜日を植樹祭と定め植栽を続けております。
 桜の生長に伴い、かつて道路沿いの草むらが不法投棄のゴミ捨て場のようだったのが、草刈等もなされるようになり、美しい景色に変わり、春の開花、秋の紅葉と観光客はもとより地元町民ともども、楽しんでいただいております。住むものに感動なくして旅人をもてなせるはずもなく、植栽、栽培の中からともに汗をかき、助け合い育ちあう喜びを感じてきました。ひとつのテーブルに着き、子等の将来に資源となるべき町づくりを楽しんでおります。そんな中、4年目に建設大臣表彰、その後には内閣総理大臣表彰と、身に余るご褒美もいただき、ますます活動に弾みがつきました。なお、この事業は「300年みどりの会」と名称を改め、町民運動に発展し、個人の年会費1000円にて広く会員を募り拡大しております。


その人に逢いたくて・山中はこんな町、こんな話ご存じ?―活き活き情報お知らせ(タウン誌委員会)

 短時間に読みきれるページ数。男性の背広の内ポケットに入る大きさ。女性のハンドバッグに入る大きさ。偉い肩書きはないけれど輝いている人の紹介。光っているお店の紹介。少し賢くなれるお話等々。ぼたん会日記。エッセイなどを1万部、春号と夏号の年2回発行し10年経過しました。町の各産業団体、行政が作成する観光資料、マップ等にない温もりあるより生きた情報と山中温泉のファンづくりを目指しております。
 山中温泉が得意とするところの女性層、小グループ、ファミリーにお出かけ情報として提供し、住まいする人にも山中の良さを再認識していただきます。取材、広告取り、購読依頼等を通して、たくさんの人々との交流が生まれ、観光への理解と協力をいただいております。また、お客様にお聞かせする話題も豊富になり、ファンづくりに役立っております。


この土地ならではのお土産づくり(物品開発委員会)

 観光地における土産品が菓子等においては、パッケージのみがその土地、その施設を表しており、中身は同じであるというようなことの気づきから、ひとつなりとこの土地ならではのものをとの想いから「湯治飴」を製作しました。この土地に昔から伝わる米で作られた飴で、夏は液状にして生姜汁をおとし冷水で割り「冷やし飴」として暑気払いに飲まれたとの故事に因るものです。旅先での疲労感に、また、ちょっとした口寂しさに好評であります。
 さらに、昨秋には山中の温泉水の無味無臭に近い、癖のない柔らかさをアピールするためにとの考えから「湯宿の朝粥」を開発しました。山中温泉の先達が温泉の乱掘乱開発を阻止する目的で使途を入浴と飲泉のみに許可するという町条例に定められていたものを、3年余かけて、関係各位のご理解をいただき発売にこぎつけました。
 町当局との折衝から始め、試作試食を重ね、製造施設の決定までに充分に時間をかけてことにあたったのが、好い結果を招いたと考えております。全国的にも含有成分において2割程度の貴重価値の泉質であり、入浴による効能の顕著なことを宣伝するうえで格好の素材となりました。各旅館内施設での販売とあわせ、温泉街商店、町営施設にも置かせていただき販売協力をいただいております。価格につきましては、その温泉利用の条例緩和をかんがみまして最小限の利益率にて1パック390円3パック1000円と決定しました。


鎹(かすがい)

 山中温泉観光協会ならびに旅館組合においては、過去現在にわたりあらゆる施策がこうじられてきました。近年では30回に近い「ふるさと山中夏まつり」は浴客を館内のみに囲わず、町中にお流しし、街の風情を楽しんでいただく考えのもので、1か月間のロングランで開催されます。当会は期間中、町のご婦人方にも協力いただき、浴客の散策コースでの早朝の「飴湯サービス」を行なっております。前述の冷やし飴ですが、浴客のみならず散歩される町民の方々にも飲んでいただき喜ばれております。
 また、大日山を源として日本海にそそぐ大聖寺川に沿って、細く長い地形に点在する名所旧跡を周遊バス「お散歩号」にてご案内しておりますが、その観光ガイドをボランティアの方々とともに行なっております。等々活動において当会は業種間の、世代間の、人々のかすがいでありたいとの願いを持ってやってまいりました。山中町の女性がこころをひとつにして、互いの子どもたちの将来を思い一つのテーブルについたとき、地場産業の衰退や過疎化に怯えないで、子どもたちに「ふるさとは土も風も温かいよ。帰っておいで」と声かけられると考えております。
 立場柄、お座敷で得がたいご縁にて、膝突き合わせて高説を伺うことも度々です。また、委員会等の活動を通じて得た人脈、友情は浅学を補い、知恵を生みました。それらを無為に朽ちさせることのないよう、しかしながら、先陣をきるなど功を焦ることなく、かすがいの役目を果たし続けたいと考えております。